呼び出し音が延々と続く。 その度に、知信は自分の苛立ちが高まっていくのがわかった。
まだか…?まだか…?なぜ、出ない?
プツンとコール音が途切れた。
ほっとしたのも束の間。知信はすぐに落胆を突きつけられた。
《…只今、電話に出ることが出来ません。発信音のあとに、メッセージをどうぞ…》 内心舌打ちしながら通話を切った知信は、忠一と忍装束に首を横に振って見せた。
「駄目だ…!二人とも出ない」 「ぁあ?マジっスか!?くっそ!何やってんだよ、栄治と彩は…!」 忠一は大袈裟に顔を引きつらせ、自分の癖っ毛をクシャクシャかき回した。
「『当りクジ』…を引いたんと違うやろか?」 忍装束がふと呟いた。
知信は、確信を得たようにピクリと眉をひそめる。
横で聞いていた忠一も、頭をかく動作をピタリと止めていた。
三人の間を共通の答えが占めていた。
「…ド畜生が!こうしちゃいらんねぇ!急ごうぜ!」 忠一が闇雲に走り出す。
知信は忍装束を振り返って頼んだ。
「監察方さん、案内を!」 「見失うなや」 言うが早いか。忍装束は二人の頭上を大きく跳躍し、塀の上を疾走しながら先導しだした。
「うぉわっ!早ぇー!」 忍装束の華麗な動きに、忠一が素直に驚嘆する。
しかし、鯉口に手をかけつつ駆ける知信の胸中には、一抹の不安がよぎっていた。
(間に合うといいのですが…!) 「うおおぉぉぉーっ!」 彩の雄叫びと同時に繰り出された猛烈な突きが、傀儡をまた一つ砂粒と化させた。
「はっ!」 栄治の鋭い袈裟斬りが傀儡の胴体を真っ二つに切り裂き、みるみるうちに輪郭を失わせる。
文字通り、黒山の人だかりで埋め尽くされた薄暗い室内で、栄治と彩は必死で刃を振るっていた。
「くそっ!次から次へと…!彩、何体斬った?」 「八体目からは、わかりません!」 「実は私もだ。…はっ!」 軽口を叩く暇もなく、二人はまた襲い来る傀儡に立ち向かった。
圧倒的な数の前に追い詰められた二人は、狭い階段の上と下に陣取り、背中合わせに戦っていた。
一体だけでも侮れない戦闘能力を持つ傀儡を一度に複数相手にするのは危険がともなう。 ここなら、傀儡は一体ずつかかって来る事しか出来ない。つまり、戦力の逐次投入をせざるを得なくなる。
あとは栄治と彩が、狭い壁や天井、柱や鴨居に注意して刀を振るえばいい。 集中して戦いさえすれば、今の栄治たちが負ける敵ではない。
だが、一つだけ問題があった。
力を発揮すればするほど、憑代は確実に憑巫の体力を奪う。
事実、栄治も彩も、自分たちの息が切れ始めている事に気付いていた。
(くそ!ここまでか…!仕方がない!) 栄治は突きを繰り出した直後の刀を左に引き気味の正眼に構え直した。
そして背を向けたまま、彩に叫んだ。
「彩!一旦、退く!外に出るぞ!」 「ですが、それでは…!」 彩も背を向けて傀儡に対峙したまま、栄治の判断に反論する。
ここで逃げ出したら、何のために傀儡の隠し場所に乗り込んだのか、わからなくなるからだ。 たとえ血路を切り拓いたとしても、傀儡たちは自分たちを追う事なく、回天狗党のもとへ戻ってしまうだろう。 そうなったら、相手の手数を減らして形勢逆転を図ろうという知信の意図は完全に崩される。戦況はまた振り出しだ。
無論、それは栄治もわかっていた。
だが
「お主も私も、そろそろ力が切れる!無理をすれば全滅だ!風山さんたちが駆けつけるまでは粘るつもりだったが…どうやら時間切れのようだ」 栄治は危険な綱渡りを避け、これ以上の戦力低下を防ぐために、味方から損害を出さない道を選んだ。
その意図を察した彩が同意する。
「…わかりました!」 戦いながら、栄治は突破口を開けそうな逃げ道を探していた。
一階は傀儡で埋め尽くされている。それに中庭に降りてきた傀儡たちが加勢している。
だとすれば、二階の部屋は多少なりとも数が減っているはずだ。事実、彩が当っている二階の廊下の方が、まだ傀儡がまばらだった。
さらに、一階の玄関へ出るよりも、二階の廊下奥の窓を目指した方が、距離的にも近い。
瞬時に判断を下した栄治は、彩にそれを伝えた。
「よしっ!二階の方が傀儡が少ない。廊下の窓から出る。奥まで突っ切るぞ!」 「わかってますっ!」 彩も栄治と同じ判断に行き着いていた。ためらう事無く、二人は傀儡を振り払いながら、狭い階段を駆け上がった。
彩に続いて階段を登りきった栄治に、背後から白刃を閃かせた傀儡が追いすがる。
栄治は振り向きざまに傀儡の刀を弾くとその懐に飛び込み、腹に強烈な蹴りを入れた。
「落ちろっ!」 先頭の傀儡がバランスを崩したはずみで、後続も雪崩を打って階段から転げ落ちた。
これで少しは時間稼ぎが出来る。
両脇の部屋からときたま出て来る傀儡を次々とかわしながら、栄治は二階の廊下を真っ直ぐ駆けて行く。 前を走っていた彩が、一足先に目的の窓に着いた。
彩は、建付けの悪いガラス戸を力任せに上へスライドさせると、栄治を振り返って叫んだ。
「栄治さん!」 「先に行け!」 その言葉にうなづき、彩は窓枠に手足をかけた。 ——その時だった。
窓から外に脱出しようとした彩に、栄治が追いついた途端。横の襖が突然蹴破られ、そのままぐらりと倒れて来たのだ。
二人は思わず動作を止めて襖に注意をとられた。
が、わずに早く我に返った栄治は、彩の背中を窓の外に突き飛ばした。
不意討ちに体制を崩しながらも、彩は出来るだけ落下に備えようと、受け身の姿勢を作ろうとした。
それを見送りながら屋内に残った栄治は、襖に潰されまいと向かいのもう一方の襖を飛び乗って蹴破り、再び室内に入った。
全ては、一瞬の出来事だった。
間髪入れず、染みだらけの襖に視界を塞がれ、そこから傀儡の刃が栄治目掛けて生えてきた。
「…っ!」 廊下から別室に移動した事で動き回る空間を得た栄治は、盾にされた襖の側面に素早く回りこみ、その傀儡が刀を襖から抜く前に斬り捨てた。 傀儡はどおっと倒れて、また黒い砂粒となって消える。
が、それも束の間。
侵入者を求めて、残った傀儡たちが二階の別室や一階から、ざわざわと殺到して来た。
「南無三…!」 栄治は上がった息を整えると、今一度刀を構え直した。
忠一、知信、そして忍装束の三人は、傀儡の隠し場所である廃墟を目指して疾走していた。
忍装束が示したその場所は、旧市街の一番奥まった袋小路にある二階建ての家屋だった。 知信たちのいた地点から、せいぜい300メートルくらいだ。
だが、そのわずかの距離が果てしなく遠い道のりに思えて、知信は焦燥感を募らせていた。
(まだか…!まだ着かないのですか…!?) 知信は、我ながら冷静だと自負していた自分が、こんなに短気だったのかと、内心自嘲した。
「あれや」 塀の上で先頭を走る忍装束の声で、知信は我に返った。
前方に、目的の廃屋が見えてきた。
ひたすら足を動かしているだけのもどかしい時間は、ここでようやく終わりを告げた。
「おっしゃ!あのボロ屋だな!」 「急ぎましょう!」 意気込んでラストスパートをかけた忠一に続いて、知信が廃屋を囲む塀の前に到着した。
周囲を見回した知信は、ある事に気付いた。
「出入り口が見当たらない…。どうやら、建物の裏側だったようだね」 「じゃ、表に回るんスか?」 「いや…。まずは、中の様子を…」 知信がそう言いかけた時、先行していた忍装束が、塀の上から膝を突いた格好で言った。
「そんな暇はあらへんようや」 「えっ…!」 「あ?」 廃屋の二階を見る忍装束の目線を知信と忠一も追った。
雨戸は全て閉ざされていたが、廃屋の中からは剣戟と激しい足音に雑じって、かすかに怒号がこだましていた。
「げっ!もう始まってんのかよ!?」 「あんさんらは、傀儡を壊しといてくれや。こっちは奴らを逃がさんようにしとくさかい」 「引き受けました!…が、どうやって?」 忍装束は、知信に向けて何かを投げ放った。
知信の手に収まったそれは、黒漆塗りの印籠だった。
「ちょっ…!?」 知信の返答を待たずに、忍装束は再び闇夜に身を躍らせてその場から消えた。
「こうしちゃいらんねぇ!今行くぜぇっ!」 意気込んで塀を越えようとした忠一の周囲が、唐突にふっと陰った。
「あ?」 見ると、真上から巨大な黒い影が一つ、忠一目掛けて降って来るではないか。
「ぬおおぉぉぁぁっ!?」 忠一の視界が影で一杯になる。
避ける間もなく、忠一は見事その影の下敷きになっていた。
「雪原君!?あ…」 知信が駆け寄ると、忠一の上に落ちてきたのは
「月島さん!?」 「うーむ…痛たたた…!」 彩は右手に刀がある事を認識しつつ、左手で目頭を押えながら上体を起こした。
構わず、知信は矢継ぎ早に質問した。
「月島さん!何があったんですか!?中はどうなってますか!?松永君は…!?」 彩も知信の姿を認めると、矢も盾もたまらず喋り出した。
「風山さん、申し訳ないです!ここで大量の傀儡を見つけました!すぐに連絡しようとしたんですが、急に一斉に動き出したんです!風山さんたちが来るまではと応戦したんですが続かず、一旦退く事にしたんです!…あ、そうです!忠一さんはどこですか!?」 すっかり存在を忘れられていた忠一は、ここぞとばかりに地面をバンバン叩いて自己主張した。
「ここに居んだっつとろーに!てか、彩!どけっつーの!重いっつーの!」 「あ、そうでした!すみません」 彩がヒョイと腰を浮かせると、巨漢の重さから解放された忠一はやっとの思いでズリズリとはい出した。
「ったくよー、ひっでー目にあったぜ…!」 「とんだニアミスでした。すみませんです」 「まぁまぁ。あれは事故ですよ、事故」 「で?彩、栄治のヤツは?」 「あっ!そう、そうです!私が飛び降りようとした時、傀儡に邪魔されて、栄治さんはまだ中に…!」 それを聞いた忠一と知信の顔色がさっと変わる。
「って、マジかよそれ!?ヤバイじゃん!めっちゃ、ヤバすぎじゃん!それを早く言えっつーの!」 「す、すみません!」 つかみかからんばかりの勢いの忠一に、彩は思わずたじろいだ。
「言い争ってる暇はありません!行きますよ!」 「はいっ!」 「とーぜんっ!」 知信の音頭で意識を切り替えた二人は、知信に続いて走り出した。
彩は塀を素早くよじ登り、知信を右腕を軸に左手で鯉口を押えて飛び越え、忠一は槍を棒高跳びの要領で使って裏庭に下りた。
「今、監察方さんが、傀儡を逃がさないようにしておいてくれてるはず。我々の役目は、一体でも多く傀儡を減らす事。いいですね?」 「はいっ!」 「よっしゃあっ!」 「いざっ!」 知信が気合いと同時に蹴破った勝手口から、三人の剣士たちは刃の森へ果敢に飛び込んでいった。
栄治が孤軍奮闘を続けた時間は、そう長くはなかった。 が、本人にはそれが一時間にも二時間にもわたる、果てしない戦いに思えてならなかった。
斬っても斬ってもわいて出て来る傀儡の群れに、栄治は防戦一方になっていた。
最初、数倍の敵に囲まれた時点で、否が応でもカーッと頭に血が上った。 しばらくしたら、共に戦う彩のおかけで、多少は頭が冷えもした。
今はその彩もこの場にはいない。
たった一人で敵に囲まれ、その刃を一身に受け続け、栄治の心臓は口から飛び出しそうなくらいドクドクと激しく脈打っていた。
体の芯から発する異常な熱が、ジリジリと身を焦がす。全身が爆発しそうな熱さに、意識が飛びそうだった。
それでも尚、栄治の手足は無意識に剣を振るい続けていた。 全神経を支配するのは『鉢金』の意思のみ。栄治の思考は既になかった。

一箇所に留まっていては、後ろを取られる。 栄治は、座敷から廊下へ、また座敷から隣の部屋へと、絶えず動き回って戦った。
だが、それは必要以上に体力を消耗する事を意味する。
そうなる前に、どこかに退路を見つけて突破するつもりだったが、あまりの敵の数になかなか穴が見つからない。
栄治に押し寄せて来る敵で、二階は埋め尽くされようとしていた。
常に壁を背に移動していた栄治は、思い切って二階の軒下から中庭へ飛び降りた。
跳躍も一瞬。風切り音が耳をかすめる。みるみるうちに地面が近づく。
下にはニ、三体の傀儡がいる。が、幸いこっちには気付いてない。
栄治は、落下地点の真下に立っていた傀儡をクッション代わりにし、その肩口に刃を突き立てた。
ぐちゃりと云う鈍い音と共に、栄治に踏まれた傀儡は霧散する。
それに気付いた残り二体の傀儡が、敵に気付いて踊りかかった。
栄治はすれ違い様に、二体の斬り込みを下段からすり上げ、その横面に一撃を入れた。
狙い通り、背後で傀儡が派手に倒れる音がした。 が、もう一体は倒れる寸前、最後の一撃に小手を繰り出して来た。
「く…っ!」 急いで振り向いた栄治は、鍔元で辛うじてそれを受け止めた。
刀の鍔元同士が激しくぶつかったと同時に、力を使い果たした傀儡は栄治の脇に崩れ落ちた。
そこへ、どこかの戸が派手に破られる音。続いて、激しい剣戟とまちまちの怒号。
それは、たちまちのうちに中庭に続く縁側へと迫った。
開け放たれていた雨戸から、栄治の目の前に三つの影が躍り出た。
「遅くなりました!」 「戻りました!加勢しますっ!」 「よぉーっす!無事かー!?」 知信、彩、忠一が頼もしい笑みを浮かべて駆けつけて来たところだった。