第二幕

「うわ…。もうこんな時間か」 空は東から藍色に染まり始めている。
栄治は追試の帰りだった。入院騒ぎで先日の学期末テストを受け損ねたため、放課後に居残る羽目になったのだ。
(ホントに、何だったんだか…) 黒衣と交えた一戦が、未だ頭の中にはっきりと残っていた。
冴え渡る神経。 肢体を動かす見えない意思。 その意思が頭に直接授けてくる戦術。 その力で倒した、砂のように消える黒衣。
(…そういえば!) 栄治の手の平が、黒衣を斬った時の手応えを思い出した。
(最初にあいつを倒したときも、血が流れてなかった。あいつら…人間じゃない!?) 今頃になって急激に背筋が寒くなった。それと同時にホッとしてもいた。
(…っていうか、そうじゃなかったら殺人事件だよな) 鉢金はバッグのポケットに入れてある。今は、あの不可思議な“声”も聞こえない。
(ま、でも『今の俺』には関係ない。うん。関係ない。ゲームだ。芝居だ。時代劇の撮影だ) 一連の戦いを現実とは違うところで起こった出来事なのだ、と栄治は割り切ることにした。 そうでもしなければ、とても身が持たなかった。
「『傀儡(くぐつ)』が、やられた?二体ともか?」 大男は鉄扇を帯に差し直しながら、報告を聞いていた。
「は。さらに、『あれ』を取り返すために放ったもう一体に至っては、術を解かれたようです。回収し損ねました」 その後ろに少し距離を置いてひざまずくのは、栄治たちを監視していた三白眼の男だった。
鎖帷子の上に簡素な胴当を着込み、肌脱ぎにした着物の両袖を腹の前で結んでいる。
「厄介なことになったな…。とりあえず、先生さんに知らせておけ。次の手は俺たちで打っておくってな」 「御意」 ギョロ眼の男は身を翻し、素早くその場を立ち去った。
「『厄介』…ですかい?」 話しを聞いていた二人のうちの一人がふと呟いた。
「…何だ?平山」 大男に『平山』と呼ばれたのは、左目を黒い鍔の眼帯で覆っている頬のこけた男だった。
「いえいえ。そう言うわりには、随分と楽しそうに見えましたんで…」 「楽しんでる?この俺が?」 大男は振り向きもせず、ドスの利いた声で聞き返した。
「違うんですかい?」 臆する様子もなく、平山は皮肉ったように口元を緩める。
その横に座り込む赤ら顔の男が、わずかに冷や汗をかいた。
「フン…」 やがて、大男が満足げに鼻息を吹いた。
「祭りってのはな、計算どおりじゃ面白くねぇんだよ。あの堅物先生さんとは違ってな」 「成程。先生らしいですね」 「わかってんじゃねぇか。…平山、平間!」 名を呼ばれて赤ら顔の男——平間が慌てて立ち上がった。
「お前ぇら二人で『あれ』を取り返して来い」 「いや、でも先生…。わざわざ俺たちが出向かなくとも、また傀儡を二、三も使えば…」 平間の不満げな物言いに、大男はわずかに声を低くした。
「念の為だ。ま。お前ぇらが行きゃぁ、確実に勝てんだろ」 (…あれ?) ふと栄治の足が止まった。
通りの向こう側に、見覚えのある顔を見つけたからだった。
(雪原?こんなところで何やってるんだ?) 忠一は、まだ栄治に気付いていないようだった。
「おーい。雪——」 呼び掛けようと出しかけた声を栄治は慌てて呑み込んだ。
脇の路地から出て来た、派手派手しい格好をした人相の悪い男が三人、忠一を取り囲んだのだ。
両耳をピアスで穴だらけにし、金鎖のネックレスをジャラジャラと鳴らす者。 ボロボロに破れたジーパンを履き、髑髏の絵を毒々しくあしらったレザーのジャンパーを羽織った者。 頭をすっぽり覆うニット帽に、目も見えないほど真っ黒なサングラスをかけた者。
どう見ても、"いかにも"な風貌揃いだった。
いずれも、ガムをくちゃくちゃ噛んでいたり、くわえ煙草をしていたりと、いかにもガラが悪い。無精髭や目付きの悪さも手伝って年齢もよくわらない。 (な、何だ、あいつら…!チンピラとかヤンキーとか、そういうのか…?) 栄治は息を飲んだ。
嫌悪感を露わにした表情で、忠一は男たちと何やら話している。
——と、忠一の視線がふと正面に泳いだ。
(あ…!) 急に目が合ってしまった栄治は、どう反応しようか戸惑った。
間髪入れず、忠一は男たちをかきわけてこちらにツカツカと歩み寄って来る。
「き、昨日ぶりだな…って、痛ててっ!」 忠一は無言で栄治の腕を引っ掴むと、足早にそこを立ち去った。
やがて、背中を丸めてニヤついた笑みを浮かべていた男たちは、二人の視界から消えた。