命のかたち〜沖田総司〜

(ん…朝か…?) 目が覚めるたびに見ている天井。
それなのに、ちっとも馴染めない。
(ここは…どこだったけ…?) 不意に扉が開いて、誰かが入って来た。
(…あぁ、そうか。ここは…) 「沖田」 「あぁ、松本先生。おはようございます」 幕府典医の松本良順先生だ。
私は今、この人の家でお世話になっている。
松本先生とは、四年ほど前に縁が出来た。
隊士募集のために近藤さんが江戸へ戻っていた時に知り合ったらしい。
その後は、京の屯所へ往診に来てくれたり。
墨染めで怪我をした近藤さんを診てくれたり。
大阪から引き上げて来た私たちを援助してくれたり。
本当に色々と良くしてくれた人だ。
「夕べは、よく眠れたか?」 「はい」 「今朝の具合は?」 「大丈夫ですよ。何ともありません」 「その顔でか?」 松本先生の手が、ぺたりと額に乗せられる。 「まだ熱が下がらんな」 「だから、大丈夫ですって。これくらいの熱…」 「大丈夫かどうかは、医者が決める事だ」 また言われてしまった。
いつもこうだ。
松本先生は、御典医という身分に拘わらず気さくに接してくれた。
そのくせ江戸っ子気質で、言いたい事はズバズバと言う。
今の私にはそれが心地よかった。
少し前に、近藤さんと土方さんが見舞いに来てくれた。
でも…
「総司。俺たちは、甲州へ行く事になったぞ」 「甲州へ…?」 「西軍から城を守る事が出来たら、近藤さんを大名にしてくれるんだと」 「へぇ、すごいじゃないですか」 「西軍を蹴散らせば、俺は晴れて十万石の大名だ!
その暁には…歳に五万石。総司、お前には三万石やる!」
「期待してますよ。私が合流するまで、二人とも頑張ってください」 本当は嬉しいのに、素直に喜べなかった。
いつもは使わない気を使う二人が、私にはひどく遠い存在に見えた。
私のためにしてくれているのは、充分すぎるくらいわかっている。
でも、皆の輪の中に入れなくなった事がただただ無性に寂しかった。
「沖田」 「…あ、はい」 自分でもわかるくらい嗄れた声で、私は答えた。
「何度も言うようだが無理はするな。治りたかったら、しっかり養生する事だ」 「何度も聞きましたよ。わかってます」 「わかっているなら、出された食事くらいちゃんと食べろ」 「油っこいものは嫌いなんですよ」 「全く、子供みたいな事を言うな。…じゃあ、また来る」 松本先生が部屋を出ると、私はまた一人になった。
(一人…ひとり…独り…) 誰かに居て欲しいのに、誰にも来て欲しくない。
我ながら、矛盾している。
ジワジワと病魔に蝕まれていくのが心細くて仕方ない。
それなのに、こんなやつれた顔を誰にも見られたくないと思う自分がいる。
…まぁ、いいか。
難しい事は考えないって決めたんだ。
どんなに考えたって、答えが出るわけじゃないし。
今は、望みどおりやってたきた独りの時間を静かに過ごそう。
独りが嫌になった頃、また松本先生が診察に来てくれるだろう。
でも、それは長く続かなかった。
「沖田。お前さんの病気は、他に感染する恐れがある」 一瞬、松本先生は言葉を詰まらせると
「ある場所に隔離する事になったが…耐えられるか?」 と聞いてきた。
(本当に一人になるんだ…) そう思いながらも
「大丈夫です」 と、私は笑って答えていた。
熱っぽくて気だるい意識の中、私は駕籠に揺られて浅草から千駄ヶ谷に運ばれた。
鬱蒼と樹が生い茂る、庵のような家だった。
そこには、日野から姉上が来てくれるようになった。
「久しぶりね。思ったより元気そうじゃない」 「無理しなくていいですよ。ひどい顔色なんでしょう?」 「そんな減らず口がたたけるなら、大丈夫ね!」 懐かしかった。
もう二度と帰れないと思っていた江戸に、自分は今確かに居る。
そう実感した。
そういえば、姉上が話してたっけ。
『人も、動物も、草木も、みんな命のかたちの一つなのよ』 あれは…父上が死んだ時。
私はまだ九歳だった。
『みんな、いつかは仏様の所に還って、また新しいかたちで生まれてくるの』 河原で独り泣いている私を慰めようと、姉上は後を追いかけて来てくれた。
『だから、きっと…きっと、いつか…』 そして、自身も涙にむせびながら、私をそっと抱きしめてくれた。
途中で途切れた姉上の言葉。
何て言おうとしていたのか、その続きがずっと気になっていた。
でも、今ならわかる。
『きっといつか、父上にも会える』 そう言いたかったんじゃないかな。
また、違ったかたちで生まれ変わった父上に…。
でもね。それじゃあ意味がないんですよ、姉上。
私が会いたいと思っていたのは、あの姿のままの父なんです。
別のものになってしまったら、それはもう私が知っている父じゃない。
私自身にしても、そうだ。
沖田総司という命のかたちが無くなってしまったら、それはもう私じゃない。
ふと、枕元に置かれた刀に目が留まる。
そう。剣が握れなくなった私は、もう以前の私じゃない。
新選組一番組長としてならした沖田総司じゃない。
(じゃあ、私は…この私は一体、何だ?) 答えを求めるように、這いずって刀に手を伸ばした。
鞘の冷たい手触りに、ぬるりとしたものが雑じる。
血だ。
それも、今まで自分の口から吐き出してきたものじゃない。
かつて京で何度も浴びてきた、どす黒い返り血だ。
『人斬りめ…』 いつか倒した浪士のうめきが聞こえる。
私は、かつて手にかけてきた者たちの断末魔に囲まれていた。
『人殺し!』 彼らにも、それぞれの命のかたちがあった。
『よくも…よくも…!』 でも、私がそのかたちを斬り捨てた。
『あの世から…呪って…や…る…!』 今度は、私がこのかたちを捨てる番なのか?
「総司!」 姉上の呼びかけで、私は恐ろしい幻から解放された。
「どうしたの?大丈夫?」 「姉上…私は…私は、もう死ぬんでしょうか?」 「そんな事を言っていたら、治る病気も治らないわよ。少しお休みなさい」 「…はい」 私という命のかたち。
私でいられる、この瞬間。
それらが、こんなにも喪いたくないと思えるなんて…
そうだ。
負けてたまるか。
近藤さんと土方さんは、今もどこかで戦っている。
永倉さん、原田さん、斎藤さんも、西軍と刃を交えているに違いない。
…山南さん、平助、源さん。
悪いけど、私はまだまだそっちには行かないよ。
たとえ、人殺しと罵られても、血で汚れきっても、私は病では死なない。
今まで私は、近藤さんのために戦ってきた。
親を亡くして厄介払いされた私を拾ってくれた。
剣に生きる道を示してくれた。
その恩を返したくて戦ってきた。
この先も戦う事しか出来ないのなら、そうするまでだよ。
“新選組の沖田総司”だった私を、必ず取り戻してみせるから。