「ぃよっ!待ってました!」 忠一が掛け声を飛ばす。
「ちぃっ!」 平山は素早く跳び退き、間合いを取り直した。
そこにはもう、この理解不能な事態を嘆いていた栄治はいない。
「離れていろ」 「おう!」 忠一を道の脇に下がらせると、栄治は右正眼に構えた。
対する平山は、再び平正眼の構えをとっていた。
斬り込むタイミングを計り、互いに相手の隙をうかがっている。
忠一はワクワクしながら成り行きを見守っている。ほとんどスポーツ観戦の感覚だ。
栄治と平山は睨み合ったまま、なかなか動こうとしない。
忠一はじれったくなり、思わず声を上げた。
「行っけぇー!栄治ーっ!」 それを合図に、二人の爪先が同時に地面を蹴った。
栄治は右肩口を、平山は小手を、それぞれ狙って刀を繰り出した。
それを皮切りに、激しい剣戟が幕を開けた。

文字通り火花を散らす勢いで、二つの刃が激しく交差する。 右側面。右胴。小手。上段斬り下ろし。 互いに一歩も退かない、激しい技の応酬となった。

栄治は考えた——いや、鉢金に宿る(つわもの)意思に考えさせられていた。
普通の攻撃は、全てかわされてしまう。 このままでは、埒が明かない。
まだ余裕がありそうな平山に対し、『鉢金』に体力を吸い取られていく栄治は持久戦に不利。 少しでも早く勝負を付けるには、相手の弱点を突くしかない。
決定的な『弱点』を——。

栄治は、反撃の手札を初見で得ていた。
平山が“左目に眼帯をしている”のが、それだった。
人間は攻撃に転じた時、視野が極端に狭くなる。 左側の視界が眼帯で封じられている平山は、なおさらだ。
平山の攻撃を捌き、その流れで左側面に打ち込めば勝機は充分ある。
その平山が、右胴の構えをとった。
(今だ!) 栄治は手札を切った。
身長差を逆手にとり、腰を深く沈めて平山の胴薙ぎをかわす。 そして、平山の右側面に踏み込むと同時に、下段から左肩を狙った。
下段からの斬り上げは、初動は遅いが間合いが見切られにくい。 さらに、片目では遠近感が失われ、正確な距離感がつかめないはずだ。
(何っ…!?) 栄治の一撃は、平山が左水平に繰り出した刀身に受けられていた。
「へっ!そう来ると思ったぜ」 余裕の表情で、平山は栄治を見下ろした。
読まれていた。
視野の死角を突く戦法は、平山には通用しない。
そこへ栄治の左肩めがけて、新たな刃が入り込んで来た。
成り行きを傍観していた平間が、平山に加勢して来たのだ。
「く…っ!」 栄治は自分の刀を平山の刀から滑らせて自由になると、一足飛びで間合いを離脱した。
「こいつぁ驚いたな」 「あぁ。驚いたな」 右正眼に構え直す栄治を見ながら、平山と平間が言葉を交わした。
「この時代に、『憑代(よりしろ)』をここまで使える奴がいるたぁな」 「いるたぁな」 平山と平間に会話する余裕が出てきている。
忠一はそれを直感的に感じた。
「へ…?もしかして、今の状況ヤバイんじゃね?」 それを裏付けるように、平山と平間が不敵な面構えで、再び攻撃に転じた。
「だが、それも…」 「ここまでだっ!」 激しい剣戟の嵐にさらされ、栄治は防戦一方になった。
平山の死角であるはずの左側への攻撃は効かない。 さらに念の入った事に、今はそこを平間が穴埋めしている。 栄治がどんなに動き回ろうと、二人はその陣形を崩さない。
二人を分断して一対一に持ち込み、各個撃破する方法も考えた。
しかし、中途半端な道幅がそれを許さなかった。 敵を引き離せるだけの空間はない。 そのくせ、二人同時に攻撃を仕掛けられるくらいの空間はある。
「おら!どうした、どうしたぁ!?」 「急に動きが粗くなりやがったぞ!?」 平山と平間は自らの有利を悟って、嬉々として指摘してきた。
栄治が最も恐れていた、体力の消耗が始まったのだ。 精確だった太刀筋が、ジワジワと崩れていく。二人分の攻撃を捌ききれていない。
そこへ平山が、栄治の小手に向かって渾身の一撃を打ち込む。
栄治はとっさに刀を引いて鍔元で受けた。
その反動で、栄治の刀が手から弾かれた。
(しまった…!) 栄治の手を離れた刀は宙を飛び、カラカラと音を立てて道路に転がった。
「栄治っ!」 忠一が叫んだ。
同時に、体力の限界に達した栄治がガクリと膝をつく。
平山は、栄治の鼻先に鋭い切先を突きつけた。
「これでわかっただろ?お前如きに扱える代物じゃないんだよ」 「わかったら、鉢金と槍を今すぐ返しな」 それが出来たら、最初からこんな事にはなっていない。
いつもの栄治なら、返すものはさっさと返して、余計なトラブルは避けようとする。
しかし、今の栄治は思考も感覚も『鉢金』の力に支配されている。
鉢金に宿る(つわもの)の意思は、ギリギリまで栄治に戦いを止めさせる事はない。
「さぁてと…」 刀の腹を背負った平間が、忠一にゆっくりと近づいていく。
「『槍』はお前が持ってやがったな?痛い目に遭いたくなかったら、大人しく渡しな」 「誰が…!」 「よせっ!お主には無理だ!」 反撃しようとする忠一を栄治はとっさに制止した。
不本意な表情で動きを止めた忠一に、平間が「それ見た事か」と言わんばかりに
「そういう事だ、栗頭。こんなふやけた時代の人間が、俺たちに勝てる訳がねぇのさ」 「だからって、タダでやられて…たまっかよっ!」 「往生際の悪い…」 平山は忠一の方に顔を向けると、無駄な抵抗を「フン…!」と鼻で笑った。
平山の視界が、栄治からそれた。 そこを栄治は見逃さなかった。
栄治は素早く脇差を抜くと、平山の間合いに一気に飛び込んだ。
「何ぃっ!?」 気付いた平山はとっさに右足を引いて、栄治の脇差を受け止めるしかなかった。
ガキンと刃が合わさり、平山の動作が一瞬だけ止まった。
間合いのない密着状態に持ち込まれ、刀の長さがかえって邪魔になったのだ。
その隙を突き、栄治は渾身の力を込めて、平山の腹を思い切り蹴り飛ばした。
「うぉ…!?」 吹っ飛ばされた平山は、咄嗟に左足を地面に着けて、制動をかけようとした。 が、急に止まった反動で、今度は後ろにつんのめった。
その背後で待ち受けていたのは、ある店舗の格子窓だった。
平山の全体重を受けて華奢な格子はバキバキと折れ曲がり、その奥の窓ガラスはガシャンと凄まじい音を立ててあっけなく割れた。
そのけたたましい音に、平間が思わず振り返る。
「平山っ!?」 「よっしゃ!」 忠一は、してやったりという顔でガッツポーズを作る。
栄治は右手で脇差を辛うじて構え直した。
今の一撃が、それほど効いたとは思えない。 かといって、もう落とした刀を取りに行く余力は残っていない。
案の定、粉々に砕けた木片とガラス片の中から、平山がゆらりと上体を起こした。
「く…そっ!この餓鬼が…っ!」 怒りに火がついた平山は、栄治に向かって突進しようとした。
(駄目だ!もう雪原を逃がす(いとま)もない!やられる——!) 栄治が敗北を直感したその時
「何事ですか!?」 「わかりません!フロアから大きな音が…!」 店の奥から、突然の災難に慌てる店員たちの会話が聞こえてきた。
「ちっ!」 舌打ちした平山は踵を返し、旧市街を包む夕闇の向こうへあっという間に消えていった。
どうやら、人目につきたくないのは栄治だけではなかったようだ。
「おい」 平間は、立っているのがやっとの栄治を忌々しげに睨んだ。
まだ来るか、と警戒した忠一が身構える。
「命拾いしたな」 捨て台詞を残した平間も、平山のあとを追って姿を消した。
ぴんと張り詰めていた空気が、ふっとゆるんだ。
それまで気力だけで立っていた栄治は、握っていた脇差を取り落とし、とうとう前のめりに倒れた。
忠一は、平山と平間が去った方向に拳を突き出して啖呵を切っていた。
「へっ!おととい来やがれってんだ!な?栄治!」 呼びかけて振り向いた先には、変身がとけた栄治がぐったりと倒れていた。
「…って!おいおいっ!大丈夫かよ!?」 忠一は栄治に駆け寄った。
「さっすがに二人がかりは手こずったなぁ。けどよ。最後の最後に大逆転で…!」 返事がない。
「栄治…?」 おかしいな、と思った忠一は栄治の顔をのぞきこんだ。
目を開けていない。
「…って、おいおいおいっ!ジョーダンだろ!?」 めったに真面目にならない忠一も、さすがにあせった。
やがて、店員らしき二人の男が店の奥から姿を現す。
「これは大変だ…!ガラスが…!」 (ヤベ…!) 人が来た。
忠一は反射的に鉢金を探して、自分の周りを見回した。
あった!
結び目がほどけ、栄治の額の下に敷かれた格好になっている。
「風山さん。あれを…」 店員の一人が、忠一とその脇に倒れている栄治に気付いた。
忠一はとっさに鉢金をジャンパーのポケットにねじ込んだ。
先ほど『風山さん』と呼ばれた、丸眼鏡をかけた若い男が駆け寄ってきた。
「君たちは?」 「えっ!?あー、っと…その…あ、あやしいモンじゃねぇッスよ!」 「君、大丈夫か!?」 忠一の横で倒れている栄治に、丸眼鏡の男は思わず声を上げた。
「鳥井さん!念の為、救急箱をお願いします。僕が奥まで運びますから」 「わかりました!」 『鳥井さん』と呼ばれた細目で人の良さそうな中年の男が、店の奥へと走っていった。
てきぱきと指示を飛ばす丸眼鏡の男に、忠一が感心していると
「君!そっち持って!」 「へ?…あっ!はいッス!」 栄治の上半身を抱えた丸眼鏡の男に、忠一は足の方を持つように言われた。
忠一は慌てて指示に従い、栄治は店の中に運び込まれた。
店内に運ばれた栄治は、フロアの奥にある事務室で手当てを受けた。 鳥井さんが、栄治の顔や腕の傷を消毒して絆創膏をていねいに張ってくれた。
「これで大丈夫でしょう。ガラスの破片で少し切っただけのようですから」 「だー…!おどかすなよなぁ…」 さっきまで栄治の容態にヒヤヒヤしていた忠一は、座っていた事務用椅子の背もたれにどっかと背中を投げ出した。安心して力が抜けたようだ。
「ところで君たち…」 丸眼鏡の男の問いかけに、忠一はガバッと起き上がった。
「あ!俺、雪原忠一ッス。こいつは松永栄治」 「じゃあ、雪原君。事情を説明してもらえないかな?」 「え゛っ!?事情…ッスか?」 「そう。君たちがどうして当店のガラスを割ってしまう事になったのか。その訳を聞きたいんだけど」 「えっとぉ…な、なんつーか…」 言い訳を考えていなかった事に気付き、忠一はとっさに言葉が出てこなかった。
すると、鳥井さんが
「あぁ。君。目が覚めましたか?」 その声に忠一も丸眼鏡の男も、ソファに横たわる栄治に目を向けた。
「…え?あれ…?ここ…?」 「栄治!」 目を開けた栄治は、自分の状況を知ろうと上半身を起こした。
「雪は——痛てっ!」 言いかけて、栄治は目頭を押えた。酸欠で頭がガンガンする。
「っ痛ー…!」 「なんか、今日はダメージでかそうだな?おい」 (誰のせいだと思ってるんだよ…!?) 頭を膝に預けてうずくまったまま、栄治は心の中で突っ込んだ。
「それより、あの二人組は…?」 「おう。あいつらなら、いちもくさんに逃げてったぜ」 その会話に、丸眼鏡の男が反応した。
「『二人組』?」 「あ、いやー…その…!」 慌てる忠一をよそに、栄治は頭痛をこらえながらもっともらしい言い訳を絞り出した。
「それが…そこの通りを歩いてたら、目つきの悪い二人組に急にからまれたんです。 あんまりしつこいんで、ケンカになって…。俺が、相手を…その…突き飛ばして。その時、ガラスが…」 偽のストーリーを組み立てるのは、意外と簡単だった。 先程の騒動に、忠一にからんでいた人相の悪い連中を組み合わせただけの事だ。
「…成程。よくわかったよ」 店側の二人は、一応納得したようだった。
ホッと胸をなでおろす栄治と忠一だったが
「ただ、ね…。その割れたガラス。何とかしてもらわないといけないんだよ」 丸眼鏡の男の言い分に、栄治は
(ですよねー…) と、ため息をついた。
「やっぱり、弁償…ですか?」 「ぅえぇーっ!?そんだけは、カンベンしてくれッスよ!俺、いまカネないんス!たのんますよぉー!」 「勿論、君たちだけの所為じゃないのはわかっているよ。でも、相手が逃げてしまった以上は…ね」 「そ、そこを何とか!」 引きつった顔の栄治と、必死に懇願する忠一を前にして、丸眼鏡の男はしばし考え込んだ。
「じゃあ、こういうのはどうかな?」 やがて、丸眼鏡の男は右手の人差し指で天を指しながら、にっこりと笑ってこう言った。
「君たち二人には、ここでアルバイトをしてもらう。そのバイト料から、ガラス代を払ってもらうんだ」 「「えぇぇーっ!?」」 思わぬ提案に、栄治と忠一の口から特大級の驚きの声が出た。
「全額返済終了すれば、店を辞めるも続けるも君たちの自由だ。 それまでに件の喧嘩相手が見つかれば、彼らに改めて損害賠償を請求する。…どうかな?」 それにはかまわず、丸眼鏡の男は栄治たちに同意を求めた。
二の句が告げない二人を見かねた鳥井さんは、彼なりの助け舟を出した。
「でも、風山さん」 「鳥井さん。何か?」 「いくらなんでも、中学生の方を雇うというわけにはいかないのでは…?」 「あー、いやいや!こいつは…」 鳥井さんが口にした『中学生』を訂正しようとした忠一だったが
「大丈夫です!俺、“高・校・生”ですから!」 ムキになった栄治は、勢いあまって発言していた。
「そ、そうでしたか…!」 鳥井さんが戸惑う横で
「じゃあ、問題なしだね」 丸眼鏡の男は満足そうに、またにっこりと笑った。
それを見た栄治は我に返った。
(…しまった!結局、この人の思う壺だ!) 気付いた時には、すべてが手遅れだった。
「明日にでも早速、履歴書を持ってきてもらおうかな。勿論、学校が終わったらでいいからね。 もし、書き方がわからなかったりしたら僕が教えるから、遠慮なく聞いてくれていいよ」 「はい…」 ここまで隙なくお膳立てされては、栄治も忠一も唯々諾々になるしかない。
「それじゃあ、雇用主代理として自己紹介しておこうか。 僕は、風山 知信(かざやま とものぶ)。当店の副店長をさせてもらっている。こちらは、料理長の鳥井 一武(とりい かずたけ)さん」 「よろしく。若い人が増えてくれると、賑やかになりますねぇ」 親身に微笑む知信と鳥井さんを前に、栄治と忠一が言える事は一つだった。
「「よ、よろしく…お願い、します…」」