待ちわびた援軍の姿を認めた栄治だったが、疲労のあまり、只々息を切らせて彼らを凝視する事しか出来なかった。
知信は、敵の刃に当てられてボロボロになった栄治の羽織や防具を見て、彼の困憊振りを一目で悟った。
「月島さん、雪原君!少しの間で構いません。敵の中庭への侵入を防いでください!」 「はいっ!」 「まっかせとけー!」 知信の指示を受けて、忠一と彩はすかさず雨戸に走り出す。
屋内からは、赤い目を爛々と光らせた傀儡がゾロゾロと迫り来る。
「おーおー!団体様のお待ちかねか!おもしれぇっ!」 己の闘志を鼓舞するように、忠一が軽口を叩いた。
「忠一さん!正面の敵は私が!横と上からの敵は、お任せします!」 「合点承知乃助っ!」 雨戸に押し寄せる敵に向かう彩に、忠一も槍を勇壮に構えて応えてみせた。
二人が時間を稼ぐ間、知信は孤軍奮闘させた栄治に小休止をとらせなければ、と考えたのだ。
「よく、ここまで持ち堪えてくれました!あとは我々が…」 「いや…!まだ戦える。すぐにでも加勢し…!」 「…っ!手傷を負いましたね!?」 「え…?」 見ると、左手からどす黒い煙がにじんでいた。
いつの間にか、斬られていた。瘴気を叩き込まれそうになっていたのだ。
戦いに夢中で、今まで全く気が付かなかった。
「待ってください」 そう言うと、知信は懐を探り、忍装束から預かった印籠を取り出した。
「おそらく、これは…」 印籠の蓋をパカッと開けると、栄治の左手を引き寄せて、あの光の粒を傷口に注いだ。
「こう使うようにとの意図でしょう」 注がれた光の粒は、ゆっくりと瘴気を浄化していく。
「う…っ!?」 栄治は思わず目元をしかめた。前に手当てをしたもらった時には気付かなかったが、かなり傷にしみる『薬』のようだ。
「どうです?動きますか?」 知信に聞かれて、栄治は左手を開閉させて確認した。
「…元通りです。かたじけない」 喉から苦しい声が絞り出された。
それもそのはず。
右手に刃こぼれし出した刀をぶら下げたまま、栄治はずっと肩で息をしていた。 知信にしろ、自分の手にしろ、顔は一応対象を向いてはいるが、目の焦点が定まっていない。
(…いけませんね。とうに憑巫の限界を超えている。本当ならば、一度休ませないと…) だが、消耗戦が続くこの不利な状況で、栄治が知信の見立てに素直に従うとは思えなかった。
それを裏付けるかのように、戦闘はいよいよ凄まじいものになっていく。
彩と栄治、忠一と彩の奮闘で大幅に数を減らされた傀儡が、一塊になって捨て身の反撃に出だしたのだ。
「おいおいおい!こいつら、自爆覚悟かよ!?今時、はやらねーっつーの!」 「ぐ…っ!だ、駄目です!もう支えきれません!」 彩の悲鳴に、栄治は矢も盾も堪らず駆け出した。
「今、助太刀する!」 「待ちなさいっ!松永君!」 知信が止めるのも聞かず、栄治は傀儡の猛攻の只中へ飛び込もうとした。
「ケガ人はすっこんでろっ!!」 今までにない忠一の激しい怒声に、その場に居た全員が雷に打たれたように顔を向けた。
栄治が止まったのを肩越しに見た忠一は、ニッと笑って余裕ありげに言い放った。
「お前一人に手柄取られちゃ、たまんねーよ。ちったぁ、俺らにもゆずれよな」 (雪原…) ただ突っ走るだけだった忠一が、一番苦しい時に見せた気づかいに、栄治も知信も彩も驚いていた。
「決まったな」と内心満足した忠一はさらに勢い付いた。周囲の敵を一気に薙ぎ払うべく、ブンブンと槍を大きく振り回した。
「ぬおぉぉりゃあぁぁぁーっ!」 「って、雪原君!不用意に振り回しては…!」 知信の咄嗟の忠告は、三秒ばかり遅かった。
「あり…?」 状況を理解した忠一が、間の抜けた台詞をもらす。
振り回した槍の穂先が、ものの見事に近くの柱に食い込んでいたのだ。
屋内よりは空間がある中庭とはいえ、狭い事には大差がない。完全な不注意だった。
「ぬっ…ふっ…くそがっ!とれねぇ!」 柱に食い込んだ槍は、押しても引いてもびくともしない。
「ふんぎぎぎぎ!」 業を煮やした忠一は、柱に片足をついて全体重で引っ張り出した。
「あの馬鹿…!」 危ない事この上ない格好に、栄治が止めに走ろうとする。
「ぬけろぉぉーっ!」 抜けた。と同時に、バキバキと割れた柱の木片が周囲に飛び散る。
だが、安心したのも束の間。
今度は、バキリと金属が激しく弾ける音が鳴り響いた。
「へ…?」 音源を目で追えば、忠一が穂先を引き抜いた反動で石突が近くの蛇口にぶつかり、これを潰していた。
全員の頭に、ある予感が駆け巡ったのも一瞬。
老朽化していた水道管が破裂した。
大量の水がぶわっと噴水のように勢いよく飛び出した。
「ぶっ!?ぬわっ!?とと…!」 頭から水流を叩きつけられた忠一は、たまらず水道のそばから逃げ出した。
「何してるですか!?忠一さん!」 「まったく、もう」という顔で言い咎める彩に、忠一は反射的に抗議した。
「し、しゃーねーだろ!フカヒレりょくだ!フカヒレりょく!」 「それを言うなら、『不可抗力』…ん…?」 突っ込む気力もない栄治に代わって言った時、知信は妙な光景を見た。
さっきまで雨戸から軒先から殺到していた傀儡たちが、急に勢いをなくしているのだ。
と、知信の周囲が急に陰った。
はっとして咄嗟に刃を繰り出したのと、傀儡の姿を認めたのはほぼ同時だった。 二階から降ってきたその傀儡を、知信は一刀の元に両断した。
中庭に出来た水たまりに叩きつけられるように落ちた傀儡は、拡散する間もなく水に溶解していった。
(これは…まさか!) 襲撃はいつも晴れた日。川に落ちた彩を追撃して止めを刺さなかった平山。形成有利にも係わらず、雨が降る前に引き上げた芹沢。そして水を怖がる傀儡たち——
知信の中でこれまでの出来事が繋がり、一つの確信が生まれた。
「陣形変更です!全ての傀儡を中庭に追い込みます!」 「へ?」 「なぜです?」 「…?」 唐突に切り出した知信に、栄治も忠一も彩も戸惑った。
知信は、閃いた勝利の予感を噛み締めるように不敵に笑ってみせた。
「遂に見つけました…。傀儡の弱点を」 「えっ!?」 「マ、マ、マ、マジっスか!?もったいぶらねーで教しえてくれっスよ!」 息を呑む彩。食い下がる忠一。栄治も喋れずともその見開かれた目が、驚きを語っていた。
「見てご覧なさい」 知信は淡々と雨戸の方を指差した。
「こうして話している間にも、彼らはこちらへ踏み込んで来れない。これだけ隙だらけだというのに、寧ろ浮き足立っている」 暴れる続ける水流の切れ間から、中庭を遠巻きに囲むだけの傀儡の群れが見え隠れしていた。
「…た、確かに」 彩が納得した様子を見て、知信は今度は足元を指し示した。
「そして…先程、倒した傀儡を見て下さい」 知信の指した方に、三人の視線が集まる。
そこには、さっき知信が斬り捨てた傀儡が——いや、もはや傀儡の一部だったと言うべき残骸が、浅い水溜りに浮かんでいた。
「ぅえっ!?ほっとんど原型ねーじゃん!…つーか、とけてる?」 忠一の一言を聞いて、彩は知信の言わんとする意図を察した。
「つまり、傀儡の弱点は…『水』!」 知信は満足げに、ニッコリと微笑んだ。
「ご名答」 途端、重苦しかった空気がわっと明るく変わり始めた。
「すげー!やっぱ、風山さん、すげーよ!へへっ!弱点がわれりゃあ、こっちのモンだぜ!」 「反撃開始ですね!」 ガッツポーズになる忠一と彩に、栄治も力強くうなづいた。
疲労を補って余りある光明に、幽士隊の士気は大いに上がった。 それを見越して、頃合と読んだ知信が作戦指示を出す。
「月島さんと雪原君は屋内に残った傀儡を中庭の水に沈めて下さい。その際は、必ず二人一組で行動する事。いいですね?」 「おぅっ!」 「はいっ!」 二人の闘志を感じて「いける」と確信した知信は、続いて栄治に向き直った。
「私は、玄関で出て来た傀儡を迎え撃ちます。松永君は建物の外で待ち構えて、私が討ちもらした敵を仕留めて下さい」 「承知」 栄治は疲労を見せまいと余裕の表情を装って答えたが、絞り出された声が限界を雄弁に語っていた。
正直、栄治に役を振るのは、知信の本意ではなかった。
長時間の戦闘で一番体力を消耗している彼は、一刻も早く休むべきだ。 これはあくまで緒戦であり、芹沢たちを倒すという決戦がまだ残っている。 まして、栄治は幽士隊の主戦力だ。出来るだけ温存しておきたい。
だが、これまでのやりとりから、栄治が無役に甘んじる可能性は極端に低い。
ならば…と、知信は、重要だが負担が少ない火消し役を栄治に任せる事にしたのだ。
とりあえず、提案に納得した栄治の様子にほっとすると、知信は今度は中庭から屋根を見上げた。
「では、監察方さん…」 知信がかけた言葉通り、いつの間に戻って来たのか、忍装束が屋根の縁から中庭を見下ろしていた。
「ぉうわっ!?オマ…いつのまに!?」 「傀儡が玄関に向かってのみ逃げるよう、あえて退路を作って下さい。その上で、『後詰』をお願いします」 どういう意図か、知信は『後詰』を殊更強調して言った。
「…心得た」 わずかの逡巡ののち、知信の意図を理解したとみた忍装束は星一つ見えない夜空へ軽やかに跳躍し、再び姿を消した。
それを見送った四人は、自分たちも動き出すべく臨戦態勢に入った。
「では…全員、準備はよろしいか?」 「はいっ!」 「とーぜん!」 「無論です」 知信の呼びかけに、彩、忠一、栄治が、自信に満ちた表情で答えた。
今この瞬間から、四人はそれぞれ、勝利へ続く狭き道を駆け抜ける。 その綱渡りに挑むようなスリルに、『憑代』は、そして『宿主』もまた昂揚していた。
幽霊戦士たちは、『武者震い』という感覚を一瞬共有した。
「散っ!」 知信の合図で、四人は作戦通りに動き出した。
「どけどけどけぇー!」 まず、忠一が先鋒となって、雨戸まで集まっている敵を蹴散らしにかかった。 間合いの長い槍が、狭い屋内で身動きのとれない傀儡を次々と薙ぎ倒していく。
「うおぉぉっ!」 「はっ!」 続いて、彩と栄治が動きが鈍った傀儡を中庭の水流に突き飛ばし、間に合わなければ急所を狙って斬り捨てていく。
四人は逸れないように、頻繁に目配せし合いながら玄関まで廊下を一気に突破。
倒しきれなかった傀儡が、そこへ執拗に追いすがって来る。
「やぁっ!」 殿軍(しんがり)の知信がそれを振り返っては斬り、あるいは刀の柄で殴り倒して移動時間を稼いだ。
玄関までたどり着いた四人は、ここで素早く二手に分かれた。
「では、お二人とも気をつけてください!」 「風山さんも!」 「まかせといてくれっス!」 栄治と知信は外に飛び出し、忠一と彩は階段を勢いよくと駆け上がっていった。
間も無く、知信は振り返って立ち止まると、門を背にして塀の内側に留まった。
「少し離れた場所が良いでしょう。お願いしましたよ」 「承知」 栄治はそのまま通りに出ると、壊れかけた街灯が点滅する人気のない道路の一角に陣取った。
二階へと上がった忠一と彩に目掛けて、傀儡の群れは再び上に押し寄せ始めた。
「忠一さん!こっちです!」 「ぁあ?」 彩の言うとおりに付いて行くと、そこは襖が踏み倒されて一番空間が確保された窓際の部屋だった。
「ここなら、動きやすいです。今度は、柱や鴨居に気をつけてくださいよ?」 「へへっ!さっすがー♪…そんじゃ、行っくぜぇーっ!」 じりじりと間合いを詰めていた前列の傀儡三体に向かって、忠一は猛烈な勢いで突進した。
「どりゃあぁぁぁー!!」 穂先で三体を薙ぎ払うように斬り付けると、続けて素早く石突を返し、一体の腹を思い切り突き飛ばした。
勢いあまった傀儡の列は、そのままドミノ倒しの要領で向かい側の部屋まで吹っ飛んでいった。
が、それも束の間。
今度は、屋根伝いに接近して来たらしい傀儡が四体、窓の外から不意を突いて襲い掛かって来た。
「おっ…!?」 とっさに刃を向けようとする彩だったが、それよりも早く忠一の槍が標的に届いていた。 四体全ての傀儡は窓の向こうに押し戻され、ややあって高らかな水音が聞こえた。
「ざまぁミソづけ!まとめて池ポチャだ!」 彩は臨戦態勢のまま、肩越しに窓辺から中庭を覗いた。
思った通り、水流に飲み込まれた傀儡は全て溶けた砂と化していた。
「オラオラオラァッ!どした、どしたぁー?囲んでるだけじゃあ、この俺様はたおせねーぜ!てめーら、まとめて、かかってきやがれぇっ!」 大見得を切って放った忠一の啖呵に、二の足を踏んでいた傀儡が弾かれたように一斉に挑みかかって来た。
「とぉっ!」 知信は、玄関先で扉や窓から外に逃れようと飛び出してくる傀儡を迎え撃っていた。
前半戦で栄治と彩が、傀儡を随分減らしてくれた。
そして後半戦の今。屋内ではその彩と忠一が、中庭の水流に次々と傀儡を追い込んでいくのが時々上がる水音でわかる。
退路を求めてやって来る敵の数は自ずと限られてくるから、取りこぼしを確実に叩いていくだけで充分だった。
第一、そう易々と敵を取り逃がす知信ではない。
玄関先を立ち位置に選んだのは、敵を各個撃破出来るため。狭い戸口からは、傀儡はせいぜい一、二体ずつしか出て来られない。 全神経を集中させて一撃必殺を狙えば、今の知信ならほぼ確実に仕留められる。
もちろん、一番消耗している栄治をこれ以上疲れさせないようにとの配慮もあっての判断だが。

そうこうしているうちに、また新手の傀儡が出てきた。今度は、玄関から二体、二階の窓から一体。
下の二体は固まって、突き出した刃を盾に強行突破を試みようとする。
知信はそれを視界に捉えるや、先頭の一体の刀を正眼で受け止めた。 続けて、先頭の傀儡の腹に渾身の蹴りを繰り出した。
まともに喰らった傀儡が仰向けに倒れこんだ。それに絡め取られて、後ろの傀儡も押し潰されるように引っくり返った。
門前を振り向くと、窓から飛び降りてきた別の一体が一目散に逃れようとする所だった。
「やぁっ!」 知信はそれを一足飛びで追いかけて、背中から逆袈裟にばっさりと斬りつけた。
原型を失い、拡散していく傀儡を前に、余韻にひたる暇はなかった。 時間稼ぎに蹴倒しておいた二体が、再び斬りかかって来たのだ。
知信は振り向き様、左胴で一体を斬り、すれ違い様、右胴でもう一体を斬った。
三体を続けて倒すという離れ技をやってのけ、知信もさすがに疲労を感じ始めた。
その一瞬の隙を突かれた。
続けざまにさらに二体の傀儡が、玄関と庭先から現れたのだ。
「…はっ!」 咄嗟に体勢を立て直した知信は、うち一体を顔面への一撃で葬った。
が、残る一体は知信を追い越し、そのまま道路へ出てしまった。
追いすがろうにも、今持ち場を離れる訳にはいかなかった。
「いけない…!松永君っ!」 一方の栄治は、自分が臨戦態勢を維持しているだけで、限界だった事をようやく自覚した。
足りない体力を集中力で補っても、今度はそれで神経をすり減らし、ますます戦力は低下していく。
圧倒的な敵に囲まれて斬り合っている時は、ハイになり過ぎていた。作戦全体を見渡す冷静さを忘れていた。
仲間の手を煩わせて足手まといになりたくない、と思っての行動が、結果的に足手まといになっていたと思い知らされた。
(我ながら、大たわけだ…!いらぬ意地を張るのではなかった…!今にして思えば、皆に何という迷惑を…) 栄治の中に悔恨が過ったのと、一体の影が横をすり抜けて行ったのとは、ほぼ同時だった。
(え…!?) 咄嗟に体が反応出来ず、目だけで追ったその影は、知信が取り逃がした傀儡だった。
(しまった…!) 何という失態!自分で言い出しておきながら…!何としても仕留めなければ、皆に会わせる顔がない!
一瞬遅れで、栄治が追撃しようとしたその時。
突如、降って湧いた大量の水飛沫に傀儡は飲み込まれ、そのまま溶けた蝋燭のようにグズグズと崩れていった。
水が降ってきた方向を見遣ると、そこは塀の上。暗がりの中には一つの影。
「監察方…っ!?」 「言うたやろ?我は『後詰』やて。…ま、あんま格好えぇ役と違うけどな」 と、忍装束は手にしたホースを見ながら、覆面の下で苦笑した。
よくよく見れば、その古びたホースは塀を跨いで隣の空き家の庭から続いている。そこの水道場から引っ張って来たようだ。
「結界の一部を解いて、わざわざ退路をこさえたんも、絶対に傀儡を逃がさん手ぇがあっての事っちゃ。…あん人、エライ切れ者やな」 忍装束はそう言いながら、玄関先で戦っている知信を遠目に見つめた。
共に視点を合わせた栄治は
「…あぁ」 と、素直に肯定した。

数の多さを頼みとする傀儡がその数を減らされては、勝ち目がないのは明らかだった。
栄治たちは、ただひたすらに力を奮い、逃げようとする傀儡を次から次へと倒していった。
手数が激減した傀儡が相手では、気を抜きさえしなければ、あとは後片付けの要領だった。
さらに、結界の穴を栄治一人に任せられると判断した忍装束が、建物の外から放水を始めたのも大きな駄目押しとなった。
戦いは、幽士隊の勝利に終わった。

ビルの屋上から屋上へ、縦列に並んで渡り歩く三体の影が、東京の夜空に舞っていた。
待機場所から移動を開始した、芹沢、平山、平間だ。
「なぁ、平間ぁ…」 「何だぁ?」 「まだ着かねぇのか?退屈で死にそうだぜ」 「もう死んでっけどな」 先頭を切る芹沢の背を追いつつ、平山と平間は物足りない移動時間を埋めようと二人で駄弁っていた。
「早く『前夜祭』、始めてぇなぁ…」 「これぽっちの時間も待てねぇのかよ?筋金入りの癇癪持ちだな、お前」 「それまで、こっそりでいいから辻斬りでもしてぇなぁ…」 平山がうっかり口にした物騒な暇潰しに、付き合いの長い平間といえどもギョッとした。
「おま…!?止せって…!」 「大事の前の小事だ。事を荒立てるんじゃねぇよ」 聞いてないようで後ろの会話をしっかり聞いていた芹沢が、すかさず釘を刺した。
「へぇい」 「へ、へぇぃ…」 いつ豹変するかわからない芹沢の危うさを知っているだけに、二人は何ともばつが悪そうに返事をした。
そこへ、もう一体の影が軽やかに加わった。
「芹沢先生」 「よぉ。戻ったか、新見」 芹沢は、移動しながら新見の報告を聞いた。
「はい。向こうの二人も予定通りに動くとの返答です」 「そうか…。ご苦労だったな」 「は」 全ては予定通りに動いている。
まずは、旧市街の空家の一つに隠しておいた傀儡を取りに行く。
そうして、戦力を増やした所で、本番開始だ。
「さて、と…。待ちに待った『前夜祭』の始まりだぜ、お前ぇら」 「へいっ!」 「へぇいっ!」 「御意…!」 月も明かりも人気(ひとけ)もない旧市街は、いつも通りの静けさを取り戻していた。
戦闘が終わり、疲れ切った栄治、忠一、彩、そして知信は、激闘を演じた建物の外壁に寄りかかっていた。
全員、変身は解いている。
そこへ、たった一人だけ変身を維持する忍装束が、知信につかつかと歩み寄った。
「…『薬』は役に立ったかいな?」 右掌を顔の前に突き出され、知信は忍装束の言わんとする所を察した。
「えぇ。松永君を始め、僕ら全員がお世話になりました。ありがとうございます」 そう言って、知信は預かっていた印籠を取り出し、忍装束の手に乗せた。
戦闘が終わった直後。右手親指を負傷した栄治だけでなく、全員がいくつかの小さな傷を受けていた。
万一の為にと、知信は念には念を入れて、全ての怪我に印籠の『薬』を使っていたのだ。
その礼を丁寧に述べると、忍装束は受け取った印籠を懐にしまった。
「さよか…。ほなら、早うここを離れるこっちゃ。今の今まで、奴らが来んかった事の方が、不思議なんやさかいな」 警告を残し、忍装束は一人闇夜の彼方に姿を消した。
忍装束の言ったとおり、すぐにでもここを離れなければならない。
全戦力を使い果たしてしまった今、もし回天狗党に襲撃されでもしたら、全滅は免れないだろう。
知信は、今にも軋み出しそうな体を何とか起こして、三人に呼びかけた。
「さて、みんな。そういうわけだ。いつ、また回天狗党が戻って来るかもしれない。一刻も早く、ここから離れよう」 「だー、づがれだー…。マジ、づがれだー…」 へたり込んだ忠一が愚痴る。だが、言葉とは裏腹にその口調はどこかうれしげだった。
忠一だけではない。四人は、完走したマラソンランナーのように疲労と達成感に全身を包まれていた。
しかし、勝利に酔いしれている場合ではない。本当の作戦完了は、全員が撤退し終わるその時までなのだ。
「疲れているとは思うけど、安全圏に帰り着くまで、油断は禁物だ」 「だりぃ、眠ぃ、ハラへったぁ…」 「No, No.ダメですヨ、忠一サン」 「彩の言うとおりだ。く…。これ以上のゴタゴタは、もう勘弁して欲しいぜ」 四人は疲労し切った体に鞭打って、とりあえず紫影館目指してフラフラと歩き出した。
旧市街のアジトに辿り着いた回天狗党は、その惨状に愕然とした。
「む…!?」 「げっ!?ど、どうなってんだぁ、こりゃぁ!?傀儡どもが…全滅ぅ…?嘘だろ」 「嘘だろ…」 彼らの頼みの綱だった兵たちは、一つ残らず消滅させられていた。
建物には、あちこちに真新しい刀傷や破損箇所が付けられている。明らかに、大規模な戦闘があった証拠だ。
「…先手を打たれた」 新見の言葉に、平間がはっとする。
「まさか、あの小僧どもがやりやがったんですかい!?」 それを聞いた平山は、みるみるうちに鬼の形相に変貌していった。
「ど畜生めがぁっ!あンの餓鬼どもめ!今すぐ!焙り出して!八つ裂きにしてやるぜぇーっっ!!」 癇癪を爆発させる平山を背に、一人立ち尽くしていた芹沢の口から、声が漏れた。
「くっ…くくくく…!」 全ては、予定通りに運んでいるはずだった。
…いや。あの五人の若造どもが現れてから、少しずつではあるがどこか歯車が狂いだしている。
今夜の事態が、まさしくそれだ。
だが、芹沢は憎悪をつのらせるどころか、むしろそんな敵を待ち望んでいたかのように嬉々として仕方なかった。
計算外よ、起るなら起れ。何があろうと、俺は楽しませてもらうだけだ。芹沢鴨、一世一代の『祭り』をな。
「はーっはははははははっ!!」 芹沢の高笑いに、三人はばっと振り向いた。
(そうだ…それでいい…!思い通りになんざ、いかねぇのが、俺の人生ってもんだろうが…!) 常軌を逸した自嘲に興奮した芹沢は、歪んだ笑みを浮かべて部下たちに命じた。
「まだそう遠くにゃあ行ってねぇ筈だ。探せ!」 「へいっ!」 「へぃ!」 「御意…」 旧市街を出た方にある紫影館を目指して、薄暗い路地を四人は残された体力を振り絞って、足を動かしていた。
知信は塀や電柱を片手で支えにしながら。彩はその巨体を左右に大きく振れながら。そして、忠一は重い足を引きずりながら、疲れ切った栄治に肩を貸していた。
「みんな、お疲れ様。よくやってくれたね。…作戦成功だ!」 苦しい呼吸を整えながら、知信が満面の笑みで三人の働きをねぎらった。
「うーっす…!」 「Leave it to me.(任せてくださイ。)ですガ、この勝利は風山サンの作戦のおかげでス」 「そうですよ…。でなきゃ、たった五人で十倍以上の敵には、勝てなかったと思いますよ?」 「たはは!言えてらぁ」 栄治、忠一、彩は、異口同音に知信の作戦指揮の巧みさを讃えた。
「…にしても、あの河童忍者。『けったい』なんつーモンで、ボロ屋を囲ってたなんてなー」 「『結界』だ、『結界』」 「あの印籠にハ、瘴気だけでなク、傀儡が嫌って避ける効果があったとハ…」 「監察方さんが言った『傀儡を逃がさない方法』とは、あの光の粒による『結界』の事だったんだね」 あのあと。突入した空家の周囲30メートルほどの範囲に、印籠の光の粒がまかれていたのを知信が確認していた。
「ったくよー。んな手があんだったら、俺らにも教えてくれりゃーいーじゃねぇかよ」 「説明する時間もありませんでしたからネ」 「ともかく、数十体もの傀儡を全て破壊、消滅させて、味方に一人の犠牲者も出なかった。目的を完全に達したと言ってもいいくらいの大戦果だ」 そこまで言って、知信は言葉を切った。
「ただ…」 知信の表情がわずかに曇る。
「完勝とも言えない。隠密行動を敵に勘付かれたせいで、監察方さんの到着を遅らせてしまった。結果、戦力を分断させてしまい、全員に危険な橋を渡らせる破目になった。これは明らかに僕のミスだ。ここは、回天狗党の目を逸らす囮を用意しておくべきだったんだ。それに、主戦力の松永君をここまで消耗させて負傷までさせてしまった。…本当に、済まなかったね」 申し訳なさそうに頭を下げる知信に、栄治はこだわりもなく答えていた。
「いえ。いいんですよ。こうやって何とか生きてるし。奴らには勝てた訳ですし」 「そーそー!結果オーライ!勝ってオーライ!うひゃひゃひゃひゃ!」 「お前が言うな。…ついでに、雪原。離せ。今すぐ手を離せ」 「あ?んでだよ?」 「一応、手助けしてくれてる事には、とりあえず感謝しとく。けどな、かえって歩きにくいんだ。だから、離してくれ」 「はぁ?なーに言ってんだよ!エンリョすなって!」 「遠慮じゃない」 「へっ!一人じゃマトモに立てなかったクセに、よく言うぜー」 「う、うっさい…!」 忠一の言うとおり、体力も集中力も一番すり減らしていた栄治は、酔っ払い並みの千鳥足になっていた。
栄治自身がどんなにうるさがった所で、今、忠一の手を借りなかったら、まともに歩くことさえ困難だった。
いつも栄治に、言い間違いを訂正されたり、サボリを咎められたりしてる分、忠一は意地悪くニンマリ笑いながら、ちょっとした優越感にひたってみた。
「俺だって、たりーのにわざわざ手ぇかしてやってんだぜ?なんなら、いっそ彩におぶってもらうかー?」 「ば、馬鹿っ!ふざけんな!そんな真似出来るか!大体、彩だってしんどいのに何言って…!」 「ワタシは、OKですガ?」 「やらんでいい!マジでいい!…いや、気づかいには礼を言うけど…おんぶにだっこだけは、全力で却下するっ!」 「だったら、観念しておとなしく歩けっつーの♪うははっ!」 「くっそぉ…!」 二人のボケとツッコミに、いつもの空気が戻って来た事を感じて、彩と知信は微笑ましくクスリと笑いあった。
そのまま、四人が旧市街を出ようとした時だった。
唐突に、右前方の建物の陰から人影が現れた。
「Huh?」 「あ?まーた、河童忍者かよ?今度はいってー何の用——?」 よくよく目を凝らすうち、暗闇から浮かび上がった姿に一同は息を呑んだ。
「えっ…!?監察じゃ…ない…!?」 No way... That's a enemy!?(まさか…敵!?) 「おいおいおいおい…。マジかよ?ジョーダンだろ、んな時に…?」 (何て事だ…!追いつかれた!?)