どことも知れぬ闇の中。
芹沢たち回天狗党一味が、それぞれ得物の手入れをしながら、屯している。
平山と平間は、もう待ちきれないといった表情で、芹沢の方に顔を向けた。
「いよいよですねぇ。芹沢先生!」
「先生!」
「おうよ」
芹沢は口元ににやりと笑みを浮かべ、刀身を拭っていた懐紙に刃筋を立てた。
白い懐紙は真っ二つにピリリと裂け、ハラリと足元に散った。
芹沢は刀を宙で一振りすると、見るも鮮やかな手つきで納刀し、パチンと小気味良く鍔を鳴らした。
それを見て、我が師の腕は確かだと、門下たちはいたく感心した。
「伊東の方には、藤堂を通じて連絡は完了しています」
新見が、抑揚のない口調で報告する。
やおら振り向いた芹沢は、徒党を鼓舞するように高らかに宣言した。
「さぁ…『首都急襲計画』の始まりだ!」
「監察方さんからの情報によると、彼らは例の人形…傀儡を大量生産して、首都機能を麻痺させる計画を立てているらしいんだ。それも、もう数日のうちにね」
その夜も、また新月だった。
「回天狗党が憑代を集めたがっていたのは、傀儡の芯となる素材が大量に必要だったからだ」
午後七時。旧市街の入り口に、栄治、忠一、彩、そして知信がいた。
「そして先日、監察方さんが、首都襲撃に動員される大量の傀儡が、旧市街のある廃屋に隠されている事を突き止めたそうだよ」
手には、それぞれの『憑代』がある。
「ここで、僕らの出番だ。その場所を押えて傀儡を全部使い物にならなくする事。今の所は機能を停止しているとはいえ、危険な人形には変わりないからね」
頼りない街灯のもとに集まった四人は、これから始まる『一大作戦』に四者四様の反応を示していた。
「いよいよ、ヤツらのアジトでバトるのかぁ…!くー!ゾクゾクするぜぇ!」
「栄治サン。門限ハ、ダイジョブなのですカ?」
「あぁ。家には『部活とバイトで遅くなる』って事にしといたから。…それより、本当に信用していいんでしょうね?風山さん」
「勿論だよ。あの監察方さんからの矢文によると、今夜のこの時間に、この空き地の前で待ち合わせのはずだから」
ところが…
十分待っても、二十分待っても、三十分待っても、一時間待っても、あの忍装束は姿を見せない。
「遅ぇー!ちっとも来ねーじゃねーかよ!あンのカッパ忍者っ!」
「完全に遅刻でス。これでハ、作戦が開始できませン」
「どういう事ですかー?風山さーん?」
ジト目で睨みつける栄治の疑念を
「うーん…。おかしいなぁ?あの監察方さんが約束を破った事なんてないのに…」
知信はしれっと流した。
「このまま、待ちぼうけですカ…?」
「だー!くそーっ!もう待ちきれねぇー!あんなヤツ、ほっといて、俺らだけで片しちまおーぜ!」
「仮にも、待ち合わせしてるのに、勝手に動くやつがあるか」
しびれをきらした忠一に、栄治は釘を刺した。
だが、
「その案は悪くないね」
「…って、マジですか!?」
思いもかけず、知信は忠一の言い分を肯定した。
「あの監察方さんは信用出来る、と僕は踏んでいる。この間の大砲騒動の時にも、駆けつけてくれた訳だしね。僕らと共同戦線を張ってくれていると見て、いいと思う。その監察方さんが時間になっても合流場所に来ないとなれば、何か不測の事態があっと考えるのが自然だろうね」
「イェス。おそらく、そうでしょウ」
「傀儡の正確な隠し場所は、監察方さんしか知らない。でも今夜の作戦を延期する訳にもいかない。回天狗党が明日にも動き出すかもしれない状況だからね」
「じゃ、一体どーすんスか?」
「こうなったら…手分けして探そう。幸い、『旧市街のどこか』という事だけはわかっている。二手に分かれて、傀儡の保管場所を見つけたら、ケータイで連絡する。…どうかな?」
「同意しまス。そのアイディアがベストでしょウ」
「だけど、旧市街の空家全部…ですか?うわ…骨折れそう」
「手分けして、ガサ入れ…。オモシロそうっスね!俺、やりてぇっス!」
おおむね同意を得て、知信は作戦開始の音頭を取った。
「決まりだね。それじゃあ、皆。変身するとしようか」
「…って、ちょっと待った!あのカッコで探すんですか!?」
栄治は思わず素っ頓狂な声で異を唱えた。
「そうだよ」
知信は、さも当然といった風にさらりと返した。
「『そうだよ』って…!何も、最初からあのカッコになる事ないじゃないですか。場所を見つけてからでも…」
「いつ、どこで敵に遭遇するかもわからないし、不意討ちされるって事も考えられるからね。用心に越した事はないよ」
「そうっスよね〜!んじゃ、決定〜!」
能天気な忠一の駄目押しに、ガックリと肩を落とした栄治は、彩に向き直って暗い口調で愚痴った。
「あれって、どう考えても仮装大会だろ…。万一、誰かに見られたら…いい年してコスプレやってるオタクと間違われるな」
彩はどこか得意げな顔で、人差し指を横に振りながらこう言った。
「Tsk-tsk. 栄治サン。オタクを馬鹿にしてハいけませン。彼らハ今ヤ、日本のサブカルチャーの担い手でス。ワールドワイドなオタク文化のオリジンでス」
「彩の中ではどれだけ偉大な存在でも、当てはめられると俺のSAN値が削られるんだが…」
「そう言う栄治サンも、Game freakですよネ?」
「何でわかった…!?」
「オタクを馬鹿にしてハいけませン。savvy?」
「…うん。自重しよう。そうしよう」
多勢に無勢だった。
三人に押し切られた栄治は諦め切った目で、「誰にも見られませんように」と願いながら変身した。
「では、戦力的に考えて…月島さんと松永君、雪原君と私で組みましょう。月島さんと松永君はこの通りを、雪原君と私は向こう側の通りを一軒一軒回ります。もし、受け持ち全てを調べて、目的地が発見出来なかった場合は、もう一度ここに戻って来て下さい。宜しいですね?」
「おうっ!」
「心得た」
「はい!」
「では、後ほど…。散っ!」
知信の合図で、四人は二手に分かれて、それぞれ走り出した。
知信と忠一は最初の路地に入って、反対側の通りに抜けて行った。
それを見送った栄治が、彩に指示を出す。
「彩は、通りの左側を頼む。私は右側の家屋を見て回る」
「はい!まかせてください!」
「待ち伏せや罠があるかもしれん。油断するな」
「心配無用。では、行きましょう!」
二人は、受け持った建物という建物に、手当たり次第入って行った。
集合した時に最初に聞いた説明では、忍装束の案内で傀儡の保管場所を叩き、気付かれる前にすぐ引き上げる予定だった。
が、肝心の案内役の遅刻で、栄治たちは、攻撃目標から自力で探さなければならなくなった。
扉という扉、窓という窓、部屋という部屋を開けては、また次へ行く繰り返しだった。
「ここも違う…!次行くぞ!」
「はい!」
電気も切られた、暗くて埃臭い木造家屋を、四人は次から次へと走り回った。
通りを半分くらい来た所で、彩の携帯電話が鳴った。知信からだった。
《もしもし。月島さん、そちらの様子は?》
「まだ、見つからないです。風山さんの方は、どうですか?」
《今のところ、こちらも外れ続きですね》
《何にもねぇよ。行けども行けども、スッカラカンだ》
忠一が横から口を挟む声が、やや遠めに聞こえた。
《…と、いう訳です。では、引き続き探索を続けてましょう。それでは》
「はい!では」
彩が電話を切ると、向かいの倉庫から埃にむせながら栄治が出てきた。
「いくら捨て置かれて久しいとはいえ、何という汚れようだ。蜘蛛の巣だらけでひどい目に…!どうした、彩?」
「風山さんから、中途報告です。まだ、あちらも見つからないそうです」
「そうか…。では、我らもうかうかしておれんな。行くぞ!」
「はい!」
再び走り出した二人は、根負けしそうになりながらも、延々と廃屋を調べて回った。
そうして、もう十何軒目だろうと思った頃。
彩は、ある二階建ての一軒家に踏み込んだ。
玄関の立て付けの悪い引き戸をやっとの思いで開け、用心深くそろりそろりと足を踏み入れた。
そこはかつて民宿だったようで、玄関先は広く、その右奥には廊下、左奥には二階へ通じる階段があった。
まずは一階を調べようと、彩はぽっかりと闇が口を開ける右奥の廊下を進んだ。
歩くたびに、古ぼけた床板が軋む音だけがする。
薄暗い中を進むうち、だんだんと目がなれてきた。
居間や台所、小さな中庭などを見て回ったが、これといった物は見つけられなかった。
彩は、一旦玄関先に戻ると、次は大人一人分しか幅のない狭い階段を登った。
二階の廊下に上がった彩は、ふとある事に気付いた。
(ここの床だけ、埃が踏み荒らされてる…。長年、空家だったはずの家に、なぜ…?)
誰かが出入りしていたのなら、一階にも——少なくとも玄関先と階段には、同じような跡が残されているはずだ。
だが、振り返って階段から見下ろせば、そこには今入ってきた彩の足跡一人分しかない。
廊下の奥には、大振りの出窓。左右には、いくつもの客室を仕切る襖が並ぶのみ。
(窓から出入りしていた…?いいや。外には、よじ登れそうな木も建物もない)
空き巣の仕業か?…いや、それはない。
第一、こんな金目の物の影もない空家に、わざわざ二階から忍び込む必要もない。
ホームレスや不法侵入の類にしても、同様だ。
だとすれば、残るは——!
(まさか…!?)
彩の直感が何かを告げた。
襖の取っ手に手をかけると、一呼吸置いて、彩はそっと襖を開けた。
「これは…!」
その隙間から覗いたもの。
それは部屋一面に並べ立てられた、何十体という黒い人形——『傀儡』だった。
「ここ、が…!」
ここが、傀儡の保管場所だったのか。
見つけた!ついに見つけた!
彩は興奮を抑えて、栄治の携帯電話に連絡を入れた。
「ゼェ…ゼェ…!だー、ちくしょう!全っ然、見つかんねーじゃねーかよぉー!」
「うーん…。この分だと、当りくじを引くのは向こうかもしれないね」
栄治と彩たちとは、反対側の通りを受け持った知信と忠一。
外れを引き続けて半ばうんざりしかけた所に、ひらりと黒い影が舞い降りた。
見ると、塀の上にあの忍装束が姿を現していた。
知信は苦言を程する事もなく、涼しげに微笑んだ。
「こんばんは。監察方さん」
「遅ぇ!今ごろ来やがったのか!遅刻だぜ、遅刻!大・遅・刻っ!」
指差して苦情をまくし立てる忠一に、忍装束は淡々と詫びを入れる。
「すまん。見張りをまくのに、ちぃと手間取ってもうた」
その一言に、知信の笑顔がスッと引く。
「今、何と言いました?『見張り』…?」
「あぁ。先日、探りを入れた時、最後の最後で勘付かれてな。新見の監視に掛からんように、用心しながら移動しとったんや」
「マジかよ!?まさか、バレてねーだろーな!?」
「バレとったら、ここには来ぇへん」
「そんなら、いーけどよぉ…って、風山さん?どしたんスか?」
忠一と忍装束のやりとりを聞いているうちに、知信の背中に冷たい汗が伝った。
「いけない…!」
コール音がしばらく続く。栄治はなかなか出ない。
どうしたのかと彩が思い始めた時、やっと電話が通じた。
「もしもし?栄治さん、どうしました?」
《あ、いや…すまぬ。これの使い方が、よくわからなくてな》
「え…?」
彩は不審に思ったが、思い当たる節があった。
「もしかしたら…私が、変身すると英語訛りが消えるように、栄治さんは言葉遣いが古風になりますよね?それだけ、憑代の力に同調しているという事ではないでしょうか?憑代の元の持ち主の人格までが、入り込んでいるのかもしれません。鉢金は頭に付ける防具ですから、脳への影響が大きくても不思議はないです。…少し前に、風山さんがそんな話しをしていたような気がします」
《成程…。そんな所であろうな。…ところで、彩。何かあったのか?》
「あぁ!そうでした!」
栄治に聞き返されて、彩は肝心な事を思い出した。
「…見つけました。間違いありません。『傀儡』の隠し場所です」
《本当か!すぐに行く》
通話を終えると、栄治は向かいの空家から一分もしないうちに駆けつけて来た。
「彩」
「栄治さん。こっちです」
彩の手招きに応じて、栄治は階段を登った。
指差された室内には、傀儡がぎっしり並べられている。さらに二階にある全ての襖を開け、中に傀儡が詰め込まれている事を確認した。
「こっちの部屋にも、こんなに…!」
「よくやったな、彩!早速、風山さんと雪原に——」
その時だった。
栄治たちの目の前にあった傀儡の目が、突然に赤い光を放ったのは。
眩いネオンの海を見下ろす摩天楼。
その屋上に、人知れず立つ四つの人影が合った。
「芹沢先生?それにしても、大丈夫なんですかい?この間、傀儡の確認に行った時に新見さんが妙な気配がしたって言ってやしたが…。まさかたぁ思いますが、奴らに場所がバレたんじゃ…?」
「バレたんじゃ…?」
平山と平間の不安に、芹沢は不動の自信で答えた。
「なーに、心配ぇするな。あれにゃ、ちょいとした仕掛けがあってな…」
最初の一体を皮切りに、他の傀儡にも次々と目に光がともっていく。
「ど、どうなってるんですか!?」
「しまった…!」
突然の出来事で、栄治と彩はうろたえた。
そうこうしているうちに、気が付けば全ての傀儡の目が爛々と怪しく光っていた。
「『仕掛け』…ですかい?」
「ですかい?」
平山と平間が、今一度問い直す。
「万に一つ、侵入者があった場合な。全ての部屋の傀儡が外の光に触れると自動的に起動するように、新見に仕掛けさせといたんだよ」
そう言って、芹沢がほくそ笑んでいた事を栄治たちは知らない。
栄治と彩は廊下に退くと、反射的に身構えた。
それに続いて、傀儡という傀儡がもぞもぞと一斉に動き出した。
「迂闊でした…!確認する前に、全員揃うのを待つべきだったのかもしれません…!」
「それより、この数相手では勝ち目はない!一旦、出るぞ!」
栄治と彩は、大急ぎで階段を駆け下りようとした。が、何か重い物が落ちたような大きな音に、思わず足を止めた。
見ると、一階奥の廊下からすでに十体ほどの傀儡が、ぞろぞろと出てきている所だった。
「なぜ一階にまで…!?」
「…さっきの音は、中庭に飛び降りた音だったか!」
何十という黒い人形が、床をミシミシと鳴らしながら狭い室内を埋め尽くす。
栄治と彩は、じりじりと階段の中程まで追い詰められて行く。
「栄治さん…!これは、もう…!」
「あぁ…。仕方がない。やるぞ…!」
二つの刃が、闇夜に鋭く閃いた。
相手は数十、こちらは二人。
状況は、最悪。絶体絶命だった。