翌日。
短縮授業を終え、部活も休みだった栄治は、軽く昼食を済ませようと駅前のファストフード店に入った。
それまで舌になじんでいたはずの味が、鳥井さんのまかないに比べて物足りなく感じたのは、自分でも不思議な気分だった。
手早く食べ終わると、栄治はその足で紫影館に向かった。
特に働きたいというわけではなかったが、一日も早くガラス代を稼ぎ上げてしまいたかった。
(あー…。さっさとガラス弁償して、バイトから解放されたい…) あの怪しい二人——平山と平間が素直に弁償するばすはない、と栄治は踏んでいた。 格好も言動も、とても“まとも”とは思えない相手だ。期待は出来そうになかった。
店の玄関側の右横にある路地に入り、従業員が出入りする勝手口のドアを開いた。
「こんにちは…じゃなかった。おはようございます」 「やぁ、おはようございます。松永君」 「よ!栄治!」 忙しく料理をする鳥井さんと、食器を片っ端から配膳台に並べる忠一がいた。
「雪原、風山さんは?」 「ホール出てる。つーか、今日はやたら客が多くってよ。めっちゃいそがしいったらありゃしねぇんだ」 「松永君」 「あ、はい!」 鳥井さんの言葉に、栄治はここが仕事場だということを思い出した。
「悪いんですが、今日はホールをお願いします」 「いきなりですか!?」 「大丈夫。オーダーは風山さんがとりますから、松永君は料理を運んでくれればいいですよ」 「わ、わかりました!すぐやります」 栄治は厨房から事務室に向かった。
すると、確かに店内は満席御礼だった。 カウンターに詰める知信は、次から次へとコーヒーを淹れ、他のドリンク類の用意もしている。
事務室に荷物を置いて大急ぎで着替えた栄治は、厨房で用意されたサンドウィッチやケーキを客席に運び始めた。

やがて客足も落ち着き、栄治たちは事務室で順番に休憩をとれるようになった。 今は忠一が、椅子に大の字になってもたれかかっている。
そこへ栄治がドアを開けた。
「雪原。交代の時間。厨房入ってくれ」 「うーっす」 もったりと椅子から腰を浮かせた時、ドア越しに知信が見えた。
「お!そーいや、風山さーん」 「何だい?」 栄治を挟んで、知信が忠一に返事を返す。
「昨日言ってたツキシマさんって、まだ来ないんスか?」 「いや、雪原君たちが来る前に買出しに行ってもらっていてね。じきに戻って来るはずだよ」 「なーんだ。すれちがいだったんスね」 「ほら、それより仕事仕事」 「へーい」 知信がまたフロアに戻るなり、忠一は急に目が生き生きとしてきた。
「な!な!栄治」 「ん?」 「『ツキシマ サイ』なーんてキレーな名前からして、大人の美人だといーなー」 「あんまり期待し過ぎると、外れた時にガッカリするぞ」 「お前ぇ、夢ねぇな…」 不意に、厨房から勝手口を開け閉めする音がした。
「あぁ、月島さん。お帰りなさい」 鳥井さんのこの一言に、忠一がにわかに色めき立つ。
「来たーっ!行こうぜ、栄治!」 「お、おい?俺、休憩…」 忠一は栄治を引っ張って、ずかずかと元気に厨房へ向かって行った。
勝手口では、鳥井さんが頼んでいたらしい品物を受け取っている。
そこへ駆け寄った途端、忠一の動きと思考が固まった。
「鳥井サン。買出し、行って来ましタ。遅くなってスミマセン」 「いえいえ。遠くのお店まで行ってもらったんです。お疲れ様でしたね」 巻き毛気味の短い金髪。角ばった彫りの深い顔立ち。ドアの高さもゆうに越える長身。 そして、がっしりした体格に似合わず、人の良さそうな眼をした彼こそが『月島彩』だった。
Huh?(おヤ?) そのお二人ハ?」 彩は、鳥井さんの後ろに立ちつくす少年二人に気が付いた。
鳥井さんは振り向いて紹介した。
「あぁ。昨日から新しく入ったアルバイトの子たちですよ」 Oh!(あぁ!) そうでしたカ」 彩はドアの枠に頭をぶつけないように、軽く身を屈めながら中に入った。
「初めましテ。月島彩でス。『サイ』と呼んでくださイ」 そう言って、彩はフレンドリーに握手を求めてきた。
そんな彼を栄治は
(大っきな人…!) と思わず見上げていた。
その後ろで目を点にして固まっていた忠一が、悶絶せんばかりに頭をかきむしってつぶやいた。
「サギだ…!こんなのサギだぁ…!」 「こら…!失礼なこと言うなよ」 栄治は思わず、忠一の頭を押さえつけた。
「だって、お前…!名前と見た目が、ぜんぜんちがうじゃんか…!」 「雪原が勝手にカンちがいしただけだろうが」 「アノ…?」 つかめない話しをヒソヒソとする二人に、彩はどう反応したらいいのかわからなかった。
彩を困らせている事に気付いた栄治は、慌てて彼に向き直った。
「…あっ!お、俺、松永栄治です。よろしくお願いします」 「ハイ。ヨロシクです。栄治サン」 差し出した栄治の右手を、彩の大きな手がぎゅっと包んだ。
その後ろで相変わらず文字通り頭を抱えている忠一を、栄治はせっついた。
「ほら。雪原も挨拶くらいしろって」 忠一は不満たらたらな顔を横に背けたまま、口を尖らせて投げやりに言った。
「雪原忠一っス…」 「思いっきり失礼だぞ、お前…」 栄治は半ばあきれた。こんな素っ気ない挨拶、初対面の人間にするものじゃない。
だが
「ヨロシク、忠一サン。ワタシたち、同じワークプレイスのメンバー。遠慮いりませン。一緒にこのカフェ、盛り上げていきまショウ」 忠一が起こした気まぐれに怒るどころか、彩はそれをふっとやわらげた。
その気づかいに、栄治は自然と応えたくなった。
「なら、月島さ——じゃなかった。彩も遠慮…っていうか、敬語は無しでいいよ。俺も雪原も、彩より年下みたいだし」 栄治の申し出に、彩は少し困ったような笑みを浮かべておずおずと答えた。
Umm...(うーん…) ワタシの日本語、まだ敬語しか話せないのでス」 そう言われて、栄治はハッとした。
日頃扱い慣れている母国語と違って、外国語は微妙な意味合いや印象を使い分けるのが難しい。
自身も英語の授業で苦戦していた事を思い出し、栄治は自分の思慮の甘さが恥ずかしくなった。
「あ…そうか。逆に、ごめんな」 No.(いいえ) それどころカ、とても嬉しいでス。だかラ、気にしないでくださイ」 やはり怒るどころか、彩は栄治の申し訳ない気持ちをふっとやわらげた。
「…わかった。改めて、よろしくな」 Yes!(はい) こちらこそでス」 自然と笑顔になる彩に、照れ笑いを返すしか出来ない自分はまだ子供だなと栄治は思った。
二人のやりとりを見ていた忠一が、ふと呟いた。
「…おっ?なになに?もう仲良くなっちまった感じ?」 先を越されたような気分の忠一の横で、知信は打ち解けた様子の栄治と彩を満足気に眺めていた。
紫影館のこの日最後のお客が帰った。
今日は彩も加わって、後片付けが昨日より早く済んだ。彩は見かけどおりの力持ちで、力仕事を進んでやってくれた。
帰り支度をした栄治、忠一、彩の三人は、まかないのキッシュとブラジルコーヒーを囲んでカウンターで喋り始めた。初対面だけに、それぞれが話したい事も聞きたい事もある。
まずは、栄治が彩に話を振った。
「昨日、風山さんから名前だけ聞いた時は、てっきり日本人だと思ってたんだけど…」 「Yes! 生まれはシカゴ。ですガ、呼びやすいネーム考えましタ。"When in Rome do as the Romans do"(『郷入りては郷に従え』)でス」 「何で、日本に来ようと思ったんだ?」 「ワタシ、日本大好キ!特にサムライ大好キなんでス!ソレを体感したくテ、来日しましタ」 「そのために、わざわざこっちまで来たのか!?」 「Yes. 恥ずかしながラ、他に何も考えませんでしタ」 気恥ずかしそうにウィンクする彩に、忠一が
「おっ!思い切りがイイな!気に入ったぜ!」 It's the Frontier Sprits!(これぞ開拓者精神!) 人生切り拓きまス!」 ノリノリで無計画を肯定し合う二人に、栄治は
「おい…」 と突っ込みを入れつつ
「それじゃあ、大変だったんじゃないか?」 「Yes... 右も左もわからなイ。外国人の就職は難しイ。それに、みんなワタシを怖がりまス…」 「じゃあ、こっちに来てガッカリした?イメージと違ってたから」 「No. アメリカも日本も同じ。今は思いまス。カルチャーは違う。けド、人は同じ。いい人もいれバ、悪い人もいル。 それにマネーがピンチになった時、ここがジョブくれましタ。風山サンのおかげでス」 彩はそう言って、事務室から出てきた知信に視線を送ると
「いえいえ」 と、肯定する返事が返って来た。
「なんつーかよ…。彩、すげーな…」 忠一が感心する。
me?(ワタシが?) きょとんとして自分を指差す彩に、栄治も感心していた。
「あぁ。大人の考えっていうのかな。雪原と同じ、ただの無計画じゃなかったんだ。見直したよ」 「だよなー!俺も見直し…って、栄治!?だれが無計画だって!おい!」 「何だ。聞こえてたのか?」 「バッチリ聞こえたぜ!こんちくしょー!」 ふざけながら格闘する二人を眺めて、彩は楽しそうに笑った。
そこへ知信が一冊の本を携えてやって来た。
「それじゃあ、松永君。昨日の約束だ。新選組の事を話そう」 「あ、はい」 「おー!そーだった、そーだった!」 「新選組!幕末のラストサムライのグループですネ!」 「月島さんも日本史に興味があるし、丁度良さそうだね」 知信は、にこにこした顔に一層柔かな笑みが浮かべた。
そうして、栄治たちとはカウンターを挟んで反対側に座り、持ってきた本を広げた。
「じゃ、始めようか」 「お願いします」 「楽しみですネ」 「な!」 それぞれ違う動機ながらも、三人は興味津々で知信に注目した。
「新選組は『新“撰”組』と書かれる事もあるんだけど…」 知信の『講義』が始まった。
「江戸時代後期——つまり幕末、主に京都の治安維持を目的に活動した組織で、活動期間は約六年」 「たった六年?マジっスか!?」 「Oh! コレは意外。短いですネ」 「最初は『壬生浪士組』を名乗っていて、やがて当時の京都守護職だった会津藩主の松平容保公の配下に置かれた。 そして、京都に潜伏する長州・土佐を中心とした過激派浪士の取り締まりにあたるようになった。 その中で最も大きな捕物の一つが、池田屋事件だね」 「おっ!そんなら俺も知ってるぜ!古っそうなドラマで見たことあるわー」 「実際は、あそこまで派手な大立ち回りじゃなかったらしいけどね」 「そうなんスか?」 「狭い屋内での事だったし、浪士側は二十数人中、即死者七名、新選組側は一名。 この時の傷がもとで死亡した者も多いけど、召し取り二十名で、今で言えば警察の強行突入みたいなものだと思うよ」 「ぁんだよ。ドラマはウソかよ?」 「というより、物語を盛り上げるためのデフォルメだろうね」 「へぇー…」 「そして、のちに薩摩・長州・土佐の倒幕運動が頂点に達したとも言える戊辰戦争が始まると、幕府軍の一員として各地で戦った」 「最後は…どうなったんですか?」 「副長の土方歳三が箱館戦争で戦死。ほどなく彼が参加していた幕府軍も降伏して、戊辰戦争は終結した。それと同時に新選組も解散。 時代は、完全に明治になったんだ」 「他のメンバーは、どうしたんスか?」 「局長の近藤勇は、流山で薩長軍に捕らえられて斬首。幹部の一人、沖田総司も持病の結核が悪化して江戸で病死。 他にも粛清されたり戦死したりで、初期メンバーはほとんどが死に絶えているね」 「ぜ、全滅じゃないスか…!」 「ほぼ、ね」 「そんな全滅するほど、すごい戦いだったんですか?」 「それもあるけど、内部抗争の凄まじさが大きいかもね」 「仲間割れしてたって事ですか?」 「そうだよ」 「風山サン、質問いいですカ?」 「どうぞ」 「風山サンは新選組を『治安維持を目的に活動した』と言いましたけド…ワタシ、最初『人斬り集団』だと聞いてましタ」 「まぁ、正確には違うんだけど…ある意味では当っているのかな」 「『ある意味』って?」 「月島さん。もし、銃を持った犯罪者と遭遇した場合、アメリカではどう対処するものですか?」 「銃を捨てるように警告しまス。従わなけれバ、テーザー銃で制圧しまス」 「それでも発砲してきた場合は?」 「…最悪の場合、射殺でス」 「えっ!?捕まえるんじゃなくて?」 「アメリカ、こえぇー!」 「そう。武器を振り回す犯罪者には、武器を以って立ち向かうしかない。取り締まる側は勿論、民間人にまで被害が出てからじゃあ手遅れだからね。当時は、刀や銃で武装した過激派浪士による『天誅』と称したテロ行為が相次いでいた。彼らは、市中のどこに潜んでいてもおかしくない。だから、抵抗する不審者は容赦なく斬り捨てる事もあったんだ。これが一つ」 「もう一つは?」 「隊の規律維持のために、厳しい法度が作られたんだ。しかも『破った者は即切腹』っていうほど厳しいものがね」 「げっ!マジすか!?」 「それに今話した『仲間割れ』もあって、違反者の容赦ない処断や隊士同士の派閥争いが激化していった。 そうして自ら人材をすり減らしていった所に止めを刺したのが戊辰戦争だったんじゃないかと、僕は見ているんだけど」 「し、知らなかった…」 「うひゃ…!そんなおっかねぇ組織だったのかよ…!」 「クレイジーですネ…」 「あと新選組といえば、赤地に『誠』の一文字の隊旗や、袖口を山形の模様を染め抜いたダンダラ羽織とかはよく知られているはずだよ。 あの羽織はごく初期の隊服で、当時歌舞伎で人気だった『仮名手本忠臣蔵』の衣装がモデルだとも言われているね」 「「あ」」 栄治と忠一は思わず顔を見合わせた。
『袖口を山形の模様を染め抜いたダンダラ羽織』——栄治が鉢金の力で変身した時の格好と一致していた。
「はーん?チームで揃いのトップクみてーなもんか」 「雪原君。そこは『制服』と言っておこうか」 「お前はヤンキー漫画の読みすぎだ」 「えー?似たようなもんじゃね?」 栄治と知信に否定された忠一は、不満気に口を尖らせた。不良が集団で着る『特攻服』の略とは知らない彩は何の事かと首を捻っていたが、それよりも知信の話の続きの方が気になっていた。 「それにしてモ、風山サン。とっても詳しいイ!ワタシ、感激でス!」 「栄治。お前、高校で習わなかったのかよ?」 「教科書は『近藤勇』『土方歳三』くらいしか載ってなかったんだ。それも、たったの二行だけ」 「その三人はそれぞれ局長、副長、一番組長を務めた、創設メンバーの中心だね」 「他には、どんなメンバーがいたんですカ?」 「そうだねぇ。挙げればキリがないけど…
同じ創設メンバーでは、副長のちに統長の山南敬助、二番組長の永倉新八、十番組長の原田左之助、 八番組長の藤堂平助、六番組長の井上源三郎、三番組長の斉藤一…」
「『組長』?」 「新選組は慶応元年あたりから一時期、小隊制を導入していてね。 一番から十番までの組を作って隊士を分け、その上に組長——つまり小隊長を、さらにその下に補佐役として伍長を置いていたんだ」 I see.(なるほド) 「なんかよ、カッコよくね?『十番隊隊長・原田左之助』とか言ってみてぇ!」 「さらに浪士組からの創設メンバーといえば、局長の芹沢鴨、局長のちに副長の新見錦、 さっき言った組長に相当する副長助勤の平山五郎、平間重助、野口健司」 (『芹沢』…?) 聞き覚えがあった名前に、栄治は反応しようとしたが
「『じょきん』?消臭剤っスか?」 「それは『除菌』だろ」 忠一のボケに遮られた。
「『副長を助ける勤め』と書くんだけど…言うなれば、幹部の事だね」 栄治の質問を待たずに、知信が説明をフォローした。
『…俺たちは新選組の旗揚げ同志。近藤たちと並ぶ隊の幹部だ。そもそも新選組を作ったのは、俺たち芹沢一派だ…』 平山に言われた言葉の意味を、栄治はここに来てやっと理解した。
一方、話しを聞いていた忠一がふと首をひねった。
「ありゃ?今の話しだと、局長が二人ってコトになっちまいますよ?」 栄治も「ひい、ふう、みい…」と指折り数えて
「局長二人、副長三人、残りは全部幹部…。どういう組織ですか、それ…?」 「さっき出た『仲間割れ』のはしりだろうね。お互いに自分が組織を仕切ろうとして譲らなかったんだ」 「あの、風山さん」 「質問かい?松永君」 「はい。その芹沢って人は、最後どうなったんですか?」 「お、気になるよなー!『鴨』なんて、ヘンな名前だしなー!うははっ!」 「暗殺されたんだ」 「え…?」 「『仲間割れ』の末、芹沢派はほぼ全員が近藤派に暗殺されたんだ」 「それって…」 「つまり…」 「Murder… 殺されタ…?」 忠一、栄治、彩が呟いた。
知信はうなずいて続きを話し出した。
「実行犯は、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田左之助、井上源三郎だという説が有力だ。近藤勇と土方歳三が暗殺の発案者だろうね」 「…Huh? それだト、人数が足りませんガ?」 「斉藤一は、近藤派といっても京都で合流したメンバーだから、さほど強い繋がりじゃなかったらしいんだ」 「じゃあ、あとの二人は?」 「藤堂平助は当時まだ十八、九の最年少だったし、永倉新八は芹沢派と同じ神道無念流だったから暗殺には反対していたという説がある」 「流派が同じだから…ですカ?」 「幕末の頃は、同門同士の繋がりは非常に強いものだったんだ。たとえ、違う道場の門下生でもね。言うなれば、大学サークルのOB会のようなものかな。今の就職活動でもそれが物を言うように、当時の志士活動でもとても重要な人脈だったようだよ」 「ふぅん…」 職などの社会的地位が欲しければ、時には個人的な繋がりが必要となるのだが、未だ学生である栄治には実感が乏しかった。
「話しを戻すと…。近藤派と芹沢派は対立していた。新選組の実権を握ろうとしてね。
ところで、芹沢鴨は酒乱だった。酒が入ると人格が変わって、借金を重ねたり暴れまわる事もあった。 新選組を預かる会津藩も放っておけなくなって、密かに近藤勇に命じたらしい。『芹沢を何とかしろ』とね」
「あー…。そりゃ、当然だわなー」 「とんだ問題児だったんですね」 「我が意を得た近藤派は、芹沢派を抹殺する事にした。その下準備がさっき話した法度だったんだ」 「ルール作りが、暗殺の下準備…ですカ?」 「そう。法度は全部で四ヶ条。士道に背かない事。勝手に隊を抜けない事。勝手に借金をしない事。勝手にもめごとを仲裁しない事。 …実際は単に『禁令』といって、四つ目が無い三ヶ条だったらしいんだ。けど、子母澤寛の『新選組始末記』で書かれたこの四ヶ条が『局中法度』の名で一番よく知られているね」 「他の三つは何となくわかるけど…最初の『士道』っていうのが、よく…」 「『士道』はいわば、新選組流の『武士道』の事かな。 武士道っていうのは、ルールというより武士としてのマナーみたいなものだから、はっきりと定義が決められていた訳じゃなかったんだ。 その辺りは、新渡戸稲造の『武士道』なんかが詳しく書いているよ。…まぁ、そこが近藤派の狙いだったともとれるけどね」 「『狙い』?」 「近藤派が…ようは近藤勇と土方歳三が『士道に背いた』と言ってしまえば、何でも切腹ものになってしまう」 「げ!マジっスか!」 「Oh! ルールの恣意的解釈でス。ますます、クレイジーでス…」 「その手を使って、まずは芹沢の右腕だった新見錦を陥れて切腹させた。
そして、芹沢鴨、平山五郎、平間重助の三人には酒をしこたま飲ませて、泥酔した寝込みを襲撃したんだ。さっきの実行犯五人でね。
最後に残った芹沢派最年少の野口健司も、新見錦と同じ手口で切腹に追い込まれたらしい。こうして、芹沢派は全滅した」
まさに血で血を洗う内ゲバだ。
内容の血生臭さに、栄治たちは二の句が告げなくなっていた。
「…とまぁ、まずはこんな所だね。少しは、お役に立てたかな?」 神妙な顔で話していた知信は、ぱっといつもの笑顔になった。
それで栄治たちもスイッチが入ったように、いつものペースに戻った。
「あ、はい!もちろんです。ありがとうございました。風山さん」 「すっげー!風山さん、メチャクチャ頭イイんスね!」 「Thank you! とても、興味深いお話しが聞けましタ」 「それはよかった」 喜ぶ三人を見て、知信は満足そうに微笑んだ。
「さて、ではこれでお開きにしようか。明日も仕事があるわけだしね」