Abyss-Diver#0 "the Break Time"



side.01【Brackish】



「元気そうだな」

「お陰様で。そろそろ、もう少しいい仕事を探そうと思ってるんだ。二人で食べていくには、今の稼ぎじゃ正直キツイからな」

「そうか」

ヴェルナーは、親友であるアレックスのアパートを訪ねていた。

あの『Abyss#0』での戦いの後、ヴェルナーはアレックスをこの町に送り届けた。

Xenoの後遺症は強く、長期入院が必要とされ、彼の妹も呼び寄せられた。

しかし、二日も経たないうちにヴェルナーは次のアビスを捜して旅立った。

アレックスが生きている事さえわかれば、ヴェルナーに心残りはなかった。

Xenoの存在を教えられたカイゼルと別れた後も、ヴェルナーはXenoの噂を聞くたびに、各地のアビスへ潜っていった。

もう二度と、アレックスのような――あるいはすでに取り込まれてしまった者たちのような犠牲を増やさないために。

そんな折、不意に連絡が入った。

『元気になった。顔を見せに来い』というアレックスからの招待だった。

こうして、およそ半年振りにヴェルナーはこの兄妹を訪ねる事になったのだ。

「でも、ダイバー稼業はもうやめる……。前の時は妹にずいぶん心配かけたし、ヴェルの手までわずらわせたからな」

「そうか」

不意に、テーブルに二つのマグカップが置かれた。

淹れたての紅茶から、芳しい香りを乗せた湯気が立ち上る。

「はい、どうぞ」

お茶を出した少女はお盆を抱え、キッチンに戻って行った。

二人はカップに手を伸ばした。

が、口に運んだ途端

「ん……!?」

鉄臭い――いや、砂利ついたような辛い味覚が舌を刺激した。

つまり、塩辛かった。

ヴェルナーは思わず、眉をしかめた。

「あちゃ……!またやったか……!」

隣でアレックスが呻いた。

ヴェルナーは舌に残る不快な味覚から注意を逸らすように、現状の分析に専念してみた。

(「また」という事は、これが初めてじゃないな。
 それにしても『塩と砂糖を間違えた』なんて、定番もいい所だ。
 ……だが、傭兵時代はもっとひどいものを口に入れる破目に陥った事もある。
 それを思えば大した事はないか)

「悪いな、ヴェル……」

申し訳なさそうにアレックスが言う。

ヴェルナーは、アレックスの妹である先程の少女を見遣った。

「まだ弱視だろう?」

物不足のご時世。栄養失調が原因で、ずっと光を失っていたアレックスの妹は、あれから目の治療を受けることが出来た。

兄が危険を冒して稼いだ金と、ヴェルナーの『ささやかな心遣い』が、それを実現させた。

幸いにも良い医者に巡り合い、彼女は快方に向かっている。

ただ、長い間使われていない目を急に常人並みには戻せない。

医学的には可能なのだが、当の視神経が氾濫する光を像として結べないのだ。

その為に今はまだ、彼女の視野は狭く、ひどい近視の状態に近い。

これから順を追って、視力を戻していく。いわば『目のリハビリ』だ。

「……それが、ちょっと見えるようになったら『家の事は私がする』って張り切り出して」

「お前がそのザマだからな」

「ぐ……!それを言うなよ」

アレックスは痛い所を突かれた。

退院したばかりの彼は、まだ一人で出歩くのもやっとという体だった。

当然、傭兵は出来ない。

仕方なく、妹と二人で修理業などの内職で食いつないでいた。

「そりゃあ、妹が元気になってくれるのは、俺としてもうれしいさ。けど……」

一旦言葉を切ると、アレックスはキッチンに向かう妹をちらりと窺って続けた。

「けど、調味料の間違いは本っ当に勘弁してほしいだ。ここんトコ、毎日毎日出る食事がこうなんだよ……」

泣きそうな声音を吐きながら、アレックスは頭を抱えた。

ヴェルナーはそれに構わず、視線だけでキッチンを見遣った。

調味料を収める棚には、円柱形の無機質なプラスティック容器が並んでいる。

「どれも同じような入れ物だ。ラベルが読めなければ、見分けが付かないのも無理はない」

「でも、今は買い換える金が……」

「本人に環境を合わせるんじゃない。環境に本人が慣れるんだ。それまで辛抱してやれ」

「じゃ、提案者の責任として協力してくれるか!?」

アレックスがムキになって詰め寄る。

「……健闘を祈る」

ヴェルナーは他人事のように痴れっと答えた。

「お前な……!!」

「あの」

思わず声を荒げたアレックスの拳は、妹のかけた一声で引っ込められた。

「そのお茶、どうですか?」

「あ、あぁ!うまいよ、うん!」

みっともないくらいの慌て振りで、アレックスは取り繕った。

「ヴェルナーさんは?」

親友に、少し遠慮がちに訪ねる妹を見て、アレックスは内心ハラハラした。

(さすがに、ヴェルもこの期に及んで『不味い』なんて言わないよな?たかが茶の一杯くらい……
 いや!あいつの性格からして『本人の為に成らない』とか言って、はっきり否定するんじゃ……!
 でも俺としては、進んで家事をしようとする妹の意志を尊重すべきだと……!)

頭が心配事で満ちるアレックスを横目に、当のヴェルナーが返した言葉は

「……悪くない」

アレックスは『意外』という目でヴェルナーを見たが

「本当ですか?!よかった♪」

喜ぶ妹の姿に、とりあえずほっと胸をなでおろした。

「ホント、悪いな……」

相変わらず無表情のヴェルナーに、アレックスは心から礼を言った。

ヴェルナーは意に介した素振りもない。

「実際、茶は悪くない」

親友の精一杯のフォローだろうとアレックスは受け取った。

「無理するなよ」

それに対して、ヴェルナーはカップを手にして見せ

「塩さえなければな」

アレックスはぐっと笑いをこらえ

「同感」

とカップをとった。

二人は覚悟を決めて、彼女の『気持ち』と塩がこもったお茶を飲み干した。




<End>

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