「“玉”を奪え!」
「“玉”を我らが手中に!」
元治元年七月の禁門の変で、御所に次々と打ち懸かる長州兵が口々に叫んでいたと云う。
近藤は、心底おぞましいと思った。
新選組は会津藩の命で鴨川九条河原へ布陣したのち、天王山での残党狩りに駆り出されていたから、主戦場だった御所の様子は知り得ない。
戦後の報告に訪れた黒谷本陣で、応対した会津藩公用方がふともらした話から聞き及んだ事だった。
遥か昔に政治の実権を失って久しいとはいえ、帝は日ノ本を統一した大王の後裔である。
その帝をまるで調度品か何かのように扱う物言いに、勤皇佐幕を自負する近藤は怒りすら覚えていた。
——とは言うものの。
古今東西、雲上人の“御心”を代弁・代行するかのような振る舞いは、“義挙”と云う名の独善・独走を数多生み出す温床とも云えた。幕末における、公武合体を目指す勤皇佐幕派と新政権樹立を目論む勤皇倒幕派による“大御心”の熾烈な争奪戦はまさにそれであった。
御所で繰り返される政変は、幕府はもとより各藩にも飛び火した。
佐幕派も倒幕派も、藩の実権を握る度に粛清を繰り返し、有能無能を問わず多くの人物が葬り去られた。
凄惨な争いの火種はさらなる火種を呼び、薩摩藩が幕府を見限った事で、遂に国を二分する戊辰の役が勃発するに至るのである。
慶応四年三月十一日 江戸——。
去る一月三日の鳥羽伏見の戦いで勝利を収めた薩摩・長州・土佐を中心とする新政府軍は、大阪から東海道を辿って江戸へと迫りつつあった。
迫り来る戦禍に怯える民と、慌ただしく戦備えに走る幕府軍の兵とで、江戸城下は騒然となっていた。
御典医・松本良順が執り仕切る『医学所』は、大阪や甲府での戦闘による負傷兵で溢れかえり、さながら野戦病院の様相を呈していた。
その医学所から、永倉と原田、そして二人を追う土方が走り出て来た。
「おいっ!待てよ!お前ら!」
血相を変えた土方が二人を呼び止める。
「どいつもこいつも、この大変な時に好き勝手言いやがって…!
いいか!お前らがあちこちで勝手に戦ってたら、勝てるもんも勝てねぇんだよ!
伏見や勝沼で散々わかっただろうが!もう剣の強さでどうこう出来る時代は終わりなんだよ!
だから——!」
「『だから黙って言う事聞きやがれ』ってか?悪ぃけどよ、お断りだね」
怒鳴り散らす土方に、原田が冷めた声音で冷や水を浴びせた。
この二人が多少の劣勢で戦意が折れるとは思えなかった。池田屋で二倍の敵に立ち向かい、“鬼の副長”に幾度となく敢然と意見してきた二人である。それは共に戦ってきた土方自身が一番よく知っていた。
しかし、永倉の答えは土方には思いもよらぬものだった。
「土方さん。確かに、貴殿は“正しい”。…だが、“正しさ”だけで命は懸けられない」
「何だと…!?」
土方は内心歯軋りした。
戦場においては用兵が正しければ勝ち、正しくなければ負ける。
勝沼では負けたが、だからこそ次の戦場では正しい用兵を行えばいい。
ただそれだけの事が、何故伝わらないのか。
「少なくとも私は、“正しさ”の為だけに死ぬ事は出来ない。…御免」
「あばよ。土方さん。今まで世話んなったな。近藤さんによろしく伝えといてくれよ」
会釈したのち背を向けた永倉の後を付いて原田も立ち去っていく。
この日、彼ら二人に従って離隊したのは残存兵約百十五名のうち、九名程度の隊士とわずかな徴募兵のみ。
数の上では何ら支障が無いにもかかわらず、言いようのない敗北感が土方の胸中をかき乱していた。
それは、二月二十八日の事だった。
「甲州街道を東進中の新政府軍だがよ。率いてんのは、板垣退助とか云う土佐者だ。近藤さんは、こいつを迎え討ってくんねぇ」
幕臣・勝海舟から命じられた新選組は、ミニエー銃二百挺と大砲六門を与えられ、三月一日に内藤新宿から甲府へと出立。
京以来の隊士二十八名に、伝習隊を始めとする幕府軍の残存兵、さらに道中で百姓や猟師に徴募を繰り返して集めた二百の兵を甲陽鎮撫隊と称した。
彼らが駒橋宿に入った四日。既に甲府城は敵の手に落ちたとの情報がもたらされた。
篭城戦に持ち込み、急拵えの戦力である不利を補おうとした土方の策はここに潰えた。
すると、戦況不利を察して脱走する兵が次々と出始めた。
先発隊を率いて雪の中を駒飼宿に先行していた永倉、原田、斎藤は、本隊の近藤と土方に指示を仰いだ。
返ってきたのは、
「猿橋宿から会津藩兵六百名がすぐに向かう」
と云う、“出任せ”とも言える伝令だった。
脱走兵が相次ぐ隊を落ち着かせようと近藤が発したものだったが、事が知れた時の先発隊の失望は大きいものだった。
六日に鶴瀬宿でようやく本隊が合流した甲陽鎮撫隊は、やむなく勝沼の柏尾坂附近で戦端を開いた。
折り悪く、雇い入れた砲術家・結城有無之助は不在。肝心の土方も、旗本が組織した『菜葉隊』の増援を江戸に求めて不在だった。
新政府軍は七百人。兵力と火力の差を前に、甲陽鎮撫隊は味方の離反が相次いだ。
二時間ほどの戦闘で総崩れとなった隊は、更なる落伍者を出しながら散り散りになって江戸へ退却せざるを得なかった。
やっとの思いで江戸城下に帰還した永倉と原田は、下谷和泉橋の医学所に近藤と土方を探し当てた。
二人は、近藤に訴えた。
開城が時間の問題となった江戸に踏みとどまるより、松平容保が蟄居している会津で戦おうと。
戦況を鑑みれば、真っ当な提案と云えた。
当の勝海舟は、既に西郷隆盛と江戸城明け渡しの交渉に臨む腹づもりだったからである。
しかし、近藤はこの訴えを撥ねつけた。頑なに、今後は黙って指示に従うようにと言うばかりだった。
たとえ同じ結論に達していても、局長が幹部の意見に動かされたと思われてはならない。
甲陽鎮撫隊が瓦解していく有様を目の当たりにし、これ以上指揮系統が乱れる事態を恐れての言動だった。
敗色濃厚に怯えては立ち去り、友軍が来ないと腹を立てては立ち去り…そんな寄せ集めの兵を押し付けて戦わせた事への労いも、会津藩の援軍が来るとの虚言を弄した事への詫びもない。
永倉と原田は、近藤と土方に命を預けようと云う気がすっかり失せてしまった。
隊の在り方に異を唱えて粛清された山南や藤堂、鳥羽伏見で戦死した井上、そして労咳の悪化で戦線を離脱した沖田に代わり、新選組を支えようと彼らなりに我慢に我慢を重ねてきた末の結論だった。
土方が医学所内にとって返すと、近藤は放心したように縁台に腰掛けていた。
「歳…。これで、良かったのか…?」
「いいんだよ…!あいつらとは、もうこれ以上一緒に戦えねぇ…!」
吐き捨てるように言うと、土方は近藤の向かいにどっかと腰を下ろした。
近藤は土方を見ないまま、心情を吐露し続けた。
「俺は間違えたのか…?
負け戦で皆が不安になるといけないと、弱みを見せないようにと、自信があるように振る舞ったつもりだった…。ここまで付いて来てくれた皆を、少しでも安心させてやりたかった…。
だと云うのに、何故だ…?何故、永倉君と原田君はいなくなってしまったんだ…?」
予兆は、最初からあった。
新選組が公の場で認められれば認められるほど、近藤は自信漲る頼もしい存在であろうと、隊士たちが自分の家臣であるかのような態度をとる事が度々あった。
殊に試衛館以来の同志は、以前の気さくな近藤を知るだけに、それを“増長”と受け取った。
近藤に局長たる威厳を持たせて隊をまとめようとしてきた土方の意図が、完全に裏目に出た格好だった。
「あいつらは、何もわかっちゃいねぇんだよ…!
はん…!何が『“正しさ”だけで命は懸けられない』だ?何が『“正しさ”の為だけにゃ死ねねぇ』だ?
戦は、気合いや連帯感でどうにかなるほど甘くねぇ!
組織や軍略、それに用兵…あらゆる“正しさ”がなけりゃ勝てねぇんだよ!
だから、近藤さんが気に病む事じゃねぇ…!」
思い返せば、もっと早くに進軍していれば、甲府城を確保するくらいは出来ただろう。
しかし、府中そして日野宿に立ち寄った近藤は、親類縁者や後援者との宴に興じた。
近藤にはこれまで惜しみない支援をしてくれた故郷へ錦を飾りたいと云う気持ちもあったが、土方がそれを許したのは義兄・佐藤彦五郎を始めとした武州の有力者を通じて兵力の増強を図りたかった為でもある。
事実、佐藤彦五郎や井上松五郎ら庄屋の召集に応じて『八王子千人隊』や『春日隊』が結成されている。
「…そうだな。歳。お前はいつだって正しかった。俺を…俺たちをいつも正しく導いてくれた」
「そうだ。だから——」
「その“正しさ”の結果が“これ”だと云うなら…それは、俺が望んだ前途じゃない」
近藤の口をついて出た言葉に、土方は身が凍りついた。
「何、だって…!?」
土方なりの最善策をとった結果、甲州では兵力を得た代償に時間を失ってしまった。
軍略上の判断は確かな条件の積み重ねの上にされて然るべきだが、その条件がいつも楽なものとは限らない。時には、偶然や運といった曖昧な要素に戦況が左右される事さえある。
故に、最後は“賭け”になる。
甲州で、土方は賭けに負けた。それでも、まだ賽を振る事が出来る以上、勝ち目が出るまで諦めるつもりはなかった。
だから近藤の力無い物言いが、土方にはとても信じられなかった。
「俺は、武士になりたかった…。
お前も、総司も、きっと源さんだって…。思いは、同じだと思っていた…。
俺が武士として出世すれば、皆も同じようにそうなれる…。共に喜んでくれる…。
そう信じたから、俺は今日までやってこられたんだ…」
「当たり前だろ?
今や、近藤さんは直参。俺だって幕臣だ。こうなる為に、俺たちはずっと——」
「なぁ、歳…。お前にとって、俺は何だったんだ…?
薩長の奴らが云う所の“玉”…見てくれのいい“錦の御旗”だったのか…?」
土方は愕然とした。まるで、足元が音を立てて崩れるような感覚に陥った。
「何…言ってんだよ、かっちゃん…?そんな…下らねぇ事言うんじゃねぇよ!」
動揺のあまり幼い頃の呼び名を叫んだ土方に、近藤は堰を切ったように話し続けた。
「覚えているか?歳…。
芹沢さんを殺した時、そして山南さんを切腹させた時…。俺は、お前が局長になるべきだと思った。
お前が隊の為に何でも出来ると言うなら…それが隊をまとめる為の“正しさ”だと云うなら…俺がいなくても、お前一人でも皆は付いて来た筈だ。
だが、お前はそうしなかった。
“正しさ”だけで人が付いて来るなら、お前に俺は必要なかったんじゃないのか…?」
これまで近藤と共に必死で築き上げてきたものが、近藤自らの手で壊されたような衝撃に、土方は言葉を失った。
誰も彼もが、何故背を向けていくのか?たった一人の親友までもが、何故そんな世迷い言を言うのか?
底知れぬ不安を振り払うように、土方は檄を飛ばした。
「…何、弱気になってんだよ!?兵力も軍艦も、まだ幕府軍が優位なんだ…!
英吉利が薩長に直接兵を貸さねぇ限りは、まだやれる…!
むしろ、ここが正念場だろ!これからが勝負だろ!?」
近藤はうなだれたまま、ぴくりとも応じない。
負傷兵の苦しげな呻き声と、治療を指示する医師たちの叫び声が飛び交う中。二人の間にだけ、痛いほどの沈黙が垂れ込めていた。
「…そう、だった。うん。そうだったな…」
自らに言い聞かせるようにぼそぼそと呟いた近藤は、やがて済まなそうに笑いながら頭をかいてみせた。
「すまん。歳。俺とした事が、少々弱気になっていたようだ」
その姿を見て、土方ははっと自覚した。負け戦に焦るあまり、つい近藤を叱咤激励し過ぎていた。
「いや。俺も悪かったよ。近藤さん…。
墨染での怪我を押して戦い通しのあんたに、一遍に色々言い過ぎた」
大阪から京への帰路で馬上にあった近藤は墨染付近で狙撃に遭い、重傷を負っていた。
近藤の右肩に再起不能の深傷を負わせたのは、かつて藤堂共々粛清した御陵衛士の生き残りである阿部十郎が放った銃弾だった。
天然理心流四代目宗家が剣を持てない。その宣告は、近藤の心を押し潰すには充分過ぎるものだった。
「…少し、疲れたんだよな?」
土方がかけた労わりの言葉に、近藤は気が抜けたように息を吐いた。
「そうだな…。少し、疲れたな…」
間もなく、新選組は江戸を出立した。
土方は新たに募った新入隊士と負傷兵併せて百三十人を斎藤に任せ、先に会津へと向かわせた。
残る本隊は抵抗を続ける駿河田中藩と加村陣屋で合流すべく、綾瀬の五兵衛新田で兵を集めたのち三百人が下総流山に布陣した。
ところが新政府軍の追撃は止まず、四月三日に彼らは完全に包囲されてしまった。
虎口を脱しようと、近藤は新政府軍との交渉に臨むと言い出した。
兵を集めているのは新政府軍に抵抗する為ではなく、各所に散乱した幕府兵を呼び出しているだけである。そう弁明する体で会談を申し込み、その隙に土方が隊を率いて脱出すると云う提案だった。
「行くな!近藤さん!」
「そう案じるな。歳。今の私は『幕府直参・大久保大和』だ」
「だが、どこで正体が知れるかわからねぇ!
『新選組局長・近藤勇』は、今や奴らにとって憎悪の的だ…!」
「その時はその時だ。私は逃げも隠れもせん。
そんな事をすれば、まるで悪事を隠す罪人のようになってしまう。
皆のこれまでの命懸けの働きを汚す訳にはいかん。隊の名誉を守るのも、局長である私の務めだ」
近藤はまるで聞き入れる様子がない。土方は必死の形相で近藤の肩を掴んだ。
「もし、ここであんたが死んじまったら、俺は…新選組はどうなるんだよ!?」
なおも引き留めようとする土方に、近藤はいつになく静かな口調で答えた。
「…歳。俺はもう充分だ」
「何が、『充分』なんだよ…!?」
土方は戸惑った。近藤が何を言いたいのか理解が追いつかなかった。
「俺は、俺の夢の為に充分戦った。俺の為に付いて来てくれた皆のおかげで戦ってこられた。
…だから、次はお前だ」
「“俺”…?」
「そうだ。今度はお前が、お前自身の為に戦え。存分にな」
そこには“局長”でも“近藤勇”でもなく、幼馴染みの“宮川勝五郎”がいた。
「かっちゃん…!」
瞠目する土方に、近藤はしみじみと語った。
「何。運良くまた会えたら、互いの武勇伝を肴に飲もう。総司も呼んで。
…もし叶うなら、皆ともその席で和解したいものだ」
この人は、もう覚悟を決めている。
近藤の決意の固さを土方は悟った。そして、力加減も忘れて掴んでいた肩から手を離した。
「…あぁ。そうだな。ここは頼むぜ。近藤さん」
土方は精一杯、力強く笑った。
「あぁ。任せておけ。歳」
近藤も明るく笑って応じた。
「行こうか。野村君」
「は」
新入隊士の野村利三郎を伴い、近藤は新政府軍に出頭した。
この命懸けの時間稼ぎのおかげで、土方は残存した兵を連れて流山を脱出する事に成功した。
そして、これが土方が近藤を見た最後となった。
「斬首…だと…!?」
近藤の助命嘆願の使いに出していた相馬主計と、最後まで近藤に付き添う事叶わなかった野村が「申し訳ありません…!」と涙声で繰り返す。
土方は怒りに震えていた。
手の中にある瓦版には、罪人として首を刎ねられ、京の六条河原に晒された近藤の姿が敵意をもって描かれていた。
正体が知れてしまった事は不運だった。投降した新政府軍の中に、やはり御陵衛士の生き残りである加納鷲雄がいたのだ。敵の正体を見破った加納は、新政府軍の一員としてそれを忠実に報告した。
そして近藤もまた、幕府の直参として忠実に戦った。見せしめに死を命じるとしても、武士の作法に則った切腹以外のどんな形があると云うのか。
敵将への敬意も無い礼儀すら欠いた扱いに、土方はただただ絶句するしかなかった。
「士道、不覚…!!」
瓦版を握り潰した土方は短くそう叫ぶと、誰をも拒絶するように陣屋の一室に閉じ込もった。
「もう、近藤さんはいない…!もうどこにも…かっちゃんは、いなくなっちまった…!」
土方は一人慟哭した。
幼馴染みの近藤とは、共に夢を追いかける日々だった。そして多くの犠牲の果てに、ようやくその夢を掴んだ所だった。
しかし、武士になりたいと足掻き、己の“士道”に拘っている間に、そんなものは見向きもされない時代になっていた。
“近藤の為”だと思えば、土方は何でも出来た。
憎まれ役をかって出る事も、規律の下に死を命じる事も、凶刃閃く市中や弾雨飛び交う戦場を駆ける事も。
そんな土方の知恵も献身も、唯一無二の盟友を喪っては虚しく宙に浮くばかりだった。
(——俺はこの先…誰の為に?何の為に?どうすればいい?)
土方は縋るような思いで、その答えを自らの中に探し続けた。
『…俺は、俺の夢の為に充分戦った…今度はお前が、お前自身の為に戦え…』
なお耳に残る盟友の言葉に、土方は教えられたような気がした。
「これからは、もう“近藤さんの為”じゃねぇ…。“近藤さんならどうするか”…。
それが、今の俺に出来る生き方だ…!それが、俺が俺自身の為に戦うって事だ!」
明治二年五月十日 箱館——。
暗い海と夜空に、飛び散った水滴が吸い込まれていく。
空になった杯を掲げたまま一人立ち尽くす相馬に、様子を見に来た中島登が声をかけた。
「何をしているんだ?相馬」
「…野村に。手向けを」
「そうか…。あいつ、大酒飲みだったからな…。
それっぽっちじゃ、『足りないぞ!もっと寄越せ!』とか言いそうだ」
「はは…。想像がつき過ぎて笑えんよ」
「…だな」
今は亡き野村を偲んで、相馬は一人一杯ずつ振る舞われた慰労の酒を手向けていた。
中島はそんな相馬を見て、自分の酒を半分残して分けてやった。
流山以来、野村は近藤と土方、二人の無念を背負うかのように鬼神の如き気迫で戦い続けた。
そして、三月二十五日の宮古湾海戦で乗り込んだ敵艦のガトリング砲に立ち向かい、壮烈な討死を遂げた。
「相馬。中島。ここに居たのか」
背後の暗がりから、その巨体をぬっと現したのは島田だった。
「島田さん」
「すみません!すぐに戻ります」
「そうしてくれ」
素直に後をついて来る相馬と中島を見て、島田は小さくため息をついた。
「新選組も、最初からお前たちのような聞き分けの良い隊士が多ければなぁ。
土方さんが無理する事も、永倉さんが出て行く事もなかったろうに…」
新選組は、元を辿れば攘夷派の活動家・清河 八郎が幕府の威を借りて募集した『浪士組』に端を発する。その名の通り、食い詰めた浪人や侠客までもを雇った寄せ集めに過ぎなかった。当然、規律も何もあったものではない。上洛途上でも滞在先の京でも、乱暴狼藉を働く者が続出する有様だった。
何より、元から住まう人々からすれば、大挙して押し寄せた余所者に居座られるだけで迷惑千万である。
土方は厳しい法度で、彼ら無頼の徒を一端の武士の集団に仕立て上げようとした。
それでも、給金目当てや腰掛け目的の入隊者による規律違反が跡を絶たなかった。
入隊に、出自や資格を問わず。
聞こえはいいが、結局は多くの有象無象をも採り続けていたのだから、根本的な解決に至る筈もなかった。
故に、幕府軍の劣勢を承知で入隊してきた相馬や野村、そして中島のような新入隊士たちの志が、島田には眩しく見えた。
「そういえば、島田さんは新選組が京に居た頃からの隊士ですよね?」
「その頃の土方さんは、“鬼の副長”と恐れられていたとの噂ですが…本当なんですか?」
鬼の副長——。
京での土方を形容するに、これほど的を射た呼び名はない。
新選組を強大な組織にすべく、土方は自ら“鬼”と化した。その苛烈さに、山南は精神を病み、藤堂は隊の将来に見切りをつけ、永倉や原田は反発した末に離隊した。
彼らは、近藤の人柄と試衛館の自由闊達な空気に惹かれて集った。それを土方が切り捨ててしまったのだから、無理からぬ成り行きだった。
しかし…と、島田は思った。
「…そうだな。確かに、土方さんは変わられた」
島田の言う通り、鳥羽伏見の敗戦から土方は変わっていった。
羽織袴から洋装に装いを変えた。刀を銃に持ち替えた。学問を毛嫌いしていた京時代が嘘のように、仏蘭西軍事顧問団から近代の兵法を熱心に学んだ。
そして何より——
「全員居るか?」
三人が待機場所に戻って来ると、ちょうど箱館奉行所から土方が来ていた所だった。
「土方さん!」
「土方さんが来たぞ!」
詰めていた隊士たちが土方を囲むように集合した。
「どうでしたか?榎本総裁と大鳥陸軍奉行は何と…?」
島田が訪ねると、土方は自信ありげににっと口角を上げた。
「あぁ。作戦が決まったぜ。新選組は、このまま弁天台場の守備を担う事になった。
こいつは、ただの篭城戦じゃねぇぞ?内陸から来る敵は、おそらくそのまま五稜郭を攻めに行く。
そこでお前らが上陸して来る敵を箱館市街に引きつけて、奴らの戦力を分断する。もし奴らがここを無視して五稜郭に殺到したら、その背後を突いてやれ。
七日の海戦で海軍を失っちまった今、海側の戦力はここしかねぇんだ。頼んだぞ」
「土方さんは?」
「悪ぃが、俺は一緒に居てやれねぇ。別働隊の指揮を榎本さんに任されたんでな」
それを聞いた相馬と中島の顔がしゅんと曇る。それは山野や蟻通ら他の隊士たちにも伝播した。
「そうですか…。残念です」
「俺も…。土方さんが指揮してくれたら、どんなに心強かったか…」
去る四月十三日。
土方は守備を担った二股口で、十六時間に及ぶ激しい攻防戦を繰り広げた。数に勝る新政府軍の猛攻をその後十日間にわたって凌ぎ切り、遂に撤退・迂回させると云う見事な戦果を上げていた。
木古内と矢不来の陣が突破されてしまった為に土方もまた撤退を余儀なくされたが、この戦いで指揮官としての土方の評価は箱館において揺るぎないものとなっていた。
「こら!お前たち…!そんな事を言って、土方さんを困らせるな」
島田が彼らを嗜める。
「しょうがねぇなぁ。…ったく」
そう言いつつも、土方は満更でもない顔で応じてやった。
「いいか?俺だって、本当はお前らと一緒に戦いてぇ。陸軍奉行並になった今でも、俺は新選組副長だ。
新選組として戦いてぇ思いは、お前らと同じくらい強いつもりだ。
…だが、戦は勝たなきゃなんねぇ。
勝つ為には、お前らが台場を守り、俺が敵の首を取りに行く。それが一番勝ち目があるんだ。
わかってくれ」
「そう云う事なら…」
作戦の意義を理解した隊士たちは渋々納得した。
「敵は海と陸、四方八方から攻めてくる。今はとにかく手が足りねぇ。
だからこそ、俺は誰よりも信頼出来るお前らに、大事な持ち場を頼みてぇんだ」
「土方さん…」
土方は、自分たちを置いていくのではない。それどころか、頼りにしているからこそ持ち場を任せてくれている。そう知った嬉しさから、涙ぐむ隊士もいた。
皆が落ち着いた様子を見て、土方は主だった隊士それぞれに指示を飛ばした。
「相馬。弁天台場での指揮はお前が執れ。永井様にお許しはいただいている。
野村の仇を討ちてぇんなら、絶対に死に急ぐな。少しでも奴らの進軍を遅らせて、一兵でも多く道連れにしてやれ。それまで、死んで楽になろうなんて気を起こすんじゃねぇぞ?」
「はい!やってやります!」
「島田は相馬に付いてやれ。お前の補佐があれば、こいつも前だけ見て戦えんだろ」
「お任せ下さい」
「土方さん。俺には何かないんですか?」
「中島ほど器用な奴に、俺がいちいち細かく言う事はねぇよ。まぁ、上手くやれ」
そう言われた中島は大袈裟に首を傾げて
「…何か釈然としないのは、俺の気の所為ですか?」
と、そらとぼけてみせた。
その場にいた全員が思わずどっと笑った。
緊張が和らぐのを感じた土方は、自らをも鼓舞するように彼らを激励した。
「よぉし!お前ら!これは新選組の、そして蝦夷共和国の大一番だ。
敵将・黒田清隆の野郎に一泡吹かせるぞ!」
「おぉーっ!!」
力強い鬨の声が上がった。
新政府軍が箱館へ総攻撃を開始する前夜の出来事だった。
永倉が箱館戦争終結を知ったのは、東京で身を寄せていた松前藩家老・下国東七郎の自宅での事だった。
「遂に五稜郭が陥落したとさ…」
「ようやくか…。新政府に恭順したにもかかわらず、我が松前家は全くの貧乏くじだったな…」
「知っているか?“あの”土方歳三も、一本木関門辺りで討死したらしい」
「我が殿を福山城から追いやり病死に至らしめた、新選組の“鬼の副長”か…」
忌々しげに語る藩士たちの会話が、永倉の耳にも入って来る。
下国は猛烈な勤皇派で、戊辰の役の最中に松前家家中の佐幕派を一掃する政変劇を主導した。
かつて近藤と老中の目通りを取り持った、遠藤又左衛門もその犠牲となっていた。
そんな下国が、たった一人生き残って帰藩を願い出てきた永倉を匿い通した。
共に親の代からの付き合いであったし、長倉家は三代遡れば藩主一門の縁者にあたる。
そう簡単に切り捨てる訳にはいかなかった。
(土方さん、ようやく終わりましたか。
…全く、よくぞやってくれたものだ。おかげで我が松前家は散々でした。
東北の形勢不利と見るや、家中の佐幕派を一斉に粛清。その途端、土方さん率いる幕府軍の蝦夷地上陸で国許が陥落。今度は新政府軍の尖兵に駆り出されて、また戦死者を増やすに至り。
…私が帰参を許されたのが、嘘のように思えるほどです。流石としか言えませんな)
一度は脱藩した身の上とは云え、主家が凋落していく様を目の当たりにしながらも、永倉はどこか嬉しそうだった。
(そう云えば、江戸では原田と揃って離隊しましたが…奇遇な事に、私も愛想を尽かされたようです。
あれから間もなく、原田が消えました。
上野戦争で死んだらしいと知ったのは、白河口を転戦していた頃でしたか。京の家族を恋しいと零した時、もっと気に掛けてやるべきでした。奴が命を懸けられる場所も、もう私とは違っていたのでしょうな。案の定、その後は負け戦続きで酷いものでした。
…しかし、不思議と後悔はない。
私も原田も『あの頃の新選組はどこへいったんだ』と嘆いていたあの時の心持ちでは、とても死ぬ気で戦えなかった。我らの道は、あそこで分かたれて然るべしだったのでしょう。
…それでも、箱館での土方さんの作戦指揮を見てみたかったとも思うのは、さぞ虫のいい話なのでしょうな)
その後。
永倉は下国の世話で、江刺の医者一族・杉村家の婿養子に納まり、名を杉村義衛と改める。箱館戦争で戦死した同家長男・玄英の穴を埋める形での縁組だった。
そして、明治を十年も過ぎないうちに新選組の名誉回復と慰霊碑建立に奔走。近藤が刑死した板橋の地にこれを実現した。その為に、東京と北海道を目まぐるしく行き来する日々を送った。
箱館での土方の様子を綴った一文を彼が目にしたのは、ちょうどこの頃になる。
「土方は年を取るに従い柔和になり、人々が彼に信頼を寄せる様は、赤子が母を慕うかのようであった」——元・新選組隊士 中島登『戦友絵姿』より
その時の彼は、土方の中に近藤の姿を見たような気がして、人知れず微笑んでいるようだった。
「土方さんらしくもない。これではまるで昔の近藤さんだ…。
板橋の後も、土方さんの中には近藤さんが居たと見える。やはり親友同士…と云った所でしょうな」
…
大正二年 北海道小樽市花園町の一角にある杉村家にて——。
「…あれま。またお爺さんが始まったよ。ゆき。止めておいで」
「はぁい。お母さん。…お父さん?またそんな格好で。飲み過ぎですよぉ?」
「好きにさせておけよ。ゆき。折角、上機嫌なんだから。
どうせ、いつもの天王山の武勇伝が終わるまで止まらないよ」
「義太郎兄さんまで、そんな…」
「おじいさん。おはなし、きかせて!」
「もういっかい、きかせて!」
「きかしぇて。きかしぇて」
「こら…!逸郎、利郎も、康郎まで…!あんまりお祖父ちゃんをおだてるな」
「『御国のために働いた自慢』なんでしょ?もう覚えたからいい」
「…道男は、もう少しお祖父ちゃんを立ててあげような?」
「全く…。能吏の家系だと云うから、もっと行儀の良い夫かと思ったのに。
着物を脱ぎ出して古傷を自慢するなんて、どこの誰から覚えたのやら」
妻、娘、息子、そして孫たちに囲まれた老人が、腰に残る銃創を叩いて若き日の武勇伝を語っている。
その脳裏には、遠い昔に盟友と交わした他愛のないやりとりが沁み込んでいた。
『どうよ?俺の腹ぁ、金物の味を知ってんだぜ!』
『左之助、お前…。またか?もう何度も聞いたぞ』
『いーじゃねぇかよ。新八。武勇伝は何度聞いてもよー』
『“何度自慢しても”の間違いじゃないのか?』
『ま、そうとも言うわな!うははっ!』
『全く…。お前らしいな』