「おっ先にーッス!」
「お疲れ様でーす」
「Take care! お疲れ様でしター」
栄治たちは紫影館をあとにした。
勝手口から玄関に回って左に行くと、そこはもう表通りだ。
「俺と栄治は、こっから甲良駅。彩は?」
「ワタシは東甲良駅でス」
「北武線なんだ」
「んじゃ、反対方向じゃねーか」
この辺りの最寄り駅は剣崎線甲良駅だが、丁度紫影館を挟んだ反対方向には、私鉄の北武電鉄が走っていた。
「I’m leaving now. それでハ、ここで失礼しまス」
「おー!また明日なー、彩!」
「あ、あのさ!」
ここで別れようとした忠一と彩を栄治が止めた。
「俺、北武線でも帰れるんだ。今日はそっちから乗るよ」
「んだよ、急に?」
ここから甲良駅に行くには、あの旧市街を通らなくてはならない。
栄治は、あんな『騒動』に三回も巻き込まれた旧市街に、しばらく近寄りたくなかった。
面倒くさがり屋の忠一が遠回りしてくれるとも思えず、栄治は多少の不便は覚悟して東甲良駅から帰る事にした。
「それなら、一緒に行きまショウ。夜もみんなで歩けば、怖くありまセン」
「夜が怖いって?…ププッ…!彩。あんた見かけによらず、ビビリなんだな…!」
「致命的に失礼だぞ、雪原」
「当然デス。シカゴでさえ、ダウンタウン以外を夜に一人で歩いていたら、命がいくつあっても足りまセン。日本でも、油断禁物でス」
この彩の的確な一言で、帰りのコースは決まった。
「…だな。じゃあ、そういう事だから。気をつけてな。雪原」
「サヨナラ。忠一サン」
「って…おーいっ!ちょっ…待てよ!」
歩き出した栄治と彩に、なぜか忠一も付いて来た。
「一人で帰るんじゃなかったのか?」
「うるせー」
「ダイジョーブですカ?チガウ駅から帰れますカ?」
「ん?あー、へーきへーき!」
どうしてこう自分の周りには当てずっぽうな人間が多いのか、と栄治はため息をついた。
歩き出してしばらくして、彩がふと言った。
「風山サンのお話聞いて、思いましタ。新選組、どこか『アンタッチャブル』に似ていまス」
「『アンタッチャブル』…?」
「んだ、そりゃ?」
「シカゴの捜査官エリオット・ネスのチームでス。禁酒法時代、ギャングと戦ってボスのアル・カポネを追い詰めた男でス。彼のチームはベストセレクションされたメンバーで、脅迫にも買収にも屈しなかった事から『The Untouchables』と呼ばれたんでス」
「へーぇ!アメリカにも、そんなすげーのがいたのかよ!」
「ギャングならぬ不逞浪士を取り締まって、大きな犠牲を出した捜査チーム…。そう考えると、どこか新選組と重なるな」
「But、ムービーのストーリーはフィクション。本当ハ運転手を喪った以外、チームは全員でミッション・コンプリートしてまス」
「ぁんだよ。またウソかよ?」
「ははっ!やっぱり映画や小説はアテにならないんだな」
話しながら三人は人通りのない住宅街を抜け、城址公園に出た。
この公園の周りの道をぐるりと半周すれば、その先が東甲良駅だ。
公園を覆う木立の向こうに、復元された天守がライトアップされた姿が見えている。
「Wow! Beautiful!」
彩が歓声を上げた。
栄治と忠一も立ち止まって、天守を見上げた。
「っつーか、彩。お前、いっつもここ通ってんじゃねーの?」
「Yes. 何度見ても飽きませんでス」
「そーゆーモンかぁ?」
「ソーユーモンでス♪」
そのやりとりで、忠一が思いついたように提案した。
「そんじゃあよ!ついでに中通ってこうぜ。突っきった方が近道だしよ」
だが、栄治は腕時計を見ながら
「この時間じゃ、とっくに閉園してるんじゃないか?」
「あ?なんだ、そーなのかよ」
「急がば回れでス。普通の道を行きまショウ」
彩の物わかりのいい一言で決着がついた。——その時だった。
「ワ・タ・セ…」
機械のように無機質な、それでいて背筋が凍るような嫌悪感を煽る声が三人の耳に入った。
元来た道を振り向くと、そこにはあの黒衣が立っていた。
「うおっ!?黒忍者!」
「また出た…!」
「日本も物騒になりましたネ。ピストルではなく、刀を持ったクリミナルが出るとハ…」
意外に落ち着いている彩の指摘通り、その黒衣は抜き身の刀を右手からぶら下げていた。
「アレヲ、ワタセ…」
続いて、行くべき道からした声に目をやると、そこにも刀を持った黒衣が二体立っていた。
「三体…!」
「でぇぇ!?挟み撃ちかよ!」
「Run Away! 逃げまショウ!」
そう叫んで走り出した彩につられて、栄治と忠一も慌ててあとに続く。
道の両側を塞がれた上に、通りの片側は公民館の高い壁。
残る手段として、三人はフェンスを飛び越え、ひとまず城址公園の中に逃げ込む事にした。
一番最初に登りきった忠一が、園内に飛び降りる。彩がそれに続こうとした時——
ガクン!と、栄治が網目にかけた足をすべらせてしまった。
「いけね…!」
「栄治!」
高さは、ざっと2メートル。下には刃をギラつかせる三体の黒衣が待ち受ける。
落ちる!
そう思った瞬間、彩がとっさに手を伸ばし、栄治のバッグのベルトをつかんだ。
「Uhhh!」
彩は渾身の力で栄治をぐいっと引き上げ、フェンスの反対側に投げ入れた。
「うわっ!?」
宙を舞う浮遊感に平衡感覚を乱されながらも、栄治は受け身をとって辛うじて着地した。
それに続いて、彩もすかさず公園側に飛び降りた。
「痛てて…!彩、ありがとな」
「You're welcome! ドイタシマシテ!」
すんでの所で助かった栄治は、すぐさま彩に礼を言った。
「すっげーな!彩、マジで火事場のバカ力じゃん!」
だが、それも束の間。
黒衣たちも、次々とフェンスを登って来ていた。
「でぇぇっ!?まだ追ってきやがる!」
「しつこいでス!レディーに嫌われるタイプでス!」
「くそっ!」
三人は揃ってまた走り出した。
公園を囲う茂みを駆け抜けると、天守を囲む堀に出た。
誰もいないはずの閉園したそこには、二人分の人影が立っていた。
「あーっ!こいつら!」
「やっぱり、出た…」
「Who are?」
やっぱりというか、当然というか…。ともかく、平山と平間が三人を待ち構えていたのだった。
「ここで会ったが百年目!今日こそは鉢金と槍、耳を揃えて返してもらうぜ!」
「もらうぜ!」
それを聞いた忠一は、両耳をさっと押さえ
「ジョ、ジョーダンじゃねぇ!耳まで取られてやる筋合いねーぜ!」
「Oh! 猟奇殺人でス!まるで、落ち武者の亡霊でス!」
「いや、『耳なし法一』か」
忠一のボケを受けた彩のリアクションに栄治が突っ込む。
「違ーうっ!…って、誰だ?後ろに居んのは?」
「異人だぞ、おい」
平山と平間が、彩の存在に気付いた。
栄治は平間の『異人』という物言いに、嫌な予感がした。
それを裏付けるように、さっきの黒衣が追いついてきた。しかも、さらに一体増えている。
栄治は平山と平間に向けた視線はそらさず、彩に小声で耳打ちした。
「彩、逃げろ」
「What?」
「あの二人の狙いは、俺と雪原だ。すぐにここから離れれば、彩には手を出さないはずだ」
「No! 凶悪クリミナルの前に、お二人を置いて逃げるなんテできませン!」
「彩…!」
彩の言う事はもっともだったが、栄治は前回の戦いのような危ない橋はもう渡りたくなかった。
万が一にも二人に何かあったら取り返しがつかない、と考えての配慮に
「そーだぜ、栄治!せっかくだし、彩にもお前のサムライっぶり見せてやれよな!」
忠一が思いっきり水を差した。
「お前は、そっちが理由か…」
もううんざりという顔で、栄治は言った。
「何をごちゃごちゃ抜かしてやがる!」
「やがる!」
自分たちを無視した内輪話しに、平山と平間が苛立った声を上げた。
平山は呼吸を整え
「俺たちは気が良いからな。もう一度だけ言ってやらぁ…。鉢金と槍を渡しな!さもなきゃ、お前の為に今度こそ『誰か』が怪我するぞ?」
そう言うと、ギロリと彩を睨みつけた。
栄治は思わず、彩をかばうように左腕を上げて叫んだ。
「やめろっ!彩には関係ない!」
我が意を得たりと言わんばかりの平間が口を開いた。
「なら…」
「返す!」
栄治は一歩前に踏み出すと、バックのポケットから取り出した鉢金を右手で突き出した。
「おい!栄治…!?」
「雪原は黙ってろ!」
「なん…!?」
止めようとした忠一を見ずに、栄治はピシャリと言い放った。
「俺は逃げも隠れもしない!返すと言ったら返す!」
「そぉーだ、それでいい。そうすりゃ、俺らもお前らも八方丸く収まるんだ」
「収まるんだ」
平山と平間がニヤリと笑う。
栄治は鉢金を投げ渡そうと、大きく振りかぶった。
「受け取れ!」
だが、鉢金が手を離れようとする寸前
「駄目ですよ」
突如降って湧いた涼しい声に、栄治だけでなく、忠一と彩も思わず動きを止めた。
声の主は、堀の向かい側に茂る林の陰からゆっくりと姿を現した。
「か…!」
「風山さん!?」
「Oh! どうしテ、ここニ…!?」
いるはずのない知信の姿を認めた栄治、忠一、彩は驚きを露わにする。
「絶対に、渡したら駄目ですよ。特に『彼ら』には」
それには答えず、知信は極めて真面目な口調でくり返した。
平山が舌打ちする。
「ちっ!野次馬が増えやがった…!」
「何だ、手前ぇは!?」
平間に問われた知信はにっこりと笑って返した。
「名乗るほどの者ではありません。お気になさらず」
「「気にするわっ!」」
平山と平間がそろって声を荒げた。
不意にある事を思い出した忠一が、栄治を押しのけて前に出た。
「そーだ!聞いてくれっス、風山さん!こないだ話したケンカ相手、あれって実は…」
忠一は、平山と平間をビシッと指差しながら
「そいつらのコトなんスよ!」
「…本当かい?雪原君」
「天に向かって唾吐きます!」
「『天に誓って間違いない』、だろ」
ガッツポーズをする忠一の台詞を、栄治が訂正した。
知信は何か考えるようなそぶりをすると、平山と平間の方に向き直った。
「そうでしたか。いや、不思議なご縁ですね」
そう言いながら、知信はスプリングコートのポケットに手を入れた。
取り出したのは、刀の茎だった。
その先に本来伸びているはずの刃はない。折れるか何かしてしまったのだろう。
表面の劣化もひどく、銘があったのかどうかもわからない。
「月島さん。貴方も持っていましたよね?」
知信が彩に水を向けた。
彩は事情がよく呑み込めないまま
「コレの…事ですカ?」
と、ザックから古ぼけた籠手を取り出した。
籠手といっても、手を覆う部分しか残ってない手袋状態だ。
「風山さん、彩…まさか、それって…?」
恐る恐る訊ねる栄治に
「君たち二人のと『同じ物』だよ。恐らくね」
知信はいつもの笑顔でさらりと答えた。
「「「「何いぃぃ——っ!?」」」」
栄治、忠一、平山、平間が一斉に叫んだ。
「どっひゃー!マジっスか!?」
「ち、ちょっと待ってくださいよ!?一体、どこでそれを…!?」
「三ヶ月前だったかな。二丁目の怪し~い骨董品店で、偶然見つけたんだよ。ちなみに、月島さんと始めて会ったのもその時でね」
「本当か!?彩」
「Yes. あの時、ジョブ見つからなくて困ってましタ。でもカルチャー見に来た目的、忘れられなイ。それでショップに入って、コレ見つけましタ。風山さんとファーストコンタクトしたのも、その時でス」
「店ぇ?なんだって、んなトコにあったんだよ?」
「お店の方は『旧市街で拾ったゴミみたいなものだ。大して価値はないから安くしてやる』と言っていたけどね」
ようするに、文字通り『拾い物』として骨董品店に並べられていた所を、知信と彩に偶然買われたという事のようだった。
どうしてこんな危ない代物がそこかしこに散らばってたんだ?という栄治の疑問は、あっけないほど一気に解けた。
「つまり、これ…全部落し物って事か」
平間はぎくりとした。心当たりがあった。
「だっらしねーな」
今度は、平山がぎくりとした。心当たりがあった。
「まずは、在庫管理を覚える必要がありそうですね」
今度は、平山と平間が揃ってぎくりとした。やはり、心当たりがあった。
「ストックのメンテナンス。コレ、仕事の基本でス」
今度も、平山と平間は揃ってぎくりとした。もはや、心当たりしかなかった。
「「う、うるせぇ!余計なお世話だ!」」
動揺を隠すように、平山と平間は顔を真っ赤にして怒鳴った。
知信は極めて真面目な表情で平山と平間に言った。
「貴方がたは、これの譲渡を求める。私たちは、これを渡す気はない」
「『たち』って…ちょっと!?俺を入れないでくださいよ!」
鉢金を返すつもりだった栄治は、慌てて口を挟んだが
「だから?」
「何だ?」
「交渉決裂です」
栄治抜きで、勝手に話が決まってしまった。
知信は、茎を持った右手を正面に突き出し、左手を並べて添えた。
すると、茎が青白い光を放ち、知信を包み込む。
光が晴れると、だんだら羽織をまとって刀を差した知信の姿が現れた。
「か、風山さん…!?」
「変身…したぜ?おい…!」
「I was surprised...!」
栄治、忠一、彩は、三者三様にあっけにとられた。特に栄治は、自分が変身した時以上に驚いていた。
今の知信は、いつもの柔らかな笑みの奥に、隙のない鋭さが宿っているように見えた。
(俺の時と…同じ…!?)
栄治は直感した。
この知信も、知信であって知信ではないのだろう。今、彼の中には別の誰かの——兵の意思が入り込んでいるに違いなかった。
一部始終を見ていた平山と平間は、苦虫を噛み潰したように歯軋りした。
「ちぃっ!よりによって、こいつも『憑巫』か…!」
「こうなりゃ…!」
平間が飛び出した。
走りながら抜刀し、鉢金を手に持つ栄治に向かって突進する。
「そいつだけでも、いただくぜ!」
抜き身の刀を閃かされて、栄治は思わず後退った。
「うわ…!?」
そこに、ふっとに何かが立ちふさがった。
「Watch Out!」
彩が、平間と栄治の間に割って入ったのだった。
「さ——!?」
「退きやがれっ!異人が!」
栄治が叫ぶ間もなく、平間の刀が彩に振り下ろされた。
その瞬間——彩の身に、青白い光がカッとほとばしった。光源は、彩の手の中にあった籠手だった。
知信に続いて、彩までもが変身していた。
平間の上段からの一撃を、彩は右腕でがっちりと受け止める。
「な…んだとぉ!?」
平間の斬撃は、彩が羽織の下に着込んだ鎖帷子に跳ね返された。
平間は間合いをとり、再び平山の横に並んだ。
「さ、彩…!?」
「おいおいおいおい!そのカッコ…!?」
「これは…!?」
彩は、自分の両手から全身の格好をまじまじと眺めた。
そして、すっかり英語なまりが消えていた事が信じられず、思わず右手で喉元に触れていた。
「やはり『憑巫』だったようですね。貴方も」
成り行きを見守っていた知信が、待っていましたとばかりに言う。
——その時、手に持っていた鉢金が栄治を呼んだ。
平山と平間は、是が非でも引き下がらない。四体の傀儡に追われれば、まいて逃げ切るのは無理。
おまけに、栄治以外の三人は戦う気満々ときた。
(…えぇいっ!こうなったら、もうヤケだ!)
とりあえず、この場を切り抜けるために栄治は戦列に加わる事にした。
「遅れた。済まぬ」
変身した栄治に、知信と彩は力強く微笑んだ。
三人は鯉口に手をかけ、臨戦態勢をとった。
「糞がっ!」
「畜生めっ!」
平山と平間が毒づく。
鉢金と槍を奪うだけのばすだったのが、その三人を相手に戦うハメになったのだ。
そんな二人を前にして、知信は
「二対三…。数の上では、こちらが有利。敵を分断しましょう。丸顔の男は、私が。お二人は、眼帯の男を竹藪に誘い込んでください」
「はいっ!」
「承知!」
「雪原君は、私に付いて来て下さい。決して離れないように」
「よっしゃ!」
「散っ!」
知信が号令を発した。
栄治と彩、知信と忠一は、それぞれ竹藪に向かって走り出した。
「あっ!こンにゃろ、また…!」
「あの眼鏡野郎は俺がやる!平山はあの小僧と大男を仕留めろ!」
「よしっ!」
平間の指示で平山は栄治と彩を追い、戦線は見事に二分された。