Abyss-Diver#0 "the Break Time"

sside.02【Beardless】

「どうした?遠慮しねぇで飲め」 「あ、あぁ……。そんじゃ、ま」 ラックラットは、ぎこちなくグラスを傾けた。
中身は、彼が一度は飲んでみたいと思っていた高級酒。
しかし
(あ、味がわかんねぇ……!) ラックラットは、この場から逃げ出したい気分になった。
それというのも、彼の隣で煙草を吹かす、赤いバンダナの男の所為だった。
バンダナの男は通称『JD』と云い、ラックラットも以前潜っていた『Abyss#0』で何度か見かけた事がある。
そのJDが、なぜラックラットに酒を——それも決して安いとは言えない銘柄を振舞っているのか?

事の始まりは、この酒場で日常茶飯事に行われている賭博だった。
ちょうど、その場に居合わせたラックラットは、入用の金5000Cを稼ごうと、テーブルに着いた。
ゲームはポーカー。
酒の染みや煙草で煤けたトランプがテーブルを埋めていた。
(……イケるな!)
ラックラットはダイバーとして『ROGUE』のクラスを持つ。
当然、手先の器用さには人一倍自信があった。
もちろん、すべてイカサマで通せるわけはない。
ラックラットは、どうしても不利になった時にだけ、カードを誤魔化した。
結果は、ラックラットの一人勝ち。
「あーぁ、ブタかよ。ツイてねーな」 「やるじゃねぇか、小僧」 「ちっ!2000の負けか…オモシロクもねぇ!」 強面の客たちから声がかかる中、ラックラットは戦利品の5200Cをポケットにねじ込んだ。
そして勝ち誇った顔で席を立った。
(よっし!200の儲けだ!チョロイもんだね、へへへ…♪) しかし、一つだけ誤算が生じた。
怪しまれる前に、酒場を出ようとした所を
「待てよ」 さっきのテーブルにいたJDに呼び止められてしまったのだ。
ラックラットは、うろたえた。
JDからみなぎっていた、修羅場をくぐってきた兵士が放つ、重々しい殺気にだ。
「な、何か用、かい…?」 「さっきのゲーム、鮮やかなモンだったぜ」 「そ、そいつは、どうも。あ、あんたみたいなのに、ほ、褒められるなんて、おお俺も捨てたモンじゃない、な」 ラックラットは冷や汗の中、上ずった声で必死にとりつくろった。
「どうだ?何か奢ってやろうか?」 「えっ!?や、そりゃ……!」 ラックラットの思考が、目まぐるしく回転し始めた。
万が一、イカサマがバレて——そうでなくとも、カードの負けを逆恨みされて殺されでもしたら、たまったものではない。
かといって、下手に断ればかえって怪しまれる。
(どっちにしても最悪じゃん!!) 苦肉の策でラックラットが出した答えは
「そ、そいつは、ありがたいなぁ!じゃ、い一杯奢ってもら……います」 「じゃあ、決まりだ。おい、バーテン。こいつにバランタインを出してやってくれ。勿論、グラスだ。トゥワイス・アップでな」 選択の余地は猫の額ほどもなかった。

そういったワケで、今ラックラットがちびちびと飲んでいる横で、JDは煙草をくわえたまま、カウンターに寄りかかっている。
その後、たっぷり数分は経っただろうか。
ラックラットの緊張は、そろそろ限界だった。
ちらりと目をやると、JDのくわえている煙草は、フィルターまで火が届きそうになっている。
不意に、JDが遠くを見るような目で呟いた。
「お前のようなヘラヘラした奴ってのは、殺しても死なねぇか、あっさりお陀仏か、だ……」 「は?」 わからないという顔をしているラックラットに、JDは吸殻を灰皿に押し付けながら言った。
「イカサマは程々にしねぇと、長生き出来ねぇって事だ」 「なっ……えっ……!?」 ラックラットが必死に隠そうとしていたイカサマの事実は、JDにとっくに見破られていた。
JDはカウンターに酒代として、クシャクシャの紙幣を置くと
「そいつは授業料だ。ありがたく、とっときな」 ごった返す客たちをかきわけ、振り向きもせずに酒場を出て行った。

その背中を見送ったラックラットの頭の中は、疑問でいっぱいだった。
(ありゃ?『授業料』って言うんなら、俺がオッサンに何か払うハズだよな?
……ま、いっか。命拾いした上に、上物の酒まで飲めるん——)
そこまで考えた所でラックラットは蒼くなった。
(……って、まさか!爆薬でも入れやがったんじゃないだろうな!?) 手元のグラスから、JDが去っていった入口に忙しなく顔を向けた。

埃っぽい風の中に出たJDは、荒れ果てたアスファルトの一本道を歩き始めた。
そして、かつて爆炎の中に消えた——いや。自ら爆炎の彼方に葬った戦友の事を思い出していた。
(ずいぶん遅くなっちまったが……約束の酒だ。じっくり味わいな。
……とは言っても、もうお前の酒を飲む口は、あの減らず口ごと吹っ飛んじまったからな。
あの若造の口で我慢してくれ。
——なぁ、まさかとは思うが……あの戦闘の前に、俺が賭けて負けた酒……
そいつを取り戻してぇ為に、あの若造をよこしたんじゃねぇだろうな?
だとしたら、とんだエンジェルだぜ)
その戦友が、手先が器用で、お調子者で、金にうるさくて、ギャンブル好きだった事など、ラックラットには知る由もなかった。

End

イイネ!

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