(こいつ、昨日の…!) 栄治は思わず身構えた。
「アレヲ、ワタセ…!」 「んだ、こいつ?ヘンなカッコしてんな」 なおも迫る黒衣に、忠一がしれっと言った。
栄治は、ハッとした。
忠一は事情を知らない。黒衣が自分を敵視していることも。常人では太刀打ち出来ない戦闘能力を持っていることも。
「ワ…タ…セェェ——ッ!」 とうとう自制の臨界点を越えた黒衣は、奇声を上げながら突進して来た。
「うわぁ!?」 二人は左右に分れて黒衣の正拳を避けた。
「テメェ!いきなり、なにしやがる!?」 忠一が怒鳴った。
が、黒衣は答えない。 それどころか、二人に向かって再び突進して来た。
「コナクソ!」 忠一は対抗するように右腕を振りかぶったが、栄治に左の袖を引っ張られた。
「よせ!逃げるぞ!」 「お、おいおい!?」 忠一はそのまま倒れこむように走り出す。 と同時に、バキリと黒衣の拳が固いものを砕く音が聞こえた。
一瞬前まで忠一が立っていたコンクリートの路面に、大きく亀裂が入っているのが視界の隅で見えた。
「なななんだ、ありゃ!?」 「だから言ったろ!あいつ、只者じゃない!」 そこへ新たな影が、逃げようとする二人の行く手を遮った。 同じ装いの黒衣だった。が、こっちは手には槍を携えている。
「ま、まだ他にもいたのかよ!?」 今度こそ忠一はギョッとした。
途端、黒衣が放った槍の石突がぐんと伸びて忠一の腹を突いた。
「おわぁっ!?」 大きく後ろに突き飛ばされ、忠一はうずくまった。みぞおちに打ち込まれたらしい。
「雪原っ!」 忠一に駆け寄ろうとして、栄治はギクリとした。
先程の黒衣が追いついてきたのだ。
(しまった…!挟まれた!) 挟み撃ちにされたことを悟った栄治は、手のひらにじわりと汗がにじんだ。
(どうする…?) 二体の黒衣は、ジリ、ジリ、と攻撃する間をうかがいながら近づいて来る。
(どうする…!?) 緊張が頂点に達したとき、あの鉢金が再び栄治を呼んだ。
バッグのポケットの中の鉢金を握ると、まるで脈打つように何かが放たれている気がした。
一種の声のようなそれは、耳では聞こえない、頭の中に直接入り込んでくるような摩訶不思議な音だった。
(こうなったら、一か八か…!) 無謀な賭けに出るつもりで、栄治は鉢金を額に巻きつけた。 何も起きなかったらどうしよう、という不安はすぐに忘れられた。 昨夜と同じように、栄治は青白い光の中で剣士の姿になっていた。
うろたえた黒衣たちが、わずかに後退る。
一部始終を目撃した忠一も、別人のようになった友人の姿を唖然として見上げていた。
「え、栄治…お前、そのカッコ…?」 「下がっていろ」 そう低く言うと、栄治は刀に手をかけた。
だが、抜刀する前に槍を持った黒衣が動く。 栄治は抜きざまに突き出された槍の先を払うと、そのまま黒衣の懐に跳び込んだ。

間合いでこちらが不利になる槍を長時間相手にすることは出来ない。 また、黒衣を二人同時に相手にすることも、不利になる可能性があるので避けたい。 何より忠一を守らなければならないから、あまり移動は出来ない。
これらが瞬時に頭に浮かんだ栄治は、一人づつ一撃で仕留める戦法をとった。

下段から繰り出された突きが黒衣の脇腹に食い込んだ。
刀の勢いを止めることなく逆袈裟に胴を薙ぎ、素早く刃を反して今度は肩口に一撃を加える。
間合いを取り直した時、栄治は異変に気付いた。
(この手応えは…!) 黒衣を斬った時。手元に伝わってきたのは、袋が破れればたちまちに形を失う砂袋のような感触だった。
黒衣はよろめきながら、なおも槍を構えようとする。しかし、それも続かず仰向けに地面に崩れ落ちた。
すぐさま、栄治はもう一人の黒衣の方に向き合った。——が、姿はない。 槍の黒衣が倒されたのを見て、逃げたようだった。
栄治は刀を納めつつ、動かなくなった黒衣を見下ろした。
黒衣は昨夜のように蒸発はせず、宙に砂が拡散していくように黒い粒になって消えた。

ここにきて初めて息切れを覚えた栄治は、鉢金を掴んで額から外した。と同時に服装も元に戻る。
その途端、強烈なめまいに襲われて彼は思わず座り込んだ。
「栄治!」 それを見た忠一が駆け寄って来る。 もう黒衣に突かれた痛みは癒えたらしい。
「おいおい…!大丈夫なのかよ?」 「平気、平気…。すっげー疲れたけど、それだけだ」 心配して顔を覗き込む忠一を栄治は片手で制した。
「そう言う、お前の方こそ…?」 肩で息をしながら問う栄治に
「あ?アレくらい、どうってことねぇよ!」 忠一は自信満々という様子で答えた。
「しっかし…なんだったんだよ、今のはよ?」 その一言に、栄治の表情が曇る。
「…俺にも、よくわからないんだ。ただ、昨日もあいつが襲ってきて…同じように倒した」 話すと決めたのだから、と栄治は胸にしまっておきたかった事を無理矢理に口にした。
「そ、そうだったのかよ…!?」 (やっぱり驚いてる…。そうだよなぁ…。あんなの見て、驚かないわけないもんな…) 「それよりよぉ…」 (あーぁ…。これで確実に変なヤツだと思われる…) 栄治は恐る恐る忠一の反応を待った。
「マジすごかったぜ!お前のサムライっぷり!」 「は…?」 予想外の反応に、間の抜けた声がもれた。
「めっちゃ、カッコよかったぜ!すげーよ!マジですげー!」 黒衣との戦いを見ても退かない忠一に、栄治の方があっけにとられた。
確かに、忠一は驚いている。だが、馬鹿にしたり怖がったりする驚き方ではなかった。むしろ、感激している。
「怪しげな光で、大・変・身!悪をバッサバッサとなぎたおす正義の味方ってやつ?うははっ! あ、助けてくれてサンキュな。これでおたがい貸し借りナシな♪」 何かの手真似、口真似をしながら声を弾ませる忠一を、栄治はけげんそうに見ていた。
「…何も聞かないのか?さっきのヤツらはなんだ?とか。俺のカッコが変わるのはどういうことだ?とか…」 「だって、よくわかんねぇんだろ?」 「まぁ、そうだけど…」 「んじゃ、聞かねー。お前がわかんねぇっつってんのに、聞いてもしようがねぇじゃん?」 またも、忠一はあっさりと言った。
栄治は虚を突かれた。 このわかりやすさは何だろう、と良い意味で思っていた。
「ふ…あはははっ!」 栄治につられて、忠一も噴き出す。
「たははっ!なに笑ってんだよ?」 「雪原だって、笑ってるだろうが」 それ以上の言葉はいらなかった。
腹と頬が引きつるほどの大笑いは、わずかの時間で二人をうちとけさせた。
やがて、二人とも笑い疲れて歩き出したところ
「お!」 と忠一が何かを見つけて、それを拾い上げた。
「どうした?」 栄治が後ろから覗き込む。
黒衣が消えた場所には、古びて折れた槍の柄が遺されていた。
「いいモン見っけ!戦利品だ!」 喧嘩に勝ったガキ大将のような表情で、忠一はそれをポケットにねじ込んだ。
興奮冷めやらぬまま、二人は再び家路ついた。
彼らは、自分たちを見下ろしていた視線に気付かない。
その視線の主——白髪を結った三白眼の男が、旧市街の瓦屋根の向こうに消えた。