翌日は朝から雨だったが、昼過ぎには晴れ間が戻っていた。
三月の雨はまだ冷たい。雨が降って一度下がった気温は、なかなか元に戻らない。
「うー…寒…!」 栄治は両手をポケットに突っ込んだまま歩いて来た。
(…あ。ガラス、直ってる) 見れば、表玄関脇のガラス窓は何事もなかったようにきれいに取り替えられていた。
早朝のうちに、知信が業者を呼んで修理してもらったようだ。
(…って事は、いよいよ俺たちが払わきゃいけなくなった訳か。はぁ…) 現実味を帯びてきた弁償が、実感を伴って重くのしかかる。
通りの数メートル先には、またあの黒塗りの車が停まっていた。その日は、光線の具合でうっすらと車内が見えた。 運転席には、黒スーツを着込みサングラスをかけた長身の男が一人。後部座席にはスーツ姿の痩せた男が腰掛けている。
空気の冷たさに、栄治は鼻の奥がつんとしてきた。 (…風邪引く前に、中入るか) 寒さにかじかむ手足が限界を感じた時、見慣れない車の事など栄治はもう忘れていた。
勝手口から厨房に入ると、ちょうど、鳥井さんが料理の仕込みを終えていた所だった。
「やあ、松永君。おはようございます。風邪はもう大丈夫なんですか?」 鳥井さんにそう言われて、栄治は仮病を使って休んでいた事を思い出した。 「おはようございます、鳥井さん。こないだは、急に休んですみませんでした」 「いいんですよ。こうして元気になって来くれればそれで。もうすぐ開店の時間ですから、風山さんを手伝ってあげてください」 「はい。わかりました」 鳥井さんにうながされ、栄治はまっすぐドアに向かった。
分厚いドアを寄りかかるようにして開けると
「おはよう。松永君」 一昨日の疲れはどこ吹く風といったように、知信がいつもの笑顔で栄治を出迎えた。
栄治は挨拶も忘れて、カウンターに立つ知信につかつかと歩み寄った。
「風山さん…」 「何だい?」 地の底からはい上がって来たような声音で詰め寄る栄治に、知信は平常心と笑顔を保ったまま向き合った。
「どういうことですか…?」 「何がだい?」 バン!と栄治の両手がカウンターを勢い良く叩いた。
「こないだの!城址公園でのことに決まってるじゃないですか!どういうことか、きっちり説明してもらいますよ!」 「あぁ、そうだね」 知信は、いともあっさりと答えた。
「僕もちょうど『話さないといけないな』って思っていた所だよ。 月島さんはもう来ているから、雪原君がそろったら…」 「ちぃーっス!」 噂をすれば影が射す。厨房のドアから忠一が顔を出した。
「おはよう。雪原君」 それに続いて、事務室から彩が大入道のようにぬっと顔をのぞかせた。
「Oh! 栄治サン、忠一サン。オハヨーゴザイマス!」 「だから、一昨日の晩言った通りだよ。三ヶ月前、二丁目の怪しーい骨董品店で偶然見つけたんだ。面白半分に入ってみたら、大半がその辺りで拾ったような代物ばかりと云う酷いものでね。で、それを買わされそうになっていた外国の人がいたものだから、騙されてやしないかと心配して声をかけたんだ。それが、月島さんだったという訳さ」 知信は、聞き分けの悪い子供にでも言い聞かせるような調子でくり返した。
「本当に、一昨日言ったとおりじゃないですか…」 栄治はカウンターに両手をついて身を乗り出したまま、ガックリとうなだれた。 何か新しい情報を期待していたのに、とんだ肩透かしだ。
カウンターの内側には知信。その向かいに忠一、栄治、彩が腰掛けている。
「でモ、ソレはホントでス。サムライチックなアンティークを見つけて買おうとしたラ、風山サンとチャットになったんでス」 「っつーか、けっきょく買わされてなくね?」 「不思議な事に、何故かこれだけはピンと来たんだよね。今から思えば、あの力に惹きつけられたのかな」 「ワタシもでス。でモ、おかげでサムライに変身できましタ。結果オーライでス」 満面の笑みを浮かべた彩にそう言われたら、栄治は引き下がるしかなかった。
「じゃ、それはいいとして…。一昨日の——って、一昨日だけじゃないけど——変な連中は、一体何なんですか?今時、着物着て、ちょん髷結って、刀差して…その上、剣がめちゃくちゃ強いなんて、絶対普通じゃないですよね?」 「実ハ、こっちに来るまデ、それがニッポンのスタンダードだと思っていましタ」 「は!?マジかよ!?」 「マジでス。今から思えバ、なんとモお恥ずかしイ。サムライ、ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリ。まだリアルにあると思ってましタ」 「えーっ!えーっ!えぇーっ!?彩って、もう大人だよな!?マトモに学校出てんだろ!?」 「アメリカでの日本の認識なんて、そんなものだろうね」 「話の腰折らないでくれっ!」 いつになくいきり立った栄治の怒声が、脱線しかけた話しを引き戻した。
Sorry…(スミマセン…) 「これは失敬」 「悪ィ…。で、なんのハナシだっけか?」 一同の注意を引いた事を確認すると、栄治は息を整えて質問を続けた。
「あの変な侍モドキ集団…黒忍者を使って、侍に変身できる道具を狙って、俺たちに仕掛けて来た連中は一体何者なんですか?風山さんなら、知ってますよね?『半分』くらいは」 怒鳴り散らしたい衝動を抑えて、栄治は唯一事情を知っているはずの知信をじっと見据えた。 一昨日、知信自身が口にした『半分』という言葉をことさら強調して。
忠一と彩の疑問を含んだ視線も、自然と知信に集まった。
一拍ほど置いて、知信はさも当然といった顔で
「松永君の言う通り、僕は半分ほどならわかっているつもりだよ。彼らの目的も、正体も…ね」 Really?(本当ですカ!?) 「マジっスか!?教えてくださいっスよ!メッチャ、気になるンスよー!」 「それじゃあ、順を追って話そうか。でも、その前に一つだけ条件があるんだけど」 「条件?」 この期に及んで何だ、と栄治はいぶかしんだ。
「この話しを聞けば、君たちは『当事者』になる。今までのように、ただ巻き込まれただけの不運な『被害者』ではいられなくなるだろう」 Huh?(えっ…?) 「どういう、事ですか…?」 「単刀直入に言おうか」 そこまで言った時、不意に知信の笑顔が崩れた。
「事情を知ったからには、その『鉢金』で、その『籠手』で、そして協力者として、彼ら回天狗党と戦う事になる。それでも聞きたいかい?」 言い終わると、知信は真剣な眼差しを引っ込め、さっきまでの笑顔をしれっとかぶり直した。
栄治たちは、本当に後退りしたい気分で知信から退いていた。
「それって、脅迫…!」 「Terms of exchange…交換条件、ですカ?」 「ま…またまたー!んなケチなコト言わないで、教えてくださいっスよー!」 忠一が茶化しにかかるが、知信は変わらず微笑んだままだ。 その無言の笑顔の背後から、どす黒い殺気が見えそうだった。
「つまり…本当の事を知りたければ、俺たちで連中と戦えって事ですか?」 「簡単な条件だろう?」 「簡単って…!」 簡単といえば簡単だ。
何せ、栄治たちが「わかりました」と言ってしまえば、それで全ての条件はクリアされるからだ。
だが、それは栄治たちが、回天狗党を名乗る彼らと対決しなければならなくなる事を意味する。 栄治からしてみれぱ、現状は最悪の一言に尽きた。
B級映画か低予算時代劇のような馬鹿げた状況。 そのくせ、一歩間違えれば命に係わりそうな地獄さながらの戦い。 ここまで巻き込まれたからには、裏を知る権利があるはずだ。 栄治は当然のようにそう思っていた。
なのに、事情を知るためとはいえ、どうして自分が危険な戦いを演じないといけないのか。
理不尽を通り越して、もはや不条理だった。
「オッケーッスよ!」 「は…!?」 出し抜けに明るく答えた忠一を栄治は思いっきり振り向いた。
顔には
(こいつ、今何て言った?『OK』だって?) と書いてある。
「『回転具塔』だか何だか知らねーけどよ!ようは、あいつらとバトればいーんだろ?スリル満っ点!すっげー、オモシロそーじゃん!」 こいつは、状況を——もとい危険をまるでわかってない。 そう感じた栄治は、忠一につかみかからんばかりの勢いで反論した。
「何言ってるんだ、雪原!連中の狙いは俺たちが持ってる、この道具だ!返せば、それで解決する。こんなワケのわかんない物のために、危ない橋を渡る必要なんか最初からないんだぞ!」 「ぁんだよ?まっさか、お前ぇ、おじけづいたんじゃねーだろーな?」 挑発するように茶化してきた忠一に、栄治は思わず怒鳴り返した。
「バ…ッ!?あれだけ何度も戦ってる所を見て、まだわからないのか!?連中は、言う事もカッコも異常なら、剣の強さも異常なんだよ!なぁ、彩!この無計画男に、彩も何とか言ってやってくれ!」 が、振り向いた先に頼みの綱の彩がいない。
探してみれば
「Yes! 力をあわせテ、戦いまショウ!」 事もあろうに、忠一とノリノリで『条件』を肯定していた。 その横で知信が「よしよし」と満足げにうなずいている。 全ては、知信の思う壺だった。
「彩っ!あんたもかーっ!?」 誰も忠一を止めない状況に、栄治は最後のあがきとばかりに叫んだ。
それに対して、彩は極めて神妙な表情で返した。
「ワタシ、事情、なにもわかりませン。ですガ、あのブラックなサムライたちガ、クリミナルクラスにデンジャーだというコトなラ、わかりまス。それを止められるパワーが、我々にあるのなラ、使うべきだと思うのでス」 「そ…!」 「それはそうだけど…」と言いかけて、栄治は言葉に詰まった。
彩の言う事は一理ある。一理あるだけに、考えなしな忠一の言い分と違って否定しきれない。
たしかに栄治としても、回天狗党を止めたかった。何より自分の身の安全と、ついでに周囲の人間を巻き込まないために。
「それにですネ…」 彩はさらに続ける。 まじめに聞こうとした栄治だったが
「サムライ目指してニッポンに来たワタシ自身がサムライになれル!It's a Big chance!(まさに好機でス!) 逃したラ、きっと後悔しまス!」 いろんな意味でまぶしすぎる彩の笑顔に
「そっちがメインか…」 と脱力した。
栄治は、とにかく頭の中を整理しにかかった。
(あいつらに、鉢金とか槍とか一切合切返せば、俺たちはもう狙われない。…けど、そのあと。そのあとだ。あいつらは鉢金の力を使って、何をするつもりなんだ?黒忍者を従えて、容赦なく襲ってくる連中の事だ。少なくとも、ロクな事に使うとは思えない。第一、よく考えてみれば…鉢金返して、それで本当に安全が保証されるとは限らないか。口封じに来る事だって、充分考えられるしな) すでにやる気満々の忠一と彩を前にして、栄治はすっかり取り残されたような気分になった。
あくまで自分の安全のため、自分の周りでトラブルを起こさせないためだと自身に言い聞かせる。
(仕方ない…。こいつらだけでやらせたら、何しでかすかわからないからな…) あきらめと、不安と、好奇心と、ほんの少しの使命感が入り混じった心境で、栄治は知信の条件に対する答えを出した。
「仕方ないですね…。わかりました。協力しますよ、風山さん」 ため息にも似た返答に、知信はいつもの柔和な笑顔で応えた。
「本当かい!それはよかった。悪いね。松永君」 「悪いですよ、本当に」 いつになく減らず口を叩いた栄治に、彩はもとより、忠一がなかばギョッとする。
「うっわ!栄治、キッツー!」 「お前の無計画の方が、よっぽど心臓にキツイぞ」 栄治は抗議の意も含めて、事態を悪化させた忠一に切り返してやった。