終幕

「カンパーイッ!」 散り始めた満開の桜の下で、五つの紙コップがカコンと打ち合わされる。
麗かな陽射しが降り注ぐ、春爛漫の剣崎城址公園。 大勢の花見客でごった返す園内で、栄治、忠一、彩、知信、そして鳥井さんたち紫影館の面々が一同に会していた。
店から借りてきたレジャーシートに腰掛けて彼らが囲むものは、鳥井さんお手製の花見弁当の数々だった。
店長から知信に「新歓も兼ねて、お花見にでも行っていらっしゃい」とのお達しがあり、昼間にノンアルコールでという条件付きで今日この日が実現した。
「くっはぁー!花見だ、花見!待ってたぜェ!この瞬間(とき)をよぉ!」 「タダ飯をか?」 食い気丸出しではしゃいでいた忠一に、栄治がきつい突っ込みを入れた。
「う、うっせーな!『花よりタンゴ』だって言いてーのかよ!」 「それを言うなら『花より団子』だ」 「Oh! とてもアミューズメントな組み合わせでス」 「いやぁ、知らなかったよ。雪原君がタンゴを踊ってくれるなんてね。スピーカーでも持って来れば良かったかな?」 いつもの言い間違いを栄治だけでなく、彩や知信までが面白がって拾った。
「はぁ!?カンベンしてくれっスよ、風山さぁーん!」 四人の集中砲火を浴びて、忠一はあっさり根を上げた。
「まぁまぁ、皆さん。せっかくお花見弁当も用意した事ですし、どうぞたくさん召し上がって下さい」 「おーっ!そーだった、そーだった!」 鳥井さんが出した思わぬ助け舟に、忠一は渡りに船と乗り込んだ。
それを期に、皆の意識も弁当へと向く。 四人は、鳥井さんが広げた色とりどりの弁当に熱い目線を注いだ。
小振りで上品な稲荷寿司、香ばしい鯖の胡麻味噌焼き、こんがりと狐色に揚がったチキンナゲット、具沢山な筍と里芋入りの煮物、艶やかな出汁巻き卵、緑が鮮やかな菜の花の辛し和え…。 他にもたくさんの料理が、立派な重箱に所狭しと詰められている。
「ありがとうございます。鳥井さん」 So, Wonderful!(これは素晴らしイ) カラフルでナイスなパケット・ランチでス」 「それでは、お言葉に甘えてご馳走になりますね」 「いったらっきマース!」 栄治、彩、知信が弁当のお礼や感想を述べているうちに、忠一は早くも目当ての食べ物に箸を伸ばしていた。
「うんめぇー!さっすが、鳥井さん!メチャクチャうめーッスよ!」 真っ先に稲荷寿司を頬張った忠一は、紙皿に次々と他の料理を取り分けにかかる。
その流れに、他の面子も続いた。
「それでは、いただきます。鳥井さん」 「どうぞ、どうぞ。ご遠慮なさらずに」 Uh-huh...Tasty!(んー…!美味しいでス!) 「彩。悪いけどそっちの弁当箱、取ってくれないか?」 「Oh! ドウゾ。栄治サン」 あれから、早一週間。
最後の戦いが終わったあと、どうなったのかは誰一人として明瞭に思い出せる者はいなかった。
堀から這い上がり、知信が監察方から預かった印籠で互いに傷の手当てをして、変身を解いた所までは彩が覚えていた。
だが、そのあとの経緯を詳しく知る者はいない。
気が付いたら朝になっており、全員が紫影館二階の宿直室に寝かされていたのだ。
栄治と知信は電話越しに親から朝帰りを叱責されたものの、バイトの夜勤でそのまま泊り込んだからだと上手く言い逃れる事が出来た。
彼らは気付かなかっただろう。
しばらく身を休めた事で動けるようになった監察方が、治療薬である印籠を知信に投げてよこし、その後の成り行きを木立の陰から見守っていた事を。
「…花咲さん?」 料理を味わっていた栄治は、ふと目をやった雑踏に見知った姿を見つけて呼びかけた。
春らしいパステルグリーンのニットと白のフレアスカートを着た望は、いつものようにはんなりと応じてくれた。
「こんにちは。お店の皆さんでお花見どすか?」 「えぇ。そんな所です」 知信も今日ばかりは副店長としてというより、知人として接しているようだった。
「よけれバ、ご一緒ニいかがですカ?」 「おっ!そーッスよ!寄ってらっしゃい、食ってらっしゃい!エンリョは無用ッスよ!」 純粋に季節の楽しみを共有しようとする彩に、忠一は宴に華が欲しいという不純な動機で便乗した。
「おおきに。ほな、今度またお店に春らしいメニューでもいただきに参りますさかいに」 今日は参加出来ないというお断りだった。
角が立たぬよう遠まわしに丁重に断った望の真意を察し、知信はこだわりなく微笑んだ。
「はい。お待ちしております」 「ほな、ごめんやっしゃ」 望は笑顔で会釈すると、ゆったりとした動作で立ち去っていく。
すっと筋の通った後姿を見送った栄治は、彼女を店以外のどこかで見た事があるように思えた。
「ちぇー。ザーンネーン」 望が雑踏の中へ消えた途端、忠一が元から崩れていた姿勢をさらに崩して大袈裟に溜息をついた。
「仕方ないでス。急な招待でしタかラ」 さりげなく、彩が望をフォローする。さすがはレディーファーストのお国柄だ。
「せっかく、華がねぇ宴会が盛り上がると思ったのによー」 忠一の年相応の煩悩に、栄治はウーロン茶を飲みながらチクリと言った。
「それは、こっちの台詞。何が悲しくて、野郎同士で花見なんだよ」 「会社主催のイベントに社員は全員参加。副店長の業務命令だよ、松永君」 そこに知信が割り込んだ。
そう。今日の花見は、知信の提案にタダ飯目当ての忠一と日本文化体験目当ての彩が乗り、鳥井さんの同意と店長の駄目押しで成立した。
栄治は行きたくない訳ではなかったが、あまり長い時間誰かとつるむ事にまだどこか気恥ずかしさがあった。
その照れ隠しが、つい恨み言となって
「職権乱用…」 という蚊の鳴くようなつぶやきに出てきたのだが
「何か言ったかい?」 知信の地獄耳からは逃れられなかった。
この満面の笑みの裏に蠢く腹黒さが表に出ないうちにこの場を治めようと、栄治は力いっぱい否定した。
「いーえ!何も!」 「ところでー、風山さん?」 絶妙なタイミングで、忠一が知信に話を振った。
「何だい?」 「けっきょく、あの河童忍者って何なんだったんスか?」 それば、全員が気になっていた事だった。
知信は「うーん」と顎に手を当てて考える素振りを見せた。…のだが、
「さぁ…?何だったんだろうね?」 あまりにも気のない答えに、会話の意味を知らない鳥井さん以外の全員が、問答無用でずっこけた。
「えーっ!?そりゃないっスよー!」 知信が知らないと言うなら仕方がないと他の面子はあっさりあきらめたが、忠一だけが一人食い下がった。
背中越しに聞こえていた会話に、望が満足げな笑みを浮かべていた事は誰も知らない。
その左腕に巻かれた小紫色の組紐に光る姫珊瑚の玉が、春の陽光をやさしく反射していた。
「そういえば、風山さん。昨日、知り合いの人の寺で『憑代』を供養してもらいましたけど…あれで本当に大丈夫なんですか?」 ふと栄治は、昨日の出来事を思い起こした。
知信が忠一の借金のために紹介すると言っていた弁護士。 その人は知信と同じ大学の卒業生で、実家は寺の住職をやっているのだという。 それを思い出した知信は、依頼のついでに憑代の供養もしてもらうよう話をつけてくれていた。
「あ、あ、姐さん…!?」 待ち合わせた寺の境内で文乃を見た忠一が、うろたえながら発した第一声はそれだった。
当の文乃は、やや意地悪そうにニヤリと笑っている。
「何だい?誰かと思えば、風山が言っていた依頼人ってのは、あんただったのかい。雪原」 二の句が継げないでいる忠一に、栄治と彩が疑問を含んだ目線を向けた。
「雪原?知り合いか?」 「あー…えーっと…な、なんつーか…」 「構わないよ。話してやんな」 言い出せずにいた忠一に、文乃はあっさりと発言を許した。
「姐さんは、ここいらでも有名な『舞羅帝鞠威(ブラッディマリー)』っつーレディースの元総長でよ。特殊警棒持たせたらガチの常勝無敗で、ついたアダ名が『シャフトのミーノ』。俺がいた『裏番』でも前に何人かボコられたヤツがいたらしくて、『遭ったら絶対逆らうな』って総長からも念押しされてた人…」 「え゛…!?」 She is a street gang!?(この方が,ストリートギャング!?) 忠一から告げられた文乃のとんでもない経歴に、栄治と彩は驚きを隠せなかった。
こういった反応には慣れっことでも言うように、文乃はからからと笑ってみせた。
「あっははは!安心しな。昔の話だよ。とっくに足洗って、今じゃマジメなノキ弁さ」 「『ノキ…?」 「『軒先弁護士』の略称だね。その名の通り、法律事務所に間借りして自力で営業をしているフリーランスの弁護士の事だよ」 聴き慣れない用語に戸惑った栄治に、知信が助け舟を出した。
「家のゴタゴタとか契約がらみで困ったコトがあったら、いつでも相談においで。風山の友達割引で、安くしといてあげるよ」 そう言いながら、文乃は栄治と彩に名刺を渡す。こんな場面でも、営業に余念がない。
「あ、どうも」 「Oh! 日本の法律の専門家(ロイヤー)と知り合えて、とても心強いデス」 物珍しげに名刺を見つめる栄治と、思わぬ人脈に目を輝かせる彩の横で、文乃はぎこちなく固まっている忠一に呟いた。
「へぇ…。あんたにカタギのダチかい?」 「あー、なんつーか…そうッスね…」 「よかったじゃない。せいぜい、大事にするんだね」 「押忍…」 文乃に念を押されて、忠一は噛み締めるように返事をした。
「よし」と微笑んだ文乃は、続いて知信に向き直った。
「しっかし、弁護士としての依頼はともかく、寺としての依頼まで持ってくるとはね。風山も人使いが荒くなったもんだよ」 「いえいえ。お代の分だけきっちり仕事をしていただければ、それだけで充分ですよ」 「はいはい。『有料だから文句を言うな』ってコトでしょ?」 「滅相もない。古道具屋で、つい買い過ぎてしまいましてね。処分に困っていた所です。助かりますよ」 「わかったから…。ほら。よこしな」 依頼の品を渡すよう文乃に促され、知信は浅黄色の鮫小紋の風呂敷包みを差し出した。中には、栄治たちから預かっていた全員分の憑代が納められていた。
「それでは、お願いします」 「あぁ。親父に頼んで、きっちり供養してもらうよ。これに懲りたら、骨董品にホイホイ手を出さないコトだね。古い物ってのは、誰かの強い思いが残ってるもんだっていうからね」 『誰かの強い思い』——
何気なく言われた言葉に、知信、そして栄治たちも憑代に惜別の情を感じていた。
「えぇ…。肝に命じておきます…」 「うん。回天狗党の憑代はもう原形を保てないほど劣化していたし、僕たちの憑代はあれから一度も発動しなかった。憑代に残っていた彼らの未練は、もうなくなったと見ていいと思うよ。お寺での供養は、いわば駄目押しかな」 確かに、知信の言う通りだった。全員の憑代はあの夜の戦いを最後に、二度と呼びかけてくる事はなかった。
「なら、いいんですけど…」 「もしかして、少しもったいなかった…とか?」 正直、栄治も鉢金を手放した時は、我が身を切られるように名残惜しかった。 同時に、どこか身が軽くなったような気持ちもあった。
きっと、成仏する瞬間の亡霊たちもこんな心境だったのかもしれないと栄治は思った。
「雪原の奴なんか、それで丸一日駄々こねてましたからね。まぁ、『嫌なら弁護士の紹介料を全額請求する』っていう風山さんの脅しで黙りましたけど」 「『脅し』だなんて人聞きが悪いなぁ。早急かつ穏便に取引きをしただけだよ」 「…怖」 今度は栄治の失言を聞きとがめる事なく、知信は遠くを見るように目線を上へ泳がせた。
「僕たちにはもう、あの『力』は必要ない…。『力』は必要な時にだけあればいい。危難が去り、行き場を失った力は、大抵良くない事を招くものだよ。必要のない時には、忘れられているべきだと思うんだ」 知信は、栄治とそして自分自身にも言い聞かせるように、とつとつと語った。
「…そう、ですよね」 これでよかったという大きな安堵の中に、一時期を生死さえ共にしたものがこの手に戻る事はない一抹の寂しさ。 それらを受け入れた時。 なぜか栄治は、目の前にある時間が唐突にいとおしく思えた。
「忠一サン、オーバーイートでス。それでハ、フーズのテイストがワカリマセン」 「いーじゃねーかよ、彩!うめーもんは、うめーんだからよ」 「ハハ…。ウーロン茶は冷たいのも温かいのもありますから、喉につかえたらいつでもどうぞ」 「ぅお…。鳥井さん、キッツー…。なんか、風山さんに似てきたんじゃないスか?」 「光栄だね。褒められたと思っておこうかな」 「げっ!出た!風山さんの暗黒スマイル…!おい、彩ー!へるぷ、へるぷみー!」 「わかりましたカ?パーティはフーズ、トーク、ヴューをエンジョイするものでス」 宴会はわいわいと続く。
栄治は、今ここに流れている和やかな空気に、知らず知らず目を細めていた。

忠一が、卵焼きを目一杯頬張っている。
彩が、料理を取り分ける鳥井さんを手伝いながら談笑している。
知信が、それを見ながらコップを傾けて微笑んでいる。

思えば、『紫影館』に出会ってから——いや。あの『鉢金』を拾ったその日から、ありえない事が一遍に押し寄せて来るようになった。
昨日を今日も繰り返すようだった退屈な毎日は、時には命も賭けた戦いと目まぐるしい騒動の日々に一変した。
(やっと…終わったんだな) 今では、あの時間がなぜか懐かしい。
そして、以前の『退屈な』日常が戻って来た事に心の底からホッとしていた。
(もう、あんな死ぬような思いはごめんだ。だけど…) ふと見上げた晴れ晴れとした青空に、白い雲と桜のコントラストが美しく映える。
(あんたたちと戦えて、よかったよ) そこまで思った所で、栄治の中で何かじんわりとにじみ出て来る思いがあった。
「風山さん…」 「何だい?」 何気なく、栄治はその思いを口にしていた。
「俺…新選組の事、もっともっと知りたい。どんな人たちだったのか、どんな事をしたのか、どんな時代を生きたのか…。あの人たちが何を見て、何を考えて、どう生きて、どう死んだのか…。もっと、よく知りたいんだ」 「…いい心がけだね」 知信は、いつものようにニッコリと微笑んだ。
「きっと、喜んでくれるんじゃないかな。彼らも…」 春の穏やかな風に、薄紅色の雪がやさしく舞い踊っている。
幕末の剣士たちが還っていった空の下で、彼らはこれからも生きていく。
あの在り得ざる戦いの果てに受け取った『何か』に彼らが気付くまで、そう時間はかからないように思えた。