六人はそれぞれ、鬱蒼とした竹藪の道なき道を突っ走っていく。
「この辺りで良いでしょう…」 やがて立ち止まった知信は、忠一を後ろに下がらせて敵を待ち構えた。
二体の黒衣を引き連れて追いついてきた平間は、赤ら顔を怒りでさらに真っ赤にしていた。
「畜生…、この時代の連中ときたら…!この間もそうだ!敵に会ったら戦うだろ!いきなり逃げるか、普通!?」 カッカして自分たちを指差す平間に、知信はにっこりと答えた。
「『三十六計逃げるにしかず』。退く事もまた兵法ですよ」 もっともらしく『兵法三十六計』を持ち出されて、平間はぐうの音も出なくなった。
「て、敵前逃亡は、士道不覚悟だぞ!切腹もんだぞ!」 「べつに俺たち、新選組じゃねーもんよ」 平間の苦しい反論に、忠一がペロリと舌を出す。
「こンの…!口の減らない栗頭め…!」 平間は歯軋りしながら、指が食い込みそうな勢いで刀の柄をギリギリと握り締めた。
一方の栄治と彩、そしてそれを追っていた平山は、竹がすらりと乱立する林の奥深くで立ち止まった。
「へっ!とうとう、観念したか?」 平山は、黒衣二体を自分の脇に配置させた。
栄治と彩も刀を抜いて、臨戦態勢をとる。
栄治は彩の方は見ずに、構えたまま何かを伝えた。
「先に私が行く。そうしたら…」 その意味を理解した彩は
「…わかりました」 とうなずいた。
平山は
「大男と小男か…。絵になるぜ?獲物としちゃな!」 平山が指差したのを合図に、黒衣二体が一斉に飛び掛かって来た。
栄治は左、彩は右の黒衣に当るべく、それぞれ動き出した。
「やっ!」 知信は正面から突進した。
二体の黒衣には目もくれず、その後ろに控える平間めがけて、一気に間合いを詰めにかかる。
忠一に危険が及ぶ前に、敵の頭を叩くつもりだった。
そして間髪入れず、正眼から素早く面を繰り出した。
「ぬおっ…!?」 平間はとっさに後退し、辛うじてかわした。
知信は手をゆるめる事なく、今度は続けざまに右小手、左小手を狙った。
平間が刀を手前に引き、知信の刃が鍔や鍔元にガチンと当る音が響いた。
(連撃…!だが、捌いたぞ!) 平間が反撃に転じようとしたその瞬間。その表情に満ちていた自信がさっと引いた。
知信は一段目、二段目の小手に続いて、さらに三段目で鋭い突きを繰り出していた。
二段目までの動きしか読みきれなかった平間に、知信の刀が深々と食い込んだ。
「うおぉっ!」 彩が、右の黒衣に突進する。
その体格を活かして、猛烈な突きを繰り出した。
黒衣はそれを左に飛んでかわすと、構え直したばかりの彩の側面に打ち込んだ。
だが、黒衣の打ち下ろしは彩の鎖帷子にガツンと跳ね返された。
防具越しとはいえ、頭への一撃をものともせず、彩は同じく上段から刀を振り下ろした。
黒衣は避けようとしたが、周りを竹に阻まれて動きが遅れた。
肩口をざっくりと深く斬られた黒衣は、袋を失った砂のように崩れて消えた。
目の前の敵を仕留めた彩は、とっさに栄治の姿を探す。
——いた。数メートル先の木立の向こうで、栄治はもう一体の黒衣と小競合いを続けている。
彩は、手空きの平山にすかさず斬り込みに掛かった。
「あのチビにしても、お前にしても、やるじゃねぇか。いきなり、そいつを使いこなすたぁな」 刃を肩に担いで余裕をかます平山に、彩は渾身の力で中段から右胴に薙ぎ払った。
だが、平山は彩との身長差を見越し、膝を深く沈めてやり過ごした。
彩の斬撃で斬られた周囲の竹のいくつかが、バラバラと折れていく。
「へっ!どこを狙ってやがる!」 狭い竹林の中では、乱立する竹の柱に邪魔されて刀を振り回せない。
万一、刀が竹に食い込みでもしたら動きを止められ、命取りになりかねないからだ。にもかかわらず、そんな危ない動きをした彩を平山はあざ笑った。
「やはり、覚醒したばかりか?まだまだだなぁ!」 だが、彩はすぐに間合いを取り直すと同時に、栄治に叫んだ。
「今ですっ!」 「よしっ!」 栄治が呼びかけに答えた瞬間、二人は素早く飛び違った。
彩が平山に背を向けて黒衣に向かって走り、栄治が低い体勢で跳躍して黒衣を追い抜き、平山に向かった。
「へっ!陣立てを変えるか?誰が来ようが同じ事だ!」 下段から攻撃を狙う栄治を見て、平山も同じく下段に構えた。
正眼に構えると、下からの攻撃が自分の刀で見えにくくなるのだ。
「はっ!」 栄治は平山の胴体を狙って斬り上げた。
下段の構えから斬り上げてくるのは当然だ。当然のように、平山は栄治の一撃を見切ってかわした。
そして刀を素早く中段まで戻すと、栄治の面を狙った。
「ぉらぁっ!」 だが、それを待っていたかのように、栄治の刃は平山の刃と激しく切り結んだ。
斬り上げの動きの中で、栄治は刀を振り上げきってはいなかった。
芸のない攻撃を平山がかわし、反撃に転じようとする所を押さえるためのフェイントだった。
栄治はすかさず刃を返し、大きく振り回して平山の右側面に斬り込んだ。
入った。——だが、浅い。
「な、何ぃ…っ!?」 平山は斬られた右肩を押えて、跳び退いた。
構え直す栄治の後ろに、黒衣を倒した彩が合流してきた。
「よくやった。彩」 「これで、残るは一人です」 「畜生め…!お前ら、初めっからそのつもりで…!」 平山は、今になってわかった。
彩があえて禁じ手である大振りな動きをしたのは、邪魔な竹を斬って空間を空けるため。
栄治と持ち場を交代したのは、小回りの利く栄治の方が空いた空間を充分に活かせるから。
最初に栄治が黒衣をすぐさま倒さなかったのも、彩が先に平山に当るための時間稼ぎをしていたからだった。
まんまと出し抜かれた平山は、怒りの形相でギロリと二人を睨んだ。
「不覚…!だが、次は無ぇ…!」 言うが早いか、平山は刀を宙に振り、渾身の力でやたらめったらに斬りつけた。
平山の不可解な挙動に、栄治も彩も、一瞬の判断をし損ねた。
ミシミシ…と、何かが軋む嫌な音と共に、二人の立っている場所にふっといくつもの影が落ちた。
「な…っ!?」 見上げた彩の視界に飛び込んできたのは、折れて落下して来る無数の竹だった。
「彩!下がれ!」 栄治に促され、彩も同時に跳び退いた。
落下した竹の束が、平山と栄治たちの間にドサドサと折り重なった。
やがて、舞い上がった土埃が晴れる。
栄治と彩がすぐさま敵の姿を探すと、平山は堀に向かって一目散に走っていく所だった。
「平山と平間、それに四体の傀儡が交戦中。戦況は、押され気味の模様」 「それで?」 「奪われた鉢金と槍、それに続き、行方不明だった二つの『憑代(よりしろ)』が『憑巫(よりまし)』を得たものと…」 「くっくっくっ…!」 闇の中、新見の報告を聞いていた大男は、出し抜けに笑いをもらし
「はーっはははははっ!」 のけぞりながら狂ったように笑い出した。
新見はじっと黙っている。
笑いが収まると、大男は口元を思い切りニヤリと歪めた。
「…面白ぇ」 大男はバサッと襟巻きを正すと、のっそりと立ち上がった。
「行くぞ、新見!」 「どちらへ?」 「平山と平間ン所だ」 「何をなさりに?」 「決まってんだろ?挨拶にだ」 「大事の前の小事。姿をさらすのは得策とは思えません」 「構いやしねぇ。『憑代』の『憑巫』になりやがったそいつらの中に『誰』が居るのか…ちょいと興味があるんでな」 「…承知」 悠々と歩き出した大男の後ろを、新見はヒタヒタと付いて行った。
「ぐわっ!?」 平間の悲鳴を聞きつけて、二体の黒衣が駆けつけて来る。
知信は、それを待っていた。
突きをかすめた首筋を押さえて退く平間から、知信は大きく間合いをとる。
そんな知信を左右から挟み撃ちにしようと、黒衣が同時に攻撃を仕掛けてきた。
右の黒衣が平突きを繰り出す。知信はそれを刃で弾く。左の黒衣が面を狙う。知信はその動きを読み、竹を盾にして防ぐ。
左の黒衣の刀が、竹にカッと食い込んだ。黒衣は必死にそれを抜こうとするが、刀はまるで離れない。
右の黒衣が援護に回り、知信をさらに追い立てる。
黒衣は、知信に突きを一撃一撃繰り出すうちに、だんだんと力が増していった。知信も、その一撃一撃を巧みにかわしていた。
すると知信は、刀を抜こうともがいている左の黒衣の背後に素早く回りこんだ。
右の黒衣が放った渾身の突きは、左の黒衣の胸にどっと突き刺さった。
知信は、左の黒衣の動きを止めたあと、右の黒衣を誘導して同士討ちを誘ったのだ。
乱立する竹林で狭められた視界は、攻撃を繰り出そうと目の前の敵に意識を集中すれば、さらに狭くなる。
それを利用して、黒衣が自分と相方の位置を見失うように、知信は仕組んでいた。
目論見は当り、抜けない刀をつかんだまま、黒衣は砂粒となって消える。
すかさず、知信は動きが止まった残る黒衣を右側面からの面で仕留めた。
「すげー!すげー!風山さん、超カッケェー!」 竹藪のはるか後方で観戦していた忠一が、両手を振り回して大喜びする。
が、すぐに近くの竹に手をぶつけて
「あ、イテッ!」 と、痛さに顔を歪めた。
その様子を微笑ましく見ていた知信の耳に、ガサリと草を蹴る音が入った。
見ると、不利を悟った平間が藪の向こうに消え入ろうとしていた。
「あーっ!逃ーげた逃げたー!人にゃ『逃げんな』っつったクセに、逃ーげーた!」 忠一が指差して非難する。自分は隠れていただけなのに、だ。
「追います!」 「りょッス!」 身を翻した知信に、忠一も付いて走った。
やがて、先程の堀に出た時には、平間を完全に見失っていた。
そこへ栄治と彩が合流する。
その姿を認めた忠一は、シュタッと右手を上げ
「よっ!こっちは黒忍者二人しとめたぜ!あのてぬぐい男は、逃がしちまったけどよ」 まるで『自分の事のように』喜色満面の笑みで報告した。
「そちらは?」 忠一とは対照的に、冷静な声で知信が栄治と彩に聞いた。
「黒いのは、二体とも片付けた。だが、眼帯の男は手傷を負わせるに留まった」 簡潔に答えた栄治の後ろで、彩がその内容を裏付けるようにうなづいた。
「そうですか…」 肝心の平山と平間を逃がしたと聞いて、知信がやや難しい顔をした。
「やー。お前らにも見せたかったぜ!風山さんのすっげー技!わざ!ワザ!マジで、すごかったんだぜー!あっと言う間にてぬぐい男をブスリ!んでもって、黒忍者二人をたった一人でやっつけちまったんだからよー!強ぇーよ!ホント、強ぇ!」 その横で、忠一だけが一人違うテンションのまま喋り続けていた。
栄治たち『変身』した三人は苦笑しながらも
「でも、全員無事です。それが何よりです」 という彩のもっともな一言で、よしとする事にした。
その時だった。
「ちょぉいっと、待ちなぁっ!」 どこからともなく、声が降ってきた。
栄治たちは反射的に声がした方向に目線を投げた。
視線の先には、ライトアップされた天守。その天っ辺には四つの人影が陣取っていた。
その人影から、平山が
「回天を謀る天狗の集い!」 平間が
「天狗とは、正義の為なら命を惜しまぬ義士のこと!」 新見が
「それは、我らが水戸天狗!」 渡り台詞の如く、順に口上を上げていく。
そしてカッと灯った照明が、四つの人影の足元にある屋根瓦を照らし出した。
「違ーうっ!もっと上だ、上っ!あ、そっちじゃねぇ!」 苛立った声——どう聞いても平山のものだ——の指示通り、照明の照準がするすると動いていく。
見ると、石垣の上に設置された照明器具を、一体の黒衣がぎこちなく動かしていた。天守のライトアップに設置されいる設備を勝手に使っているようだ。
「そう、そうだ!こっちだ、こっち!…よし、そのまま!」 今度こそ、照明は四つの影を照らし出した。
「回天狗党、参上!」 襟巻きを夜風にはためかせる大男。その左右にはべる平山と平間。大男の後ろに控える新見がいた。
「あれは…!?」 「あーっ!仲間増やしやがったな!まだ勝負はついてねぇぞ!おりてこーい!高みのヘンクツしやがってー!」 「『高みの見物』な」 やはり忠一の言い間違いを栄治が訂正した。
「よぉ」 また屋根の上から、今度は初めて聞くドスのきいた声がした。
見ると、大男が右足の膝に右腕の肘を置いた格好で、ずいっと前に乗り出していた。
「うちの者が世話になったな」 それに対して知信は
「こちらこそ」 と不敵な笑みで応えた。
「へっ…!最初は、取るに足らねぇ烏合の衆かと思ってたんだが…どうやら、そうでもねぇみてぇだな」 「お褒めに預かり、光栄です」 「…とりあえず、言っておく。お前らが使ってるその憑代は、こいつらが方々駆けずり回って集めた代物だ。事情も知らねぇ門外漢が、俺たちの邪魔をする筋合いはねぇ」 「全てを把握出来ている、とは言えませんが…半分ほどは、わかっているつもりです。半分ほどは」 「半分、か…。それだけで事を決めるたぁ、随分と危なっかしいじゃねぇか?なぁ、おい?」 「それだけ判っていれば、充分です。貴方がたの『危険性』を知るにはね」 「…言うじゃねぇか」 余裕をかます大男と、冷静過ぎて怖い知信のやりとりに、忠一は思わず息を呑んでいた。
「なら、お前さんたちとの『交渉決裂』は、俺たちに対する『宣戦布告』とみて…いいんだな?」 「望むところです」 微笑んだまま、挑みかかるような目で知信は言った。
大男は乗り出していた足を引き、襟巻きをさり気なく直しながら「そうかい」と小さくため息をついた。
「帰るぞ。今日の所は退散だ」 「は」 「はい!」 「へい!」 大男は新見たちを連れて、屋根の向こうへ去ろうとした。
そこに
「待てよっ!お前ら、なにモンだ!?なんなんだよ、一体よぉ!?」 今まで出るに出られなかった忠一が叫んだ。
大男は足を止め、ゆっくりと振り向いた。
「水戸天狗党出身、芹沢鴨」 それだけ名乗ると、大男——芹沢の姿は、夜の闇に溶け込むように消えた。
が、その重々しい(つわもの)の声は、栄治たちの耳にいつまでも残っていた。
「芹沢…鴨…!」