忠一は平山、彩は平間に、それぞれの定めた標的に向かっていった。
地面を蹴った拍子に、元居た場所の玉砂利が弾け飛ぶ。
「無駄無駄ぁ!」 「無駄ぁ!」 一度はそのまま相手に当るものの、やはり戦いの流れを変えたくなれば、平山と平間は素早く入れ替わろうとした。
だが、何度もそれを許す忠一と彩ではなかった。
平山が木立を盾にし、槍を封じようと茂みに走る。
すぐさま忠一は、全速力で回りこんで進路を塞ぎ、平山の行く手を阻んだ。
「ちぃ…!」 狙いを先読みされた平山は舌打ちし、忠一との間合いに注意をはらいながら、また有利な立ち位置を求めて走り出した。
誰かが走り回り、踏み込む度に、玉砂利が激しく音を立て、宙に蹴り上げられる。
草鞋と足袋の隙間に石が入り込む不快感も、砂利に足を取られる鬱陶しさもあったが、そんな事に気にしていては集中出来ない。
不利不快は相手も同じ条件のはずだ。
そう言い聞かせて、戦い以外の雑念を消そうと、それぞれが自分の相手に全神経を集中させようと努めていた。
一方、平間を追う彩は、自分より身軽な相手に何度も抜かれそうになりながらも、何とか振り切られる事なくマーク出来ていた。
最初は、いともあっさりと彩を振り切れた平間は、驚きを隠せなかった。
(このデカブツ…さっきまでと、動きが違う!?) 彩は、敵からの攻撃を警戒するあまり、相手の刀ばかり見ていた自分に気付いた。
確かに、刀の動きに集中すればある程度の太刀筋は読めるし、次に繰り出される技にも対処しやすい。
だが、刀だけに気を取られていたからこそ、最初は平間に振り切られてしまっていた。
彩はこの戦いの中で、一つの仮説を立てていた。
得物に捉われる事なく、相手全体を、そして戦いの場全体を見る。 それが、勝負を制する一番の要なのではないか?と。
実際、平間自身の身のこなしを追い始めた途端、小回りの利かない不利が、嘘のように減っていた。
(見える…!動きが、狙いが…わかる!) 足の運び、足腰の重心の位置、目線の位置などから、相手が次に目指す方向を読み、その分だけ自分は早く反応出来る(すべ)を彩はこの戦いで身に付けつつあった。
(嫌な流れになってきやがったな…。ここで変えるぞ、平間!) (おう!平山!) 阿吽の呼吸で、二人は両者が交差する一点を目指して疾走する。
追跡を振り切ろうと、平山と平間はすれ違いざまにまた入れ替わった。
それに合わせて、今度は忠一と彩もまた入れ替わった。
平山を追う忠一のすぐ横を平間が、平間を追う彩のすぐ横を平山が、すり抜けていった。
「な…!?」 「にぃ…!?」 予想外の粘りに、平山と平間は思わず目を見張った。
一度定めた標的にはどこまでも追いすがり、逆に自分の相手ではない敵とは徹底的に接触を避け、味方とは同士討ちに誘い込まれないよう接近を避ける。
彩の作戦——。 それは、二対二を一時的にでも一対一に持ち込み、再び合流される前に各個撃破するというものだった。
(ちっ!しつけぇな!仕方ねぇ…平間!) (おう!平山!) あまりに執拗な追跡に、平山と平間は、ひとまず敵を圧倒しておく必要があると判断して、ひとまず対峙する相手を決めた。
(おーっし!) (これで…!) 分断には成功した。 だが、この状態がそう長く続くはずもない。 またフォーメーションを整えられてしまう前に、勝負を付けなければならなかった。
出来るだけ確実に相手を引き付けるべく、八双に構える平間に対して、彩も同じく八双に構えて見せた。 そのまま、互いにじりじりと間合いを詰めていく。
「おぉぉっ!」 「ぅおらぁっ!」 双方共に袈裟斬りを狙い、相手の肩筋に斬り込んで行く。
彩は、その長身から高い位置が取れる優位を活かし、平間の斬撃を滅殺して足元でグイッと止めた。
力を入れた拍子に、右腕に強い痛みが走った彩だったが、「隙を作る訳にはいかない」と必死に堪えた。
(へっ!その馬鹿力は、出させねぇ!) (しのぎ)を競り合う力勝負に持っていかれる前にと、平間はすぐさま打ち合わせを解きいて大きく一歩退がった。
それに合わせて、彩も大きく一歩退がる。
「お…?」 平間は気付いた。
平間が刀を相手の顔に水平に向けると、彩も同じように顔の横で水平に構えてくる。
(こいつ…俺の動きを写してやがる!?) 彩は平間の攻撃を封じつつ、自分の出方を先読みされないよう、平間と同じ動きをする戦法をとった。
無論、平間が隙を見せればその時点で型を崩して攻勢に出るのだが。
(膠着状態を突き崩す為です…!ともかく、今は耐えないと…!) こうしている間にも、彩は変身と負傷の影響でジワジワと体力を削られていく。 それでも、「早く勝負を着けたい」と焦る気持ちを抑えながら辛抱強くチャンスを待ち続けた。
水平に構えたまま、一歩また一歩と立ち位置を振り代わりながら、互いに技を誘い合う。 だが、双方が警戒していて、なかなか思い通りに仕掛けて来ない。
不毛にも思える我慢比べが続く。
(ちっ!これじゃあ、キリがねぇ…!) 根負けして先に痺れを切らしたのは、平間だった。
「行くぞぉ!デカブツ!」 「望むところですっ!」 平間は壁にぶつかっていく気分で、彩の巨体に立ち向かっていった。
(一気に勝負を着けてやらぁ…!) 八双に構えたまま、平間は彩に突進して来る。構えからして、突きを狙っているようだ。
身長差からいっても、低い平間が高い彩に致命傷を与えようとすれば、下方からの突きは間合いも読まれにくく、威力も大きい有効な技といえる。
「おらぁっ!」 と見せかけて、平間は水平に保っていた刀を天に向かって立てる。
平間はあえて長身の彩に対して、上段斬り下ろしを繰り出した。
振り下ろす勢いに重力による自由落下が加味されて威力の大きい上段ではあるが、身長の低い者が高い者に対して出すには使いづらい技だ。
それでも平間は、意表をついた攻撃で、人間の中心とも言える胴に大きな致命傷を与える方法を選んだ。
(来た…!) 対する彩は、膝を深く沈めると刀の峰を左手の甲で支え、重心を下げて迎え打った。
「何ぃ!?」 彩の予想外の受け方に、平間は一瞬虚を突かれた。
が、怯む事なく
(えぇいっ!もう一度だ!) 続けて、さらにもう一撃を打ち込んだ。
「ぅおりゃあっ!」 「うおぉっ!」 彩も真正面から走りこんでそれを受け止める。——かのように見えた刹那。
彩は刀を交差させて平間の上段斬り下ろしをしのぎ、左足を軸にして右に半回転した。
「なっ…!?」 またもや、彩の予想外の動きに気を取られた平間は、彩の左肘による当て身を懐に許してしまっていた。
「ぬぉっ…!」 彩の怪力から繰り出された一撃に、平間は完全に動きを封じられた。
そして、退く事も攻める事も出来なくなった平間に、打ち合わせていた刀を解いた彩が止めを刺しにかかる。
「おおぉぉっ!!」 気付いた時には、既に平間は左首筋に彩からの一太刀を浴びせられていた。
間髪入れず、彩はすぐさま平間から間合いを取る。
やがて、目を剥いて硬直した平間の傷口から、青く光る皓氣が勢い良く吹き出し始めた。
「負…け…た…?」 言い終わらないうちに、平間の体がぐらりと傾く。
地面に倒れこむ途中で平間の幽体は崩壊し、『憑代』だった黒金の笄が地面に落ちた。
「勝っ…た…?」 誰かの役に立ちたい。仲間の力になりたい。 自分にしか出来ない事を…それがどんなに馬鹿げて見える事でも…
只々それだけの思いで、目の前で起こる不可解で不可思議な出来事にも、彩は全力でぶつかってきた。
荒い息を吐きながら、彩は紙一重の勝負が着いた事をようやく実感していた。
沸き起こるのは、勝利への陶酔感でも、己が力への優越感でもない。
何か一つ、小さな山を越えたような、静かだが奥深い充実感が彩の胸中に広がっていた。
「平間ぁっ!?」 一方、忠一と対していた平山は、仲間が消えた事を悟り、その方向を見て叫んだ。
が、平間の姿は既になく、主たる怨念を失った『憑代』が転がっているだけだった。
「畜生めがぁ…!手前ぇら…よくもー!」 癇癪を爆発させた平山は、大きく上段に振りかぶったまま、忠一に向かって猛烈な勢いで突進。
その刀を力任せに思い切り振り下ろした。
「死にさらせえぇっ!」 忠一は上段に構えた槍の柄で、平山の一撃を受け止めた。
(今だっ!) 間髪入れず、忠一は柄で平山の刀を巻き込むようにして絡め取り、右脇下方向へ素早く捌いた。
「なっ…!?」 無理矢理太刀筋を変えられた平山は、刀を振り下ろしきった格好になった。
それに対して、忠一は最も安定した中段の構えを取り戻す流れになっていた。
「うおりゃあっ!」 忠一は右足を大きく踏み込み、中段から相手の喉元を狙った一撃を繰り出した。
忠一の体と槍が一丸となって、真っ直ぐに平山へと迫る。
(畜生めっ!こんな餓鬼どもに…!) 平山は上体を反らしながらの無理な姿勢をとってまで、間合いを取り直そうと後退った。
だが、さらに追いすがる忠一の槍からは逃れられそうもない。
「負けるかぁーっ!!」 平山は、左下段に落とされていた刀を咄嗟に引き戻しながら右へ薙ぎ払った。
すると、刃筋がきれいに立ったのか、槍の柄がスッパリと斬られていた。
斬り落とされた槍の上半分は、穂先の重さに勢いを失いながら地面に落下していく。
(な…んだとぉ!?) 得物そのものを壊す武器破壊という力技に、忠一の顔がさっと強張る。
(よぉしっ!ここから反撃——!) 平山は逆転を確信した。
その時、
「俺は…勝ぁーつっ!!」 その眼に再び闘志を取り戻した忠一は、本来ならば退く所を更に大きく踏み込んだ。
平山が再び刀を返してくれば、横薙ぎの斬撃をまともに喰らう恐れがある。 そのリスクにも構わず、忠一は平山の間合いに一直線に飛び込んだ。
忠一は——そして『槍』の意思も、「絶対に負けたくない」という熱い闘争心の塊になっていた。
(栄治も彩も、こいつらを一人倒してんだ…!遅れてきた俺が、こんな大事なトコで負けるわけにいくかよ!あいつらと並んで立てねぇなんてのは、ぜってーにゴメンだぜっ!!) その意外性にほんの一瞬だが気圧され、平山は反撃に出るのがわずかに遅れた。
斬られた槍の柄——その鋭い切り口が、もう一つの穂先となって平山の胸部に吸い込まれた。
「っが…!?」 硬直した平山がうめく。
忠一は確かな手応えを感じ、平山から槍を引き抜いた。
平山の傷口から、青く光る皓氣が溢れ出す。
「ば…馬鹿…な…!」 辛うじて右手にあった刀を取り落とし、平山はガクリと膝を折って地面に崩れ落ちた。
倒れるまでに平山の幽体は、皓氣と共に青い光の粒となって崩壊。 その『憑代』であった、古ぼけた黒革造りの眼帯だけが残った。
「ふー…」 平山が成仏したのを確かめた忠一は構えを解くと、今まで溜めに溜めていた息を緊張感と共にふうと吐き出した。
そして、残された平山の眼帯を見やって、感慨深く呟いた。
「…ったく。強過ぎだろ、あんた」 しかし、紙一重の勝利をモノにして昂った忠一は気付いていなかった。平山が最後に放った横薙ぎが、忠一の両肩から胸部までを真一文字に斬っていた。 穂先を落とされて間合いが詰まった分、平山に致命傷を与える事ができた一方で、忠一自身も相応の深傷を負った。
かなりの瘴気を叩き込まれたが、手足はほぼ動くし、今の忠一に堪えられない痛みではなかった。
『槍は斬っても槍』——その法則に、平山は敗れたのだった。
一方、監察方と新見は城址公園内を駆け回り、縦横無尽に激しい空中戦を繰り広げていた。
木から木へだけでなく、建物の屋根、灯篭の上、岩の上など、次々に飛び移りながら、立ち位置を変えていく。
両者は間合いを保ちつつ、木立の間を駆け抜ける。 枝々の隙間からは、相手がチラチラと見え隠れしていた。
やがて、林が途切れた。
日本庭園の池の畔が広がり、互いの姿が弱弱しい月明かりの下にさらされる。
標的を捉えた双方は、共に手にしていた飛び道具を投げた。 監察方の千本が三つ、水平放射状に。新見の苦無が連続で二つ、垂直に迫って来る。
だが、互いに軌道を読まれ、相手に届く前にことごとく弾き落とされていく。
そして再び、新見は走りながら苦無二本を同時に投げ付けた。 今度は直撃コースに乗った。 しかも、監察方はまだ攻撃態勢も回避体勢もとっていない。
新見が「もらった」と思った時。 監察方が灯篭の陰に素早く走りこんだ事で、新見の放った苦無は防がれる形になった。
新見は無意識に舌打ちした。
監察方も新見も、絶えず動きながら相手を狙って撃ち合った。
手数は減るし、命中率も落ちるが、自身が狙い撃ちにされないための判断だった。
追いつ追われつ、攻守が目まぐるしく入れ替わる中、互いが紙一重で相手の攻撃をかわしていた。
だが、飛び道具は投擲するたびに徐々に標準の誤差が修正されていき、双方に一つまた一つとかすり傷を増やしていく。
(この様子やと…!) 監察方も新見も、浅手とはいえ傷を受けるたびに確かめていた事があった。
(毒はなし、か…!) 間合いを詰めさせないよう、監察方は新見の動きに合わせて走り続けた。 その上で、退きすぎて追い詰められないよう、必要とあらば高く跳躍して方向を変えた。
接近戦になれば、刀を抜かざるを得なくなる。 そうなれば、剣の腕に劣る監察方が敵う相手ではなかった。
かと言って、逃げているだけでは勝てない。その上、監察方に向かってくるつもりがないと見れば、新見は芹沢の援護に回ってしまうだろう。 監察方は逃走と闘争を繰り返す事で新見を自分に引きつけておき、幽士隊に対する回天狗党の戦力を少しでも削ぎ落とそうと考えた。
だが、こうして疾走と跳躍を続けていれば、膝が笑って言う事を聞かなくなるのも時間の問題だった。
それを裏付けるように、監察方は走りながら何度も膝を折り、その度に地面に手を突いて体勢を支えていた。
(『憑代』は『憑巫』に力を与える代償に、その体力を吸い取るのだ。じきに、限界のはず…) 自分の勝利が近いと確信した新見は、内心ほくそ笑む。
それに対して、監察方は焦り始めていた。
(あかん…!まるで振り切れへん…!間合いを保つんが精一杯や…!) 今度は新見に追撃を受ける格好になった監察方は、的になる危険を少しでも避けるため、再び桜の枝の中に跳び込んだ。
雲が流れ、また月が翳る。
(ただでさえ、戦局が膠着しとる風山はんと松永はんを援護せなあかんのに…!) 走り続ける途中で桜の枝が途切れるたびに、雑木林の前で天狗面の男と対峙する知信と、御堀の広場で芹沢と睨み合う栄治の姿が、遠目にもちらちらと見えた。
だが、監察方はすぐに意識を対新見戦に切り替えた。
(せやけど、今はあの男や。一瞬でも気ぃ抜いたら…負けてまう!) 「見つけた」 突然降ってきた抑揚のない冷たい声に、不覚にも監察方は肝を冷やして動きを止めた。
見れば、新見は監察方の背後のすぐ近く、それも斜め上から逆さ吊りの体勢で迫っていた。
たった一瞬気を逸らした隙を悟られ、背後を取られてしまっていたのだ。
(しもた!) 監察方は慌てて逃れようと焦ったのか、振り向こうとした弾みでズルリと枝から足を踏み外した。
監察方が桜の雲を落ちていく中、細い枝が折れ、花や葉っぱがむしり取られていく音があわただしく響く。
そして、花の群から姿を現した監察方に向かって、新見は上方から落下予測位置に向けて苦無を放った。
空中で身動きの取れる人間など、まずいない。 ましてや、落下する先の位置は読まれやすく、そこに先手を打たれたらもうどうにもならない。
黒光りする苦無の尖端が、監察方の闇色の忍装束へと無情に吸い込まれていく。 続いて、重いものが地面に叩きつけられる音と同時に砂埃がぶわと舞った。
落ちた。
目は笑っていないが口元だけを大きく歪めた新見は、木の上から地面へ静かに飛び降りた。
背中に苦無が突き刺さり、動かなくなった監察方に新見が一歩また一歩と近づいていく。
散々計画の邪魔をしてきた憎き仇の死に顔はどんなものだろうかと、仕留めた獲物を見下ろした。
雲が晴れ、弱弱しい月明かりが地面をうっすらと照らした時、新見の目に動揺が走った。
(…変わり身!?) 監察方だと思ったそれは、上着に小枝や花が詰め込まれただけの囮だった。
監察方にとって、あそこで新見に背後を取られたのは確かに予想外だった。 そこで咄嗟に、慌てて落ちたように見せかけて、新見の目を撒く手段に出た。 落下の途中で脱いだ上着に小枝を詰め込み、あたかも自身が地面に落ちたように見せかけたのだ。
それもこれも、唯一の光源である三日月が雲に隠れていてくれたおかげだったが。
(舐めた真似を…!) 出し抜かれた驚きを静める間もなく、背後から風切音が新見を襲う。 思ったとおり、二つの千本が新見の首を目掛けて、投げ付けられて来た。
新見は軽く身を屈めながら左足を軸に一回転し、それを紙一重で避けた。 だが、直後に再び背後から、千本が空気を切り裂く音がした。
千本はまた二つ。 今度は、両足をそれぞれ狙っているようだ。
足を負傷させられて文字通り動きを止められる事は、たとえ腕が勝る新見といえども命取りになりかねない。
新見は素早く右横に飛び退り、二撃目を回避した。
が、まだ監察方の攻撃は終わらなかった。 さらに千本が一つ、新見の足に迫る。 さらに右に飛んで、新見は避ける。 千本が飛び、新見も飛ぶ。そしてまた、千本が飛ぶ。
それが連続して五連撃も続いた。
(時間差攻撃か!) 辛くも全ての千本をかわした新見に、さらなる攻撃が襲いかかった。
監察方からの執拗な攻撃は、四方八方から新見を狙っているように思えた。
せっかくくらませた居場所を悟られないように、監察方が絶えず場所移動している事を新見は予測した。
新見は、監察方にも見劣りしない軽業師並みの動きで、四方から迫る飛来物を回避し続けた。
だが、一瞬の回避運動の遅れでこめかみをかすめたそれは、千本ではなく、ビー玉大ほどの石ころだった。
監察方が、度々地面に手を突いていたのは、揃いの大きさの小石を素早く拾い集めるためだったのだ。
(こけおどしを!だが…) 新見の中に一つの確信が生まれた。 それは、監察方が既に千本を打ち尽くしたか、打ち尽くしつつあるという確信だった。
勿論、小石といえども鋭く投擲された物が急所にでも当れば、決して油断は出来ない凶器となる。 だが、そんな物を使わなければならなくなったという事は、監察方の矢弾が極端に不足している事を意味していた。 監察方は、集めた小石を千本に混ぜて投げる事で矢玉を節約し、手数を増やしていたのだ。
新見も監察方も、お互いに放った飛び道具の本数を数えあっていた。
双方にとって、相手は油断できない力量の持ち主。一度放った飛び道具をわざわざ回収している余裕はない。
苦無は千本に比べれば若干かさばる分、携帯できる数が限られ、威力が大きい代わりに手数は減る。
だが、新見は自身に有利な接近戦に持ち込んで片を付けたいがため、足止め狙い以外の目的にあまり苦無を使わなかった。
(接近戦を警戒したか。一度に三つ以上も消費するという愚考を犯すとは…。奴の千本は…既にない!) 矢弾の消費量の違いから、いつの間にか両者の手数は逆転していたと新見は見抜いた。
(と、なれば…次は…!) 八方からの連撃を縦横無尽に避けきり、新見は体勢を立て直した。
と、そこへ炸裂音と共に唐突に視界が曇った。
(煙玉…!) 新見は、腰に背負った刀を抜いて身構えようとした。
が、鯉口を切った所で、頭上の空気が乱れるのを感じた。
霧が渦巻く天上から、一太刀の白刃を忍装束が突き立てようと降って来る。
新見は予測していた。
千本を打ち尽くし、姿を隠した監察方が次に出る行動は、一撃必殺で勝負を付けようとする事だ。
煙玉で視界を封じたのは、外せば後がない最後の一撃をより確実に討つため。
だが、人間の絶対死角でもある頭上を狙われ、一瞬反応が遅れた新見は抜刀する暇もなかった。——はずだった。
(なん…やとっ!?) 監察方は、思わず目を見開いた。
刀を抜いて受けるのでは間に合わないと判断した新見は、左手に握っていた苦無を素早く返して監察方の刃を弾き返していた。
(くっ…!怯んだら、あかん!) ずっと狙い続けていた一撃必殺が破られても、監察方は諦めずにさらに新見に連続して斬り付けた。
新見は、苦無を素早く右手を持ち替えてそれを迎え撃った。
だが、頭や首、心臓など急所を狙った斬撃は、全て捌かれてしまう。
苦無の新見を相手に、刀を振るう監察方が、互角の勝負に持ち込まれてしまっていた。
やがて、煙玉の霧が晴れ始めた。
姿を晒して正面から戦える相手ではない。 監察方は、派手に地面を蹴り上げて新見に土埃を浴びせると大きく後方に跳躍した。
(小賢しい…!) 手近に立つ桜の幹を駆け上がり、太い枝に飛び乗った監察方を新見が追う。
追ってきた新見の上正面から、監察方は垂直状に三つの千本を放った。
(まだ少しは残っていたか…!) 足場が狭い枝の上に限定された新見は回避を諦め、腰に背負っていた刀で抜き様に千本を払い落とした。
それと同時に、監察方は背後の桜の花の群に飛び込んでいた。
「むっ…!?」 新見は姿をくらました監察方を探して、手近な幹に足を落ち着けた。
監察方は、すぐに仕掛けてはこなかった。
新見は、薄紅色の雲の中に監察方の気配を求めて耳を澄ました。

ザワザワと夜風に揺れる枝々のざわめき。 その中に紛れている一人の忍を感じ取るのは、容易くない。
だが、一つたりとも千本を無駄に出来ない監察方は、確実に命中させるために風が止むまで攻撃は出来ないはずだ。
右手は逆手で刀を握り、左手は足場にしている幹をつかみ、ひざまずくような低い体勢で新見はじっと息を殺していた。
正面きっての斬り合いなら、剣に優れる新見の方に分があった。 だが、監察方もその力の差をわかっている。決して、真っ向から戦おうとしない。
これまで、こちらのペースに巻き込もうと先に動いてきたが、逆に攻撃に転じた際の隙を突かれて逃げられるばかりだった。
ならば、後の先を取る。 あちらが攻撃に転じてくれば、今度はこっちがその隙を突く。
新見は、監察方の方から仕掛けてくるのを今か今かと待ち受けていた。

ふと、枝が揺れる音が消えた。夜風が止んだのだ。
見越していた通り、四方の花陰から時間差で千本が迫って来た。
新見は薄暗がりに目を凝らし、一つ一つを見極めようと全神経を集中させた。
(一、二…!) まず、左斜め後ろからの一撃、続いて斜め上真後ろからの一撃を振り返り様に刀で弾いた。
(三、四…!) さらに、右からの一撃、左斜め上からの一撃を辛くも弾いた時。 四本目に隠れて、全く同じ軌道に五本目の千本が現れた。
(やはり、あったか…時間差の五本目!) これを捌けば、あとは隠れて逃げ回る張本人を狩り出すだけ。
新見は、最後の最後でしくじらないよう、今まで以上に自身を落ち着かせて迎え撃った。
やった。
監察方の最後のあがきを破った新見は嬉々として、目を爛々と光らせた。
だが、そこに初めてわずかな油断が生じていた。
五本目に隠れた見えない針が、新見の顔面に迫った。
(何…っ!?) それは、夜の一部の如く標的に忍び寄り、逃げ切れない距離に近づいて来るまで決して気付けない物だった。
とうとう避けきれないまま、新見は後方に大きく吹っ飛ばされ、木上から地面に打ち付けられた。
それは、まさに刹那の攻防だった。
身を隠していた枝の中から、監察方はそっと外をうかがい、下に倒れて動かなくなった新見の姿を確認した。
息が詰まりそうだった駆け引きに、やっとの思いで競り勝った事で、監察方はほんの少し緊張感から解放された。