彼の家の話

「…いい加減、機嫌を直せ」 「えぇ。今すぐ中屋敷長屋にお戻りになれば直りましょう」 「……」 つんと拗ねた少女の横で、頭を抱えた青年が呻いた。
ここは、浅草観音境内の伝法院付近に軒を連ねる二十軒茶屋。
正月明けの寒空の下、今日も大勢の参拝客と「御福(ごふく)の茶まいれ」と威勢よく呼びける客寄せで賑わっている。
そのうち一軒の水茶屋で、少女と青年は縁台に隣り合って座っていた。
少女の方は、歳の頃は十五、六ほど。振袖に揚げ帽子を被った整った身なりと言葉遣い、中年の奉公人を傍に控えさせている事から武家の娘とわかる。
青年の方は、短身痩躯の童顔ながら歳は二十歳を過ぎていた。腰には大小。小袖と袴はくたびれて浪人のようだが、着付けと髷はきちんとしており、そううらぶれてはいない。
少女の横には、食べ終えた団子の串が皿に二本。二人の手にある湯飲みからは、湯茶の熱い湯気が立ち昇っている。
しかし、二人の間には冷たい隙間風が吹いていた。
いつまで経っても折れてくれない青年の態度に、たまりかねた少女が切り出した。
「今からでも遅くありません。
父上様と母上様にお詫びなされませ。お帰りになれば、お二人ともきっと喜ばれます。
帰参についてには、御家老の下国様が上手く取り計らってくださるはずです」
「…俺はとうに脱藩した身だ。
公方様の警護の為に上洛する事も既に決まっている。悪いが、帰るつもりは無い」
ああ云えばこう云う。
青年は、少女の言葉に一向に耳を貸そうともしない。
ならば…と、少女は青年が聞き分けそうな相手の名前を出してみせた。
「これ以上意地を張るなら、いっそ岡田先生にご相談します」 「よせ…!それだけはやめろ…!」 ついさっきまで涼しい顔を決め込んでいた青年が、途端にうろたえる。
“岡田先生”とは彼の師匠・岡田十松の事で、神田の表猿楽町にある神道無念流の道場『撃剣館』を預かる剣術家である。
青年は八歳からここの門下生で、この厳格な師匠に頭が上がらなかった。一方で、師匠がつけてくれる厳しい稽古は、藩邸での退屈さを忘れるほど充実感に満ちていた。青年はそんな師匠を尊敬していたし、好きなだけ剣術に打ち込める道場は居心地の良い場所だった。
しかし、その挙句に家を飛び出したと知れれば、烈火の如く怒った師匠に首根っこを引っ掴まれて連れ戻されかねない。
青年の狼狽振りに少しだけ気を良くしたのか、少女はあっさりと前言を翻した。
「…嘘です。そこまでご迷惑をかけたとなれば、父上様の胃の腑に穴が空いてしまいます」 少女としては、青年に自分がどれだけの事をしでかしたのか自覚を持って欲しかった。
それを知ってか知らずか、青年は 「助かる…」 と、ほっと息をついた。
「どうあっても、お戻りになる心算(つもり)は無い…と?」 「雑務に追われ、文書(もんじょ)に埋もれ、上役にぺこぺこと御機嫌伺いする一生など俺は御免だ」 「つまらない理由ですこと」 「だろうな」 相変わらずつれない返事をする青年に、少女はだんだんと腹が立ってきた。
「もしこのまま兄上が出奔されたら、長倉の家はどうなるのですか!?」 「まち…」 「兄上には、跡取りの自覚がなさ過ぎます!ここで我が家が絶えるような事になれば、皆に申し訳が立たぬと思わないのですか?」 長倉家は百五十石取の定府——江戸屋敷常勤の家で、この浅草から程近い下谷三味線堀にある松前家中屋敷の侍長屋に居住していた。
主君は蝦夷地に所領を持つ松前藩三万石第十二代藩主・松前崇広。開明的な西洋通で、外様大名でありながらのちに幕府老中に抜擢される事になる人物である。
青年——永倉新八は妹である少女——“まち”の剣幕に、困ったように頭を掻きながらも口を尖らせた。
「…浅草の呉服商上がりの我が家など、そう大層な家でもあるまい」 兄の口から出た“暴言”とも云える物言いに、まちは「信じられない」とばかりに目を見張った。
「それ絶対に父上様に言ったら駄目ですよ!」 「言えるか!あの生真面目だけが取り柄の父上だ…。『其方を殺して儂も死ぬ』とか言い出しかねん」 「ま!剣術だけが取り柄の兄上にだけは言われたくありません!」 「あぁ、そうかい!悪かったな!」 売り言葉に買い言葉。身内同士なだけに、熱くなるとつい遠慮が無くなってしまう。
やがて「何だ何だ?」「お武家のお嬢さんが喧嘩か?」と云う野次馬の視線に気付いた新八が、はっとして声の調子を落とした。
「…確かに、言葉が過ぎた。すまぬ」 「…そうですよ」 衆目を集めたはしたなさから、まちも兄に合わせて声を潜めた。
気まずさを誤魔化すように、二人は揃って湯茶を啜った。その所作がさも似たりと感じさせるあたり、やはり二人は兄妹と云えた。
「だが、よく考えてもみろ。
主家・松前様は元より、蠣崎様やら下国様やら戦国以来の御家がごろごろおられる家中だぞ。
我が家は、宝暦の頃に御用商人だった曽祖父(ひいじじ)様が、時の御主君・資広候にお取り立ていただいた新参者…。
戦働きで召抱えられた訳ではないし、役方である以上、番方のように剣を振るう機会もない」
新八の言う事も尤もだった。
二人の曽祖父に当たる長倉貞義は、元の名を長倉屋長左衛門と云い、浅草で呉服屋を営む松前藩出入りの御用商人だった。
武家は、やはり武功で認められてこその武家。番方は、その武功を以って召抱えられた先祖を持つ家が多い。
対して、役方は勘定や人事など、どれほど重要な役職にあろうと所詮は裏方扱い。戦場(いくさば)に出ない者の地位など、武家社会では低いものだった。
しかし、まちも負けてはいない。毅然と兄にこう言い返した。
「ですが、元和偃武以来、世は天下泰平。戦働きだけが武家の誉などと云う時代ではないのでは?
僭越ながら、父上様は定府取次役の御役目を日々立派に果たされています。
兄上の脱藩が“構いなし”で済んだのも、御家老様の覚えめでたい父上様のお働きがあればこそです」
二人の父である長倉勘次は、“江戸定府取次役”と云う御役目に就いていた。
参勤交代で、藩主は大勢の“江戸詰”家臣を伴い、国許と幕府のお膝元とを行き来する。その江戸屋敷において、家老などの上級家臣と目通りする者との取次をしたり、儀礼式典や進物の披露をしたりする仕事であった。
上役や客人への気配りは勿論の事、段取りや作法にも厳密さを求められる。
そんな難しい勤めを忠実にこなす父の背中を見ながら、まちは育った。
裏方が戦働きに劣っている事などない。互いが力を合わせて、御主君をお支えする事こそが家臣の務めである。常々そう語る父を、まちは心から尊敬していた。
「そもそも、曾祖父様の娘…私たちの大伯母上様も、和歌の才を見込まれて資広候の御側室に上がられています。
あの“松前の丸山応挙”と謳われた蠣崎波響は大伯母上様の四男に当たるお方で、御家老としても松前家の移封処分を見事に覆すお働きをされたではないですか。
役方だからと云って、一体何の不足がありましょう?」
幼い頃より母から繰り返し聞かされてきた先祖の功績の数々は、まちにとっても誇りだった。
蠣崎波響は本来の名を広年と云い、二人の従伯父(じゅうはくふ)に当たる。
第七代藩主・松前資広の五男に生まれ、一門の蠣崎家へ養子に入った。年若くして画才に目覚め、円山派の祖・丸山応挙や岸派の祖・岸駒を始めとする名だたる文人墨客と交流。“御味方蝦夷”と呼ばれるアイヌの族長の姿を描いた『夷酋列像』は、時の帝・光格天皇による天覧の栄誉を受けている。
また、魯西亜を始め外国船が度々現れる蝦夷地を領有するが故に「松前家は外夷と通じている」などと幕府にあらぬ讒言をされ、移封の名目で所領没収の憂き目に遭う事が度々あった。その危機に際し、波響の絵画や人脈が大いに役立ち、松前家はわずか一年程で旧領復帰を勝ち取っている。
そして、才色兼備を認められて時の藩主・資広の側室にまで選ばれた大伯母の勘子(さだこ)は、同じ女子(おなご)であるまちにとっても憧れてやまない存在だった。
それなのに、肝心の兄には何故この心が伝わらないのか。まちには到底理解出来なかった。
「残念だが、俺に侍奉公の才は無い」 「それは兄上が、父上様からの手習を真面目に受けてこなかったからでは?」 「悪かったな」 むくれてそっぽを向いた兄を見て、まちは「あぁ、こう云うところなのだ」と思った。
兄には、どこか愛嬌があった。
悪戯喧嘩を繰り返す。道場通いでそれも治まったかと思えば、今度は手習を放り出す。浪人と付き合い、町方の伝法な振る舞いに染まる。兄の所業は数知れない。
それでも妙に素直なところがあって、どこか憎めないのだ。
(ずる)い…」と、まちは独りごちた。
あれだけの事をしでかしておいて周囲から恨まれずにいられるのは、父が藩内で築いた信用はもとより、兄自身の気質なのかも知れない。
「やはり、父上様は兄上を甘やかし過ぎたのです。
私は行儀見習で叱られてばかりなのに、兄上は長屋で暴れようと道場に転がり込もうとお咎めなし。不公平です」
「別に、お咎めがなかった訳ではない。
ある時など、父上が『蕎麦でも食おう』とでも言う調子で『死んで詫びよう』と脇差を取り出して来られて、肝が冷えたどころか凍りついたぞ」
当時七歳の腕白盛りだった新八は、藩邸長屋で働く奉公人たちに悪戯を仕掛けて彼らの仕事の邪魔をしてしまった。その苦情が江戸家老・下国の耳に入り、父である勘次がお叱りを受ける破目になった。
父からすれば、血の気が引くような失態である。当然、幼子とは云えそれなりの罰を与えなければ、周囲に示しが付かない。生来繊細な父は、この時ばかりは心を鬼にした。
その結果が、先の話と云う訳である。
まちが生まれる前の出来事ではあったが、奉公人の間ではちょっとした語り草になっており、それは自然と彼女の耳にも入ってきていた。
「伊兵衛から聞いています。
奉公人を遊び相手と勘違いして悪巫山戯(わるふざけ)をするなど、日頃より家中のお付き合いに心を砕いておられる父上様がどれほどお怒りになる事か。
七つの時分の無分別とは云え、兄上の自業自得でしたね」
「あぁ。そうだな。俺の自業自得だったな」 そんな昔話で誤魔化されないとまちは投げやりな返事をし、看破された新八もやはり投げやりな返事をした。
「大体、兄上も兄上です。ご自分に母上様が甘い事を知っていてやりたい放題…」 「人聞きの悪い事を言うな」 母の利恵子は息子の気性に頭を抱えつつも、最後には好きにさせていた。それをいい事に兄は好き勝手な振る舞いをしていると、まちには思えて仕方なかった。
しかし、である。もし母がもっと厳しく口喧しい気質だったとして、新八が果たして大人しく従っただろうか。 答えは否である。 「秀松兄上が生きておられれば、母上様があれほど過保護になる事もありませんでしたし、兄上などただの“暴れ者の次男坊”で終りでしたのに…」 「それは俺も何度思ったか知れん。ただの次男坊であれば、もっと容易に家を出られたものを…」 そこまで言いかけて、二人は押し黙った。
幼くして病で亡くなった長兄の話は、家では絶対の禁句だった。
うっかり口に出そうものなら、父は通夜のような沈んだ顔になり、母は仏壇の前で日がな一日すすり泣いた。
「…今更言っても、詮無い事でしたね」 「そうだな。詮無い事だった…」 まるで、今は亡き長兄の所為にしているような居心地の悪さを覚えた二人は、どちらともなくこの話題を止める事にした。
「…それにしても。やはり、おかしいです。我が家は代々、文人と能吏を輩出してきた家系。
…と云うのに、何故兄上のような剣術莫迦が生まれるのでしょう?」
「“莫迦”は余計だ」 何気なく発した『剣術』と云う言葉から、まちの中で唐突に閃くものがあった。
「…まさか!母上様のご生家が、"あの"柳生家御一門だからでは…!?」 まちの口から出た突拍子もない物言いに、新八は解せるような解せないような複雑な気分になった。
「それ絶対に母上に言ったら駄目だぞ」 「言えるものですか!責任を感じられて、床に伏しかねません」 柳生家とは、言わずと知れた将軍家剣術指南役であり、大和国柳生藩を預かる一万石の大名家である。
二人の母は、柳生藩藩主の親戚筋に当たる家老職の娘であった。
柳生家は松前家と代々姻戚関係にあり、母もその縁で父の許へ嫁いできた。
しかし、と新八はまちに釘を刺す。
「まち、お前…。天下の柳生の剣を捕まえて、“莫迦”呼ばわりとは…」 「“莫迦”は柳生でも剣でもなく、剣術に気触(かぶ)れた兄上だけです」 「おい…!?」 「本来であれば、母上様から柳生の叔父上様を通じて、新陰流への入門をお頼みする事も出来た筈です。ですが、父上様はそうはなさりませんでした。
わざわざ下国様を通じて岡田道場に通わせたのは、兄上が早々に音を上げる事を期待しての計らいだったのですよ?」
「父上のお考えはそうだったのであろうが…まぁ、あの頃は剣術が出来るのなら、何処であろうとどうでもよかったからな」 「そのような手前勝手さが、兄上の駄目な所なのです。『親の心子知らず』ですね」 「悪かったな」 「わずか八つの子供が、小一時間も離れた道場に日の出から夕刻まで毎日通い詰めていたなど、考えてみればどうかしています…!血は争えないとしか思えません」 「柳生に生まれたならいざ知らず、我が家はあくまでも“その縁者”だぞ?“血筋”と云うには、無理矢理が過ぎる」 「ですが、そうでもなければ辻褄が合いませぬ」 「俺は異物扱いか…」 さすがにそこまで言われると、新八も少しばかりへこんだ。
こうは言いつつも、まちは決して兄が嫌いではなかった。もちろん、両親も同じかそれ以上に一人息子を気にかけていた。
それでも、細やかで生真面目な父と、情が深く心配性の母からすれば、息子の我武者羅さは誰に似たものかと扱いに困るのが常だった。
「おまち様」 それまでじっと控えていた奉公人の男——伊兵衛が口を開いた。
中間(ちゅうげん)の身でこのような事を申し上げるのは差し出がましく存じますが…
お血筋は、関係ないのでは御座いませんでしようか?どのような御家にお生まれになろうと、若旦那様は若旦那様です」
「伊兵衛…」 新八は虚を突かれたように伊兵衛を見やった。
伊兵衛もまた長倉家に代々仕えてきた中間という武家奉公人で、新八の事も生まれた時から知っている。
そんな伊兵衛が『血筋は関係ない』『若旦那様は若旦那様』と言った事が意外でもあり、心なしか嬉しかった。
しかし、その直後
「親不孝なのも甲斐性なしなのも、(ひとえ)に若旦那様のお人柄です」 と云う唐突な直言に、新八は小石をぶつけられたような気分になった。
「親不孝はともかく、甲斐性は今関係ないだろう…!」 「いいえ。跡取りともあろうお方が御家を妹君に押し付けようなど、甲斐性なしにも程が御座います」 伊兵衛の言い分は、一字一句が図星であった。
図星であるだけに、改めて言われるとむっとするものがあった。
「…言ってくれるな」 他に客もいる場所柄、新八は平静を装ったが目が据わっている。どころか、完全に伊兵衛を睨み付けていた。
しかし、そこは長年この兄妹に仕えてきた伊兵衛である。怯む事なく、すらすらと意見を述べてみせた。
「えぇ。今日と言う今日は、言わせていただきます。
若旦那様の無軌道・無鉄砲には、旦那様も奥方様もどれほどご苦労をされてきた事か。
お屋敷の長屋を暴れ回り、上役のお子と喧嘩をされるたびに謝りに行かされた私共の身にもなっていただきとう御座いました」
「だから、それは『悪かった』と何度も——」 伊兵衛にまで子供盛りのしでかしをあげつらわれ、さすがに新八も嫌気が差してきた。
早々に話を切り上げようとした新八に、伊兵衛はなおも食い下がった。
「よろしいですか、若旦那様?
今の京は不穏の極みにて、賊徒の凶行により血の雨が降る末法の様相とか…。
如何に若旦那様が手練れなれど、長屋や道場で暴れ回るのとは訳が違いまするぞ」
「お主に言われずとも、わかっている」 そう言う新八は、神道無念流免許皆伝の実力者である。
しかし、真剣で人を斬った事が無い以上、所詮は道場試合の強さに過ぎない。そう気付いた彼は、いざと云う時に通じる技量が欲しかった。 それを求めて、戦剣法と名高い天然理心流の門を叩いた。
牛込柳町にあるその道場は『試衛館』と云った。
そこには他流派の客分が何人も出入りしており、腕を磨くには絶好の場だった。 客分の中には読書を嗜む論客も居て、道場では門人・客分を問わず稽古に励み、また当世流行りの国事を侃々諤々(かんかんがくがく)と論じ合った。
何より、豪放磊落で気の良い師範と、年下にもかかわらず自分と同等以上の実力を持つ塾頭の存在が、新八の心を一層弾ませた。
彼らとなら、何か大きな事が出来そうな気がした。そこには、自分が全てを賭けて磨いてきた剣を活かせる機会がきっとあるに違いない。そんな確かな予感もあった。
しかし、伊兵衛が言わんとしているのはそう云う事ではなかった。
「いいえ。わかっておられませぬ。
わかっておられるのなら、何故旦那様にご挨拶に来られませぬ?
若旦那様は、いわば戦場(いくさば)に向かわれるようなもの。今生の別となるやもしれぬなら、親にこれまでの礼を延べ、義理を果たされるのが武士の…いいえ。人の子としての礼儀かと存じます」
「それは…」 伊兵衛の言い分には道理があった。
言い淀んだ新八に、伊兵衛はさらに追い討ちをかけた。
「私を通じてこそこそと小遣いをせびりに来られるくらいなら、旦那様としかと向き合われるべきかと——」 「伊兵衛…!余計な事を言うな…!」 脱藩した彼は、いわば浪人の身。当然、藩からの禄を食む資格は喪失している。
武家の子が金銭絡みで悶着を起こしてくれるなと、母は機嫌伺いに訪れる息子に度々小遣いを渡させていた。
日頃は出稽古を手伝ったり、用心棒や人足の真似事をして日銭を稼だりもしているが、充分とは云えない。
その上、道場の仲間と連れ立っては深川あたりの花街に繰り出し、ぱっと使ってしまう事もしばしばだった。
江戸の男であれば誰もが覚える遊びである。とは云え、嫁入り前の妹に聞かせるものではない。慌てて話しを遮ったが、時既に遅しであった。
「…よくわかりました。もう結構です」 初めて聞くまちの重々しい口調に、新八も伊兵衛もひやりとして静かになった。
まちは新八に向き直ると、正面を見据えて言い放った。
「長倉家は、この私が継ぎます!兄上など足元にも及ばない立派な婿をとってみせます!
ですから、どうぞ兄上は京でも何処へでもお行きになってください」
新八は勿論、伊兵衛までもが呆気にとられた。
家に生き方を縛られるのを嫌って飛び出した兄に対して、妹は自らその家に縛られてやると言う。
さらに婿をとるとなれば、もし好ましい嫁ぎ先に出会ったとしても断らねばならない。
さすがの新八も、妹にそこまでの不自由を強いるつもりはなかった。
「いや、待て!まち、早まるな。
かような真似をせずとも…そうだ。嘉一郎殿にでも頼めば——」
新八は咄嗟に、従兄弟の名を出した。父方の伯父夫婦の娘と縁組したばかりで、いわば長倉家の本家筋になる。
「妹君どころか、従兄弟様にまで押し付けられるお心算だったとは…。
いよいよ(もっ)て、若旦那様の甲斐性なしも極まれりで御座いますな」
「うん。伊兵衛はしばし黙ってくれ」 まちを援護するように容赦無く口を挟む伊兵衛を、新八は「勘弁してくれ」とばかりに制した。
「…兄上は、とんだ思い違いをされています」 まちの口から、乾いた笑いがこぼれた。
「まち…?」 兄は家を捨てようとしている癖に、家に残る妹を案じている。そんな気遣いが、嬉しくもあり、腹立たしくもあり、滑稽でもあった。
「勝手に出ていかれる兄上に、私の身の上をどうこう言われる筋合いはありません。
兄上は、お好きになさるのでしょう?なれば、私も好きにさせてもらいます」
まちにきっぱりと言われて新八は返す言葉に窮したが、やがて 「…そうか。そうだな」 と胸が晴れたように呟いた。 「俺は、生きたいように生きる。…であれば、お前も生きたいように生きるのが道理だ。俺の指図を受けるいわれはないな。…伊兵衛」 「……」 だんまりを決め込む伊兵衛を見て、新八は自分が発言を禁じさせていた事を思い出した。
「うん。もう喋ってもいいぞ」 「…嫌で御座います」 いじけたようにそっぽを向く伊兵衛に、新八はいつになく穏やかな口調で言った。
「まちを頼む。父上と母上の事も…」 「嫌で御座います」 なおもそっぽを向いたままの伊兵衛を前に、新八は複雑な笑みを浮かべた。そこには、この忠実な奉公人への信頼と申し訳なさが綯い交ぜに込められていた。
「そう言うな」 「嫌で御座います…!」 思わず語気を荒げた伊兵衛は、ずいっと洟を啜った。
「『へい』と申し上げたら…若旦那様は、行ってしまわれます。
十九で御家を飛び出されて以来、旦那様も奥方様もおまち様もどれほど…どれほど…」
伊兵衛は、己の無力さが悲しくなった。
両親はもとより、歳の離れた妹や奉公人の自分にここまで言われても、新八はまるで聞き入れない。
一体、何が彼をそこまでさせるのか。伊兵衛には、もうわからなくなっていた。
「伊兵衛。行きますよ。
もう長倉家に兄上の席はないものと心得てもらわなくては…。家を捨てるとは、そう云う事です」
「…へい」 まちの冷たい口調から、兄妹の話し合いが物別れに終わった事を悟った伊兵衛は、水茶屋の代金を払いにその場を離れた。
まちはもう新八の顔を見ようとはしない。兄を家に連れ戻す…その思いを断ち切らんとする覚悟からだった。
妹の「先に帰るように」と云う意思表示に、新八は素直に従って席を立った。
「甲斐性のない兄で、すまぬな」 静かにそう言い残すと、彼は参道へと歩き出した。
まちは「あぁ、こう云うところが本当に狡い…」と腹立しく思った。
父にどれだけ叱責され、母にどれだけ泣いて頼まれ、妹や奉公人にどれだけ言い負かされても、兄は自分の生き方を変えようと思ってすらくれない。
その癖、己の非を認める事にはこだわりがなく、拍子抜けするくらい素直に謝ってみせたりもする。
故に嫌いになれない。嫌いにもさせてくれない。
そんな兄をこのまま行かせたくない。一言言ってやらなければ、とても気が済まなかった。
まちは伊兵衛を待たずに席を立つと、新八を追って参道に飛び出した。
「兄上!」 呼び止められた新八が、何事かとこちらを振り返る。
まちは焦った。
言いたい事はたくさんあった。たくさんあり過ぎて、胸につかえて上手く出て来ない。
何か…何かを言わなければ…兄がもう行ってしまう。
「…御武運を!」 ようやく絞り出したのは、あまりにも武家らしく、あまりにもありきたりな言葉だった。
あぁ、如何して大事な場面で上手い事を言えないのだろう。まちは、自分の未熟さがもどかしかった。
そんな妹の歯痒さを素知らぬ顔で受け止めつつも、新八はあっさりと別れを告げた。
「お前も…お前たちも、息災でな」 そこへ勘定を済ませた伊兵衛が戻って来ていた。
まちは新八が歩いて行く先を見つめたまま、伊兵衛に言った。
「…伊兵衛。礼を言います」 元はと云えば、すっかり諦めてしまった両親に代わって兄を説得したいと云う自分のわがままに付き合わせたのだ。その上、一緒になって兄を諫めてくれた。
不首尾に終わったとは云え、まちは伊兵衛の気遣いに感謝していた。
伊兵衛は寂しげな笑みを浮かべながらも、首を横に振った。
彼もまた、幼少の頃より見守ってきた新八を自分の言葉で諫めておきたかったのだ。無理矢理に付き合わされたとは、微塵も思っていなかった。
「とんでも御座いません。…やはり、若旦那様はどこまでも若旦那様ですな」 ここまで散々苦言を呈してきた伊兵衛だったが、その脳裏にふと蘇る出来事があった。
十五年程前。
伊兵衛は、ある番方の家の子らに一方的に打ち据えられる目に遭った。
使いの途中で急いでいた折、相手にぶつかってしまったのである。
『無礼者!中間の分際で何をするか!』 『こ、これは…申し訳御座いません!』 伊兵衛はひたすら謝り倒したが、相手の腹の虫は一向に治らない。それどころか、道場帰りで持っていた木刀を寄ってたかって伊兵衛に振り下ろした。
しかし、伊兵衛は首を垂れたまま動かない。
藩邸内で揉め事を起こしては主人に迷惑がかかる。相手の気が済むまで耐えるしかない。
そう往生した時だった。
『伊兵衛はうちの奉公人だ!用があるなら、俺を通してもらおうか!』 聞き慣れた声の方を振り向くと、まだころころしたあどけない少年が路地の真ん中で仁王立ちしていた。
まだ幼名で『栄治』と呼ばれていた頃の新八である。
しかし、相手は鼻で笑うばかりで伊兵衛を解放しようとはしない。年下に凄まれたところで、どこ吹く風といった顔だ。
何より、栄治の父親が自分の父親に頭を下げている姿しか知らないその子は、完全に彼を侮っていた。
『筆しか持てぬ役方風情が…。引っ込んでいろ!』 気が立っていたその子は、居丈高に木刀を構えてみせた。
そんな威圧には目もくれず、栄治はどこからか見つけてきた三尺六寸ほどの竹竿で素早く相手の小手に打ち込んだ。木刀を取り落とした事に気付いた相手が動揺している隙に、栄治は続けて容赦無く右胴で電光を打ち、相手を打ち倒してしまった。
この間、わずか一瞬。
栄治は傍観していた取り巻きの子らをぐるりと睨むと
『あとも来いよ』 と挑発してみせたが、全員が蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
伊兵衛は、茫然と栄治の背中を見ていた。
自分より遥かに年下の、日頃手を焼かされてばかりいる悪戯小僧が、急に頼もしく思えて不思議だった。
同時に、この有り余る活力をいつもこう云う形で使ってくれないものかと苦笑いが漏れていた。
『伊兵衛、よく耐えたな。
…ん?何を笑っている?痛くはなかったのか?』
『何のこれしき。
坊ちゃん…いいえ。若旦那様。お有り難う御座いました』
この事はすぐさま双方の家の当主の耳に入り、栄治も上役の子を相手に危険な技を使った(かど)で父から大目玉を食った。
しかし、伊兵衛の過失に対して相手の制裁が度を越していた事。そして、木刀を持った年上を相手に竹竿と見様見真似の技で挑んだと云う滅茶苦茶な状況は“子供同士の喧嘩”と判断された事。
これらの理由から、双方とも関わった子らに短期間の謹慎を課す形で事なきを得た。
さらに
『これは厳しい道場に通わせて、然るべき稽古をつけてもらわねば危うい…!』 と、父が息子に剣術修行を許す契機となった。
あの時よりも大きくなった背中が、行き交う人波に紛れて遠ざかっていく。
寂しいような、呆れたような気持ちで見送る伊兵衛の隣で、まちもまた、去っていく兄の後ろ姿を見送っていた。
「御役目を捨て、家督も捨てて…もし負けて帰って来るようなら、二度と敷居は跨がせません…!
でも…もし、死んだりしたら…それこそ絶対に許さない…!」
堪えていたはずの涙が、まちの薄紅い頬をつと流れ落ちた。
彼女は十六の娘なりに、心優しい両親の心痛を案じ、勝手気ままな兄の将来を案じ、一家の安泰を——家族の幸せを願い続けていた。
そんなまちのいじらしさに、伊兵衛はやさしく慰めの言葉をかけた。
「大丈夫で御座いますよ。あの無鉄砲な若旦那様だ。
きっと、弾丸の方が避けていくに決まっております。…そう信じましょう」
咽び泣きそうになりながらも、まちは唇をぎゅっと結んだまま頷いてみせた。
動乱の中心になりつつある京に足を踏み入れて、果たして兄は無事に帰って来られるだろうか。
それは、誰にもわからない。信じるしかない。信じて待つ以外に、出来る事はない。
ならば自分は、せめて父と母がいる家を守ってみせる。
いつか帰って来た兄に、立派に残った家を見せて「それ見たことか」と胸を張って出迎えてやる。
自らを奮い立たせるように、まちはそう決意した。
もう兄の姿は、雑踏の中にすっかり消えていた。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、まちは伊兵衛を伴って三味線堀の中屋敷長屋へと帰路についた。
文久三年二月八日。浪士組、伝通院より京へ出立。
新八 二十三歳、まち 十六歳の冬の出来事——。
「久しぶりだな、まち。来るのが遅くなって、済まなかった。
…信じられるか?手習や役方の仕事が嫌で家を出た俺が、今や毎日のように書き物をしているときた。それ見たことかと、お前は笑うだろうな。
…まち。俺はやりたいようにやったよ。戦に負けはしたが、一片も後悔はしていない。それどころか、今にして思えば楽しかった。そう思える生き方が出来た。お前の…皆のおかげだ。
父上と母上には申し訳なかったが、家は嘉一郎殿が立派に継いでくれたよ。あの時はお前を追い返したいばかりに『大した家では無い』などと軽口を叩いたが、今こうして俺に居場所があるのも、代々藩に尽くしてくださったご先祖様のおかげだった。
…なぁ、まち。お前は、どうだった?お前は、お前が生きたいように生きられたか?」
「兄上、お久しゅう御座います。兄上とは、いつも“久しゅう”御座いますね。兄妹だと云うのにおかしなものです。
思えば、七つも歳が離れていた上に、兄上は日々道場通いばかり。同じ家に居ながら、碌に話した憶えがありません。
やっと戊辰の戦が終わって帰って来られたかと思えば、やれ北海道に東京に京都にと方々(ほうぼう)を飛び回わられてばかり…。本当に、家に居られない人ですのね。奥方(よね様)も、もう怒る気にもなれなかったでしょう。私と一緒です。
…結局、長倉家は嘉一郎様に継いでいただき、私は直江熊吉様に嫁ぎました。
あの時は家を守りたいばかりに『婿をとる』などと大見得を切りましたけれど、まさか兄上の方が杉村家の婿にとられるとは思いもしませんでした。人生とは、わからないものですね。
…兄上。私は、私の生きたいように生きました。
兄上の生き甲斐は我が家の外にあったのでしょうけれど、私の生き甲斐は父上様や母上様…そして、兄上が居る我が家にこそありました。ただ、それだけの事で御座いますよ」
大正四年一月五日 永倉新八こと杉村義衛 没 享年七十七
樺戸集治監を始め各地で剣術指南を続けながら、かつての同志の慰霊と名誉回復に奔走。
晩年は小樽に落ち着き、新選組について多くの記録を書き残し、多くの記憶を語り残した。
大正五年八月六日 長倉まちこと直江マチ子 没 享年七十
“妹”として家系図と墓碑に名を留めるのみ。
彼女の為人(ひととなり)を伝える記録は、未だ発見されていない。

参考:『新選組永倉新八のすべて』新人物往来社『永倉新八外伝』杉村悦郎『新選組をめぐる女性たち』結禧しはや