「うわぁっ!?」 反射的に跳び退いた栄治は、そのまま塀にぶつかってしまった。
「痛ってぇ…」 背中に広がる痛みを堪えながら、栄治は上半身を起き上がらせる。
(な、何なんだよ…こいつ!?) 栄治の前に立っていたのは、黒装束に身を包んだ黒衣(くろご)のような人影だった。
黒縮緬の竹田頭巾、黒木綿の詰め袖の着物と脚絆という格好は、どこかの劇場から迷い出て来たかのようで、公道を歩くにはあまりに似つかわしくない異様さを放っていた。
顔を覆い隠す頭巾の下に、人間らしい表情は見られない。赤く爛々とした目が、焼け煤けた紙のような消炭色の"皮膚"に不気味に浮かび上がっているだけだった。
(忍者みたいなカッコして、一体どういうつもりだよ…!) 黒衣は、空振りした腕をさっと脇に戻して構え直す。 そして、再び栄治に襲い掛かってきた。
「わ…っ!?」 栄治は訳もわからないまま、思わず両腕で顔を覆った。
——刹那。手に持っていた鉢金が、栄治を呼んだ。いや、呼ばれた気がした。 そして彼は、無意識のうちに鉢金を自分の額に"つけさせられていた"。

その瞬間、鉢金が青白い光を放った。光はたちまち栄治を包み込む。
黒衣は、突然の出来事に警戒して間合いをとった。
ほんの数秒で途切れた光の中から、袴を着け青地に白い山模様の羽織をまとって白刃を閃かせる栄治の姿が現れた。
彼は戸惑っていた。降って沸いたように現れた目の前の黒衣にも、自分の奇妙な格好にも。 しかし、心境とは無関係に彼の手足は素早く刀を上段に構えた。いや、"構えさせられた"。
心と体が別々に動いている。栄治はそう感じていた。
頭の整理がつかず、半ば混乱している自分の(そば)に誰かが——歴戦の(つわもの)が付いているかのような感覚がしていた。

栄治は別人のように冷涼な、しかし燃えたぎる闘志を内に秘めた表眼浮かべていた。 どう見ても、十数年生きた程度の子供が出来る顔ではない。まるで、何かにとり憑かれているとしか思えない表情だった。
こちらを凝視し続ける黒衣をキッと睨みつけると、その眼の奥から鋭い気合がほとばしった。 黒衣は一瞬、雷に打たれたかのように身が固まった。
栄治はその隙を見逃さず、正面から仕掛けた。 わずかに出遅れた黒衣が、同じく拳を繰り出す。
両者の間合いが一気につまった。

すれ違いざまに栄治が放った上段からの一撃が、黒衣の顔面を捉えた。
弾き飛ばされた黒衣は、その勢いのままもんどりうって地面を転がり、そのまま動かなくなった。
振り向きざま二撃目に備えた栄治だったが、勝負はもうついていた。

すると黒衣の体から煙が立ち昇り始め、蒸発するように跡形もなく消えてしまった。
敵の気配が去ったことを確認すると、栄治はなれた手つきで刀を納めた。
その途端、急に体が重くなるのを感じた。目の前が真っ暗になっていく。
自分が路上に倒れる音を聞いた後、彼の意識は途切れた。